寵教師

おもちゃのロザリオの正体



「……だから、それ、だめ、だって、せんせ」
 テーブルに裸のキヨラを座らせて、僕は床に膝立ちになってキヨラを味わっていた。キヨラの脚は時折跳ねながら僕の背に絡まっている。キヨラが後ろに倒れてしまわないように、両手をそれぞれ僕の手と恋人つなぎにしてテーブルの端のあたりに固定していた。
「いつも、やだって、言ってるのに、なんでそれ、いつもっ」
 答えを求めるふりで解放をねだるとは、なかなか手練れだ。
「ア、先生っ! い、いっ」
 い? イイの? イきたいなら、いいよ、イってごらん。
「い、嫌だって言ってる、の、にっ!」
 ああ、まだ靡かないか、もう少し追い詰めてみよう。
 僕は右手を離すと、自由になったキヨラの左手が僕の頭を離そうと僕の髪を掴む。震えていて、とてもではないけれど力など入っていない。
 僕の右手はというと、キヨラの後ろまで滴ったぬめりで中を探っている。ピアノをそれなりにやっていると、親指以外はどの指を入れても大体変わりなくパフォーマンスできるのだとキヨラの中が証明してくれた。酷く恥じらわせたがそのときにそれをそのまま伝えたので、次からキヨラに自分でさせるときはキヨラの指を指定してみても面白いかもしれない、キヨラは自分のどの指を好むだろう。ああ、でも僕はあの時は薬指がいいと言われたのだったかな。薬指を好むのはおまえくらいかもしれないよ、いちばん力の入りにくい指だ、もう少しソフトなほうが好きなのかな? 僕がそう訊くと、キヨラはまだうまく話せる状態ではなくて、答えるのはままならないと知りながら必死に息をしていたものだった。そのときに僕は行為を終わらせるつもりで薬指を抜いたのだけれど、抜いた後はまるで指輪がなくなったようで物足りなかった感触がした。
「ひっ……な、に……」
 口を離して数秒経つというのに動かず震える内腿に舌を這わせ楽しんでいると、焦れたようにキヨラが肩で息をしながら目を開けた。
「ちょっといま考え事してるから、まだイかないで」
「かん、が……?」
「考え事、キヨラについて」
「せ、んせ……」
「僕はおまえの先生だね。おまえについて先生は何を知っておくべきなんだろうね」
「い、ま?」
「あとでのほうがいい?」
 頷いたキヨラの首を下から鼻ですくい上げて、顎と首の柔肌に軽く舌をあてて頬までを舐めた。キヨラの背筋から震えが伝わってきた。
「嫌だった?」
「え、んーん……」
 どうとでもとれる多義的な質問だったが、キヨラは首を緩く振る。いちど顎を引いて、首を伸ばして僕の頬を鼻で撫でた。
 今日も薬指から始める。柔らかな指輪が僕の薬指に絡みつく。近かった吐息が一気に離れる。
 そういえばキヨラに指輪をあげたことはなかった。キヨラ以外にはよく与えてきた人生だった。僕にとってキヨラに関することは、割とおかしくなっていることが多い。あのコンクールのとき、赤羽キヨラは何の変哲もないスーツを着ていた。けれど18歳にしては似合いすぎていて、ああ一緒だ、と思ったのだった。僕と一緒の、学校よりも社会の中でのほうが生きていきやすいタイプ、30人と仲良くやるよりも3000人となあなあにやるほうを好むタイプだ。コンクールを受けるにあたって、その3000人の中に僕がいただろう、その3000を2999にしてやりたいと思うのは僕だけなのだろうか。ひとり減ったよ、どう思うかな、と訊いてみたくなるのだ。別に嫌いだからと意地悪をするわけではない。本当に純粋に、ひとり減ったときにどう思うのかを訊き出したいのだ。
 誰にでもこう思うわけではない。何らかの魅力について崇めたくなるものを持つ人間に、僕はそういう願望を抱く傾向がある。更にキヨラはその段階を越えて、様々に僕をおかしくする。
「あ、あ……」
 緩くしか動かしていなかったが、キヨラは焦らされていると受け取ったようで、中が狭くなっては戻り狭くなっては戻りを繰り返す。このままだとキヨラは達してしまいそうだ。
「もうちょっと考えさせて。まだイかないで」
「ふ、ぅ……う、はぁ、んっ」
 必死に快楽に抗う苦しそうな表情に刹那見惚れて、僕は指を抜いて立ち上がり、利き手でない手でキヨラの肩を抱き込む。キヨラはまだ興奮に喘いでいる。
「キヨラ、平気になったら少し離して」
 キヨラは3秒考えて、僕の背に巻き付いていた脚をほどき、顔を僕の胸から離した。大丈夫か、と覗き込むと、全然平気になっていない。キヨラはよく泣く。セックスの最中など、泣かないことのほうが珍しい。今回もまた、潤んだ瞳には涙の膜が厚くコーティングされていた。
「無理しないでいい、本当に平気になったら離しなさい」
 僕はテーブルに座るキヨラのほうに身体を傾け、左手で後頭部を、右手で腰の骨を引き寄せた。僕の肩にキヨラの顎が乗る。
 キヨラはときどき、射精を嫌がることがある。今もそうだ。フェラチオをされるのが得意ではないらしく、僕の口の中にキヨラの性器が入った途端、その日は嫌がられっぱなしになる。セックスで快楽を得るのは罪だ、という宗教もあるくらいだから、よく知らないけれど、そういう育ちなのかもしれない。キヨラの扉をひとつ開ければ、その先は迷路だ。僕はまだ行き止まりになっていないと思いたいけれど、迷路を抜けたわけではないと感覚的にわかる。
 僕はキヨラをどうしたいのだろう。解き明かしたいだけなのだろうか。パッと出てきたのは幸せにする、という文句だったが、そういう表現は僕は好まない。幸せというのは与えられるものではない、幸せのセンサーが盲目になることだ。たとえば、僕はキヨラと居ると幸せだけれど、幸せが与えられるものだとするならば、誰がキヨラを僕にこんなにも中途半端に与えるというのだろう。逆に、キヨラが居るような気がする、と信じられる状態なら、実際にキヨラが居なくても幸せであり続けられる。
 キヨラはいい意味で鈍感だ、センサーが鈍っている。そのセンサーが鈍らされた手段と理由を、僕は知りたいのかもしれない。
「キヨラ」
「……はい」
 僕の髪にキヨラの声が反響する。
「考え事、終わったよ」
「はい」
「僕が考えている間、何をしていたの」
「考えていました」
「悪いこと?」
「……はい」
「詳しく教えて。いっかいキスしよう」
 僕はキヨラの返事を待たずにキヨラにかぶりついた。キヨラが嫌がって身体を引こうとする。僕はテーブルに右手をついて、左手でキヨラの頭を守り、唇を押しつけて身体を後ろに倒させた。キヨラに逃げ場はない。そしてテーブルについた手でキヨラの血管の浮いた最も敏感な皮膚を撫でると、キヨラは身体をよじる。僕はキヨラのそこをゆっくりと扱き始める。キヨラの脚が僕の背中で暴れているのがわかる。鼻から漏れる声も相当嫌がっていた。やはり今日もキヨラはフェラチオをされたあとの射精を拒むのだ。僕は諦めて、唇と身体を離した。
 キヨラが息を整えるためにぐったりとテーブルの上で胸を上下させている。おもちゃのロザリオを飲み込んでしまって呼吸のできない淫魔のようだった。
「キヨラ、何を考えていたのか訊いたら、教えてくれるかい」
 僕は遠ざけていた椅子を引っ張りよせて座りながら、淫魔に訊ねた。
「……先生が何を考えているのか、考えていました」
「なんだと思った?」
「わかりませんでした」
「結論でなく候補でいい。教えてくれないか」
「……」
 キヨラは慎重に言葉を選んだ。
「明日、こういうのがばれて、先生が罰されるんです」
「そうしたら、どうなるかな」
「俺は、先生の幸せを願えなくなるかもしれません」
「どうして」
「俺が幸せではなくなるからです」
「間を説明して」
「言い換えますか」
「うん」
「幸せになる前に、最初から常に不幸でいれば、もはやその罰は特別な不幸ではないからです」
「僕に特別な不幸を与えようとは思わない?」
「……」
 僕だったら、即決でそう思うけれどなあ。
「……思いません」
「どうして」
「思いつかないからです」
「頭のいい答えだね」
 淫魔は身体を起こした。僕を見て僕の満足を窺い知ると、「先生は?」と訊いてきた。
「さっき言った通りだよ。キヨラについて、僕は何を知っておくべきなのか」
「わかりましたか」
「たぶんね」
「何になりましたか」
「キヨラ、今、幸せかい」
 キヨラは言う。先生次第です。
「僕次第か、僕がどうだと、キヨラは幸せなんだろうね」
「先生が楽しそうにしていれば、俺は幸せです」
 そこが、僕にはわからないのだ。キヨラが幸せであるならばいいのだけれど、少しひねくれた考え方をしてしまう。僕が楽しそう、というのと、キヨラが幸せだ、というのはイコールではないように思う。なぜなら、キヨラが幸せなときに、僕が常に楽しそうだとは限らないからだ。僕の知らないキヨラの幸せはたくさんあるだろう。僕は、それを知ったら妬ましい思いに駆られるだろうというのは想像に易い。僕はキヨラの幸せがあれば幸せだと思えるほど出来た人間ではない。キヨラの幸せは僕の幸せにはならなくて、幸せでない僕は楽しそうではない、なのにキヨラは幸せ、という輪廻の問題だ。
 ふっと思う。僕は、キヨラを苦しめていたのと同じおもちゃのロザリオを握りしめて何かを殺している。
「僕が楽しそうにしていないとき、おまえは不幸なのかい」
「先生、幸せと不幸の定義が、かみ合っていないように感じます」
「そうだね。少し僕も考えておこう。じゃあキヨラ、最後に、キヨラが確実に幸せなのはどんなときかな」
「俺は腹が減っているので、今すぐ幸せになりたいなら何かを食べるべきです」
「わかりやすいね。では、ここまでにしよう」
 キヨラの欲求が可哀想なことになっていた。キヨラは僕と話している間ずっと劣情に苛まれていた。目の前に僕がいて『キヨラ』と呼ばれることは、それだけで充分にキヨラの興奮を煽る。そうなるように教えたのは僕だから、僕は悪戯にキヨラの名を呼んではならない。
 キヨラはバスルームに消えた。僕は先程のキヨラを思い出して、身体の処理をした。
 バスルームから戻ってきたのは、すっかり赤羽くんだった。キヨラと赤羽くんの違いは、きっともうわかってもらえているだろう。有り体に言えば、キヨラは調教済みで僕に束縛されている学生、赤羽くんは放し飼いで僕の家に帰巣本能を持つ恋人、といったところか。学生と恋人のあたりは誤解があったかもしれない、キヨラは従順な学生でしかない、僕と対等ではない。一方赤羽くんは恋人として僕と対等になれるよう努力をしているし、僕もそれを好ましく思っている。
「おかえり、赤羽くん」
「ああ、ただいま。腹減った、もう2時だ、ばんごはんから6時間以上飲まず食わずで間に激しい運動が挟まった」
「悪かったって。なにか食べたいものはある?」
「タンパク質ならなんでもいい、先生はなにがいいの」
「僕はね、そう訊いてほしかったんだよ、赤羽くん、デートに行く元気はある?」
「でえ、と?」
 赤羽くんがきょとんとする。
「この大学の敷地を二人で一緒に出る、ということ。しかも深夜2時に。赤羽くん、そういうの好きだろう」
「まあ、嫌いじゃないよ、よくわかってんじゃん。で、俺デートだからってマカロンや練り切りで済ませたくないんだけれど」
「もちろんだよ。赤羽くんはお菓子は苦手だったもんね」
「苦手というか、腹減ってるときに出てくると憐れみたくなる」
「憐れみか、良い表現だ。だから、ラパン・ギャルソンに行こう」
「菓子屋じゃないか」
 赤羽くんが憐みの目を実演してくれた。
「ここから歩いてすぐのところに出来たニュースは聞いただろう?」
「日比谷先輩とアミナがきゃーきゃー言ってたな」
「そこのシチューがおいしいんだよ、崩れないようになっているパイ生地のカップにふかふかの鶏モモ肉がごろごろっと入っていて、タマネギは溶けてしまうくらい柔らかいしニンジンはフルーツのように甘いんだ、具はやや小さめに切られていて、サクサクのパイのスプーンで香り高くて濃い芳醇なルーをすくって食べるんだよ。最後はスプーンとカップをかじっておしまいだね、お勧めのオプションは、噛んだら肉汁が溢れてくるパリパリジュワジュワミートパイとか、柔らかいとろけるような肉で噛み応えのある野菜を巻いたローストビーフのザクザクトロトロサラダも捨てがたい、サンドイッチはカスタムが多様で、スモークサーモンか生ハムか選べるし、チーズの種類も8種類もあって、僕は」
「わかった。わかりました。行こう。飯テロもいいところだ。で、何時からなの」
 やったー、と、僕は内心小躍りした。長台詞の甲斐があったというものだ。
「3時」
「朝の?」
「そう。照明と朝日が切り替わっていくのはわびさびだよ。それも売りのひとつなんだ」
「いいねえ」
「行く?」
「行く」
「じゃあ僕がシャワー借りるから着替えておいて」
 僕はグレーのデニムとTシャツを引っ掴んでバスルームに入った。
 湯を浴びながら、ふっと考えついた、湯を浴びるという行為は厄でも落とすのだろうか、思考がよく回る。学生のキヨラは、教師に調教を施される理由を、『思いつかない』のではないだろうか。恋人の赤羽くんとはきちんとしたセックスしかしないから、赤羽くんは僕が赤羽キヨラに愛情を抱いていることを知ってくれているはずだ。しかしキヨラとはプレイを主に行うため、というか赤羽キヨラとプレイをするとそのとき赤羽キヨラはキヨラなのだ、それによって、愛情の認識が足りていないのではないか。キヨラは僕を愛してくれているけれど、キヨラの愛は破滅的だし、そうしたのは僕だ、だから僕が破滅的な愛を与えないと愛情を認識できない、そうだとしたら、少し羽目を外しすぎたかもしれない。彼が無意識的に放った『思いつかないから』という言葉は、何かの真理を見抜いているように思えてしまう。


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