ツガイメギツネ

休日出勤のひそひそ



「お邪魔しますぅ」
 トルテとチリルが営む食堂に、大きな声であいさつをかけた。
 今日はキツネたちの学校は休日だ。僕たち保護官は当然出勤するが、きちんと昼休みというものがある。
「い、いらっしゃい」
 厨房でガタンと大きな音がして、首だけ通路に伸ばしたチリルが、おどおどとしながら挨拶をくれた。
「お取込み中ですかね?」
「とんでもないとんでもない! あのね保護官……ちょっと相談があるんだけれど」
「なんでも言ってみてくださいぃ」
「声大きい、こっち、こっち来て」
 チリルが僕を厨房のほうに引っ張っていく。よく整頓されて汚れのない綺麗な厨房だ。広々とした作りだが、チリルはその端の端に僕を引っ張っていき、しゃがみこんで額を突き合わせる。
「僕はポテトチップスを食べたいんだ、保護官」
「はあ」
「でも、今月分のはもう食べてしまった」
「ほう」
「だから来月分のを前借りして、いま食べようとしていた」
「ふうん」
「明日から月が変わるけれど、僕はいまポテトチップスが食べたい」
「へえ」
「保護官、折り入って頼みがある」
「はいはいぃ」
「ラストひとつのエビバーガーをごちそうするから、ちょっと見なかったことにしてくれないかな?」
 チリルは額に汗が浮くほど真剣だ。僕はその約束をのんでも問題はないだろうと思ったが、名案がひとつ頭に浮かんでいた。
「でもチリル、エビバーガー、大好きだって仰ってたよねぇ」
「そう、この世でおそらくいちばん、僕の心を奪っている、ジャンクフード界のクイーンオブクイーン、エビバーガーだ」
「そうまでして、なんでポテトチップスを……」
 チリルは言う。くえないひとだ。
 けれどそこには諦観があるだけで、憎悪や嫌悪や険悪さがあるわけではなかった。
「あのね保護官、秘密にしてね?」
「はあ」
「お通じがよくないの」
「ふむ」
「お芋と油を摂ると僕のおなかはよく回る。だからポテトチップスがいいんだ」
「なるほど、それなら変に下剤を飲むよりずっといいねぇ」
 チリルの顔がぱあっと明るくなった。
「でも一カ月に決められた量を破るのは、それはチリルが本当は嫌じゃないのかな、ひそひそと暮らすのは悲しくないかい」
 今度はチリルはウッと顔をゆがめた。
「だからね、僕に名案がある」
「なになに」
 チリルがますます顔を寄せてくる。僕たちは厨房の隅の隅で暖でも取るように小さくなっていた。
「僕がポテトチップスを注文しよう」
「えっ」
「チリルはエビバーガーを注文してくれ」
「おお」
「それで交換しよう」
「保護官ー!」
 チリルが飛びついてきて僕たちは厨房の床に転がった。よく掃除がしてあってよかった。
「それでいいかね?」
「いいよいいよ、名案だよ、本当に名案だ」
「しかしなんで急にお通じが悪くなったんだろうねぇ、心配だなぁ」
「あっ、それはね」
 心を許してくれたこのキツネは、僕にもうなんの隠し立てもするつもりはないようだった。
「僕、ダイエットをしていて」
「ほう」
「あんまり食べてないんだ」
「なるほどねぇ」
「ほら、トルテってシュッとしてて格好いいじゃない? なのに僕はくるっとしてる。僕もシュッてしたい。だから頑張ってるんだ」
「そうかぁ、くるっとしたチリルも可愛いけれどなぁ、でも生きてるうちにやりたいことはやったほうがいいなぁ」
「そうでしょう? だからがんばってみるんだ!」
 チリルは輝かんばかりに微笑んだ。そして立ち上がり、お料理するぞと意気込んで、僕をぺっぺと厨房から追い出した。
 チリルの食堂はポテトチップスにだって手を抜かない。その場でスライスしてその場で揚げる。
 しかしながらエビバーガーは、チリルたっての意向で、インスタントだ。チリルだってエビバーガーくらいは作れるのだろうけれど、いわく、ジャンクフードにだってプライドがある、とのことだ。ポテトチップスはというと、作ったほうがおいしい、という。線引きはわからないが、料理人たるチリルが言うのだから、やんごとない何かがあるのだろう。
「シェイお待ちィ!」
 チリルが手際よく料理を仕上げてくれたようだ。ほかほかのポテトチップスと、油紙にくるまれたエビバーガーが、それぞれ深めの皿に乗って僕たちを待っている。
「ありがとう、チリル」
「いえいえ、こちらこそ、保護官」
「じゃあ、いただきます」
「いただきまーす!」
 約束通り、チリルは僕のポテトチップスを食べ、僕はチリルのエビバーガーを食べた。
 チリルにだって、後悔のない一生を送ってほしい。
 トルテのようになったチリルだなんて想像もつかないけれど、でもチリルが目指すというのなら、僕は応援する。
 どんなチリルだって、チリルはチリルだ。チリルが満足のいく自分になろうとしているのに、何をとめ立てする理由があろうか。
 彼らの一生はとても短い。
 だからこそ、その一生がとても楽しいものであることこそが、保護官たる僕の切なる願いである。


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