寵教師

幻覚2(柏崎アミナ×みつせカオル)




 アミナちゃんアミナちゃん。わたしを呼ぶ日比谷先輩の笑顔が頭の中にちらついている。
「ひび……あ、カオル先生」
「最中に違うひとの名前を呼ぶのって素敵だと思わない、カナタ」
「なんでですか、先輩」
 わたしはわざと先生を先輩と呼んだ。日比谷先輩と、わざと重ねてやった。先生がわたしをカナタ先生と呼び間違えるなら、わたしだって先生を先輩と呼び間違えてやるだけだ。最初に間違えてしまったことを、今更詫びたりするものか。
「名前を呼んでする仲のひとが、ふたり以上いるっていることでしょう、カナタ?」
 今わたしが唇に塗っているグロスは、日比谷先輩が先程わたしのために選んでくれたものだ。薄い赤い色で、ストロベリーの香りがする。スティック状のケースも持ち歩きやすく、彫りこんである柄もフェミニンでお洒落だ。
 しかしながら、唇の上の日比谷先輩のくれたグロスは今、日比谷先輩でないひとに向けて押し当てられているところである。
「ひとりでするときに先輩は、可愛い女優さんのお名前を呼んだりしないんですか?」
「そんな感じに名前を呼んでしまったのねえ、カナタ」
 それからしばし経った。一息ついて、ふたりで横になる。
 グロスがまだらに落ちてしまった後に、わたしは実際にわたしに触れていたひとを呼んだ。先生。
 そのわたしの声と言葉はびっくりするくらいに、先生を呼んでいた。
 またカナタと呼び間違えられたらどうしようという怯えが、わずかにあった。しかし先生は、虹彩の隅できちんとわたしを見た。先生は『先輩』のロールプレイを終えて、きちんとカオル先生になっていた。きちんとわたしを、柏崎アミナとして見てくれた。始まるのは嫌味の応酬のようなセックスの反省会だ。
「先生って保健のカナタ先生とご親戚だったように思うんです」
「アミナちゃんの恋人もわたしだけだったように思うの、日比谷くんはアミナちゃんのお財布であること以上を求めてきたの?」
「先輩はいつでもわたしの先輩ですよ。後輩思いが高じてご飯くれたりお茶してくれたりおまけをくれたりするんです」
 わたしはいま、カオル先生とのセックスの最中に、日比谷先輩の名前を口走ってしまった。けれど実際、日比谷先輩に欲情したことも、されたこともないのだ。
 そのことを先生は、むしろわたし自身よりもよくわかっているだろうけれど、以降そのグロスは先生の手によってわたしの唇に塗られるためのものになった。
 わたしはその辺りはよくわからないのだけれど、あの呼び間違えの一件は先生にとって、あまり嬉しいことではなかったのだと思う。
「アミナちゃん、グロス使ってくれてるんだね」
「とってもお気に入りなんですよ」
「よかったあ」
 それでも先輩の恥ずかしそうな笑顔を、わたしと先生は一緒に眺めている。
「可愛いわよね。日比谷くんが選んだの?」
「そうなんですよカオル先生。もうめっちゃかんわいいと思いますでしょう」
「いいセンスしてるじゃない」
 わたしだけでなく、先生も嬉しそうなのだ。嬉しそうなひとが、ここにはたくさん居る。いろいろなひとの虹彩に映るわたしは、嬉しそうにしているのだろうか。わたしが去年と違った顔をしていることは、なんとなく想像がつく。



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