寵教師

痴的好奇心



 先生が、靴を買いに行こう、と言った。うちの大学の寮は、ややアクセスが悪い。俺は先生に連れられて、電車に乗って市街地へ行くところだ。みちみちに人が詰まったその電車の中の違和感は、どうやら斜め前の制服姿の女子高生から発されている。
 俺は携帯電話を取り出して、人を呼びましょうか、と打った。そして見ないふりを決め込む群衆の合間を縫って女子高生の正面にその画面を差し出す。女子高生は、後ろから伸びている誰かの手にスカートをまくり上げられていた。更に、横から伸びている別の手が女子高生の下着の上から尻を揉んでいるし、太ももを撫でている手もある。女子高生は俺に目を向ける。猜疑の目だった。俺も仲間だと思われているのだ、携帯だったのがいけなかったかもしれない、撮影でもされると思ったのだろう。いったん俺は携帯をポケットに仕舞い、空いた手で、まずは女子高生のスカートをまくっている手に思い切り爪を立てた。すると、女子高生を凌辱していた複数の手が、まるで同じ生物の触手のように、一気に引いた。けれど俺は、この爪を立てている相手の手だけは引くことを許さない。女子高生がもういちど俺を見る。今度こそ、頼る目だった。けれどどうしたものか。俺は徒党を組んで痴漢を働く奴らのひとりを捕えたにすぎない。こいつひとりだけを晒しただけで、女子高生の心の傷は癒えるだろうか。
 そこで俺は靴を踏まれた。それほど強くなかったが、サインのように3度、とんとんとん、と踏まれる。混雑のせいで足元は見えないが、周りを見渡すと、女子高生の真後ろ、俺の真横のスーツ姿の男が、俺を見ていた。痴漢の仲間かと思ったが、スーツの男は少し体を引いた、満員電車のほんのわずかな隙間から見えたのは、スーツの男の両手の中で暴れる手だった。もうひとりを捕まえてくれたのだ。
 次の駅を告げるアナウンスが入る。スーツの男が女子高生に小さな声をかける。次、降りられますか。女子高生は戸惑いに顔を歪め唇を噛んで、いちどだけ頷いた。
 俺は降りてもいいか、後ろにいる先生を窺った。先生は無言で、俺が押さえつけている不届き者の腕を上から掴み、乱暴に引っ張った。よろめいた影を見とめ、腕をつかんだまま、けれど何事もなく皆がそうするような声で、「すみません、降ります」と大きめの声で言う。丁度よく駅に着き、ドアが開く。人波をかき分けて、スーツの男がトレーナーにジーンズの男を引っ張って降りる。先生は俺の爪の痕が色濃く残る腕を引きずりおろす。俺は女子高生が降りてくるのを、目を見ることで促した。ホームに女子高生のローファーが触れた瞬間、女子高生の積もり積もった恐怖が決壊して泣きだしてしまった。
「ちょっとなにしてるのよ! 痴漢よ! 痴漢! みなさん、痴漢よ!」
 電車から声がした。中年の女性だった。俺達全員で女子高生に乱暴するつもりに見えたのかもしれない。けれど好都合だった。駅員がこちらを見て、異常さに気付いてくれる。中年の女性は憤慨した様子で電車から降りてきてくれる。同じ女性からのヘルプに女子高生が勇気づけられたようで、泣きながらも中年の女性に、痴漢にあいました、このひとたちに捕まえてもらいました、と打ち明けている。警察が呼ばれ、女子高生は中年の女性が面倒を見ている。スーツの男と先生と俺は、警察に連絡先や身分証明書などを提示して、日常に戻ってもよいことになった。スーツの男は出勤したようだった。俺も先生とのデートの続きが始まる、そうなるべきだったが、俺のまばたきには、痴漢にあう女子高生の表情、柔らかそうな身体を蹂躙する複数の手、そんなヴィジュアルとして残っているイメージがフラッシュバックのように飛び交っている。先生はデートに集中できない俺に気付き、いったん靴選びを保留にして、飲み物を買ってくれる。
「赤羽くん、さっきのことかい?」
「うん……せっかくデートなのに、ごめんなさい」
 先生としては面白くないことだろうに、「犯罪を見てしまったのはショッキングだったね」と慰めてくれる。けれど、いや、ショッキングなのはそうなのだけれど、俺の中には別の思いもあった。
「……痴漢したくなってしまった?」
「……え?」
「違うの?」
「違うよ」
 さすがに先生だ、鋭いところを突いてくる。けれど、少しだけずれていたので俺は笑って返すことができた。
「少し服を選ばせて。僕の」
 先生に隠し事をしている罪悪感から、気付くと俺のアセロラジュースは自力でとっくに飲み干されていた。先生もパイナップルジュースを飲み干し、俺のカップと一緒に捨ててくれる。そして2つ先の店に俺を連れて入る。スポーティな雰囲気の店だ。スタジアムジャンパーを何着か見て回る。そして1着を入念に見る。マネキンがそのジャンパーに合わせているニット帽も色を見比べる。
「気に入ったの?」
「うん、どうかな、似合う?」
「試着ってできるのかな、着てみたほうがわかる」
「頼んでみよう」
 先生は店員を呼び、試着室に呼ばれる。俺はカーテンの閉められた先生の試着室の前で、ぼんやりと立つ。店員が新たな客に呼ばれて離れる。すると急に、俺は先生の試着室に引っ張り込まれた。先生、と呼ぼうとしたら、狭い試着室で思い切り抱きすくめられる。先生の手が俺の尻をジーンズの上から揉み始めた。
「赤羽くん、痴漢、されたいんでしょ」
 耳元で聞こえた先生の吐息だけの声に俺は息を詰めた。図星だった。先程の女子高生がうらやましかった。尻を揉まれ、太ももを撫でられ、声を封じられ、恥辱を晒され、逃げれば犯される、そういう非倫理的なことへの羨望を、俺は抱いていた。
「でも赤羽くんは、本当に痴漢にあったらアッパーカット一発のあと股間への左ストレートで相手を一生懲らしめそうだね」
「そんなこと、しない」
「しないの?」
「先生に、そんなことしない」
「まあ僕は、ね」
 先生が苦笑したのがわかった。俺はだいぶ何を言っているのかわからなくなっていた。先生に痴漢されたいと言っているようなものだなんて、考えられなくなっていた。
「じゃあ身の安全が保障されたところで、キヨラに痴漢しようかな」
 こんな気分のときに特別、名前のほうを呼ばれると、どうしようもなく興奮してしまう。何をされてもいい、むしろ、何かをされたい。
「キヨラ、満員電車と一緒だよ、休日の、とても混んだ洋服屋だ。見えないほうが雰囲気が出そうだね、これを深くかぶりなさい」
 先生がニット帽を俺の目が隠れるところまで被せる。目の前がニット帽のワインカラーに染まる。色しか見えない。
 俺のコートがまくり上げられる。パーカーの下の俺の背筋に、ぬるい肌の感触がある。そのぬるい肌は、背筋を伝って上に流れ、先生に抱きすくめられているため隙間がないはずの俺の胸と先生の胸の間に這入る。摘ままれ、反射的に身体が反ろうとすると、先生がきつく抱きしめ直す。摘ままれたそこの先端に服が擦れ、息を詰めた。そうなるともう一か所のほうも、わざと先生の身体に押し潰されているような快楽の被害妄想に陥ってしまう。
「お似合いですよ」
 急に先程の店員の声がしたので、俺は先生にホールドされていなかったら飛び上がっていただろう。少し考えれば、隣の試着室の客に言ったのだろうとわかってくるが、心底驚いた。
「ずいぶん喜ぶんだね、痴漢されるの、似合ってるって言われて」
 先生が面白がってそんなことを息で言う。俺は恥ずかしくなって、首を横に3度振った。
「うん? もっと痴漢っぽくしないと満足してもらえないかな? じゃあ、こういうのはどうだろう」
 俺は後ろを向かされ、コートもパーカーも首まで剥かれて壁に押し付けられる。冷たい壁だ。暖かな服をはぎ取られて冷たい空気に勃ちあがったその今の今まで摘ままれていた胸のそこが、今度は冷たい壁に刺激されて俺は息をのまされる。
「冬の満員電車、どう、キヨラ? 痴漢するひとが僕だけでごめんね、キヨラはきっともっとインモラルなもののほうが好きなんだろうけれど」
 俺は必死で首を横に振った。
「せんせ、が、いい……先生、ひとりだけが」
「僕は先生じゃないよ。ただの痴漢だ。だから、あんまり優しくもしないよ」
 ボトムのジッパーとボタンが緩められるのがわかった。下着ごと脱がされ、冷たい壁に、興奮して重力に逆らった形が触れる。腰が自然と逃げようとする。それは許された。代わりのように、ニット帽が脱がされた。
 俺が押し付けられていたのは鏡だった。鏡の中の俺は、胸も腰も興奮して芯を持たせ、寒いはずのほぼ裸の身体を上気させている。そしてカーテン1枚隔てた向こうには、不特定多数の足音と目線と話し声が感じられた。それを視覚的に自覚すると、先程より直接的に、『痴漢らしい痴漢』を求め始める。もっと、乱暴され、辱められ、すべてを踏みにじられるような、そういう状況に置かれたい。
「痴漢ってどこまでするんだろうね……お尻はまあ、触るとして」
 尻を揉み砕くように刺激される。最初は脂肪を揺らすように触られ、むずむずしていたら、その奥の筋肉まで届くほど揉み解され、ため息が漏れた。次第に恥部が物足りなくなってくる。柔らかい肉を割り開かれてそのたびそこを空気が撫でるせいだ。
「喜ばれてたら、痴漢じゃなくなってしまうんだけれど」
 先生が鏡越しにからかうように俺の顔を見てくるのが、恥ずかしさに目を伏せていても判る。
「もうちょっと恥ずかしがってもらわないと、痴漢じゃなくただの僕のご奉仕だね。どうしようかな……」
 呟きながらも、先生が次にしたいことは決まっているようだった。俺のコートやパーカーを脱がせ、簡素に畳んで試着室内のプラスチックの椅子の上に置く。そしてスタジアムジャンパーを、素肌の上に着せてくる。
「ああ、似合う似合う。じゃあ、キヨラ、ニット帽、色が違うものも見たいから、とってきて」
 思わず先生のほうを見た。この格好で行けというのだろうか。大きめのジャンパーとはいえ下着ですら脱がされていて、今はかろうじて隠れているものの帽子をとるためにかがめば簡単に尻が見えてしまう。
「ちゃんとした痴漢さんも、ついてくるかもね?」
 先生は楽しそうに言う。俺が戸惑っている間に先生はもういちどニット帽をかぶり、横からや後ろから、鏡に映して遊び始める。そんな先生の期待に応えたい。俺が覚悟を決めてカーテンを開けようとすると、先生が引き留めた。
「歩けないでしょ、ボトム、足に絡まって」
 下を示され、慌てて下を見ると、鏡で見たときには意識をやらなかった足首に、下着とデニムパンツが丸まっていた。今までと違う方向性の恥ずかしさがこみ上げ、俺は反射的に急いでボトムを履いた。
「……ちょっとは楽しい?」
 先生が声音を変えた。今までのからかうような声ではなく、眠る前のような優しい声だった。
「痴漢されたいって思ってしまうのは仕方ない、思うことは自由だ。だけれど、赤羽くんが本当に痴漢にあったらと思うと、僕は怖くて悔しくて頭に来て仕方ないよ。痴漢にあいたいならやってあげるから、僕以外から痴漢されないで」
「……わかった」
 真面目な話になって、亡霊がいなくなったように身体から厭らしい願望が抜けていく。
「そのスタジャンは、僕よりも赤羽くんのほうが似合うね。中のシャツと帽子も合わせて買ってしまおう、もし赤羽くんが嫌でなかったら」
「嫌じゃない。けれど……その」
「なんだい? ちょっと地味かな」
「いや、そうじゃなくて……着る度に、痴漢のこと、思い出しそうで」
「ああ、それは困ったね。じゃあいったん脱いで、着てきたパーカー着て。趣向の違う店に行こう。赤羽くんにはもう少し若々しい色のボトムがあると便利なんじゃないかな。いいのがあったら買って、着て帰ろう。帰りの電車はさすがに空いているだろう」


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