ツガイメギツネ

学校のこんこん



 学校でインフルエンザが流行しているらしい。
 僕も保護官として、学校で予防に努めるよう呼びかけているが、呼びかけはりりりんのほうが圧倒的に上手い。代わりに、僕はインフルエンザになってしまったツガイメギツネのケアを重点的に任されている。
 何をするかというと、罹患してしまったキツネたちの家に食料を届けたり、ルメメル病院に状態を伝えたりする。
 この地区に来て日が浅いため、医療班でも整備班でもないナナミヤに手伝ってもらいながらの活動となる。
 温め不要の肉野菜リゾット、なるレトルトパウチ食料を抱えながら、ナナミヤと話をしているところだ。まず最初に割り振られたミリレンヌとロシリンダの家に向かっている。
「ツガイメギツネのインフルエンザはな、人間にはうつら……へっ……へぇ……えっしょおーいうつらねえんだよ。ただウイルスはくっついてくるから消毒すんだ」
「なるほどねぇ。お大事にねぇナナミヤさん」
 本当にうつらないのか心配になっていると、ナナミヤがティッシュでぶうと鼻をかんだ後「へっ」と鼻を手の平で触って笑った。
「『さん』付けたぁ辛気臭えな。俺ぁな、19の時の水兵の服がいまだに似合うんだぜ? 陸の上で『さん』付けされる覚えぁねえよ」
「これは失敬。風邪をひいているわけでもない?」
 不安になった僕の問いかけに、ナナミヤがふんと鼻を鳴らして答える。
「畳の上じゃあ死なねえよ、まだ半世紀ちょっとしか生きてねえんだ、てやんでい」
 ますます心配になってしまう。
「人の風邪もキツネにゃうつらねえよ、キツネはああ見えて立派な妖だ」
 ナナミヤが、へへ、と笑って言った。今までのやりとりは彼の中では冗談だったのかもしれない。
「まずは……ミリレンヌか。おい保護官、ミリレンヌとは会ったことあんのか」
「いや、まだありませんねぇ。どんなキツネなんですか」
「これがなあ、愛嬌あって可愛いんだっけよ。素直でいい子だ。物事を変えようって意識が強え。気づいたことにゃすぐ対処しやがる。自分のインフルエンザに気づいて真っ先に弟のロシリンダを避難させたくれえだ。おまけにカツアゲのあるべき姿を知ってんだ」
「カツアゲ……?」
「おらここだ、相変わらず派手な家だな。オイこらミリレンヌ! 生きてんだろうな!」
 ナナミヤはたどり着いた貴族の別荘風の小さな家の窓を、口調とは裏腹に存外丁寧にノックした。
「おい誰だなめやがって、俺はハタチ超えてみせんだぞオラ! ごほっ」
 窓越しに、柄の悪い声が聞こえてくる。少し手前に玄関もあったのだが、と思っていると、窓のカーテンが内側からやや持ち上げられた。
「ナナミヤだよミリレンヌ。威勢がいいのはいいが咳き込んでちゃ世話ねえな、とっとと治しやがれ」
「船長……そこにロシリンダは……ウ、ごほっ、ウタは?」
 この声では喉がガラガラだろう、つらそうな声だ。どうやらベッド側の窓だったらしく、除けられた遮光カーテンの奥の白いレエスの奥に、厚い服を着込んだキツネがいた。金髪で、耳のあたりから赤い三つ編みが伸びている。今流行りの果実染めだろうか。それなりに綺麗に染まっているが、具合が悪いせいか少し乱れている。
「いねえよ、てめえの弟も後輩もいねえ。オイ食事とれてるか? またチョコレートばっか食ってんじゃねえだろうな?」
「食ってる……いちにち一食は言われた通りの肉野菜リゾット食ってるよ」
「てめえチョコは食ってねえのか」
「……すんません、たまに」
「男なら堂々としやがれ! 通らなくならねえ程度にチョコも食え、寝てばっかだと生きるのつまんねえだろ! 娯楽! 楽しみ! 享楽! 食いたいモンあったらメモ帳に書いとけ、フカヒレとかじゃなけりゃ持ってきてやるよ、オラ開けろ、4食分の食料だ、明日もまた来るからな」
「ロシリンダは」
「いねえ!」
「そうじゃない、ロシリンダは、元気か。みんなは」
「……ここにはいねえ。でもちゃんといる。治してガッコ来て自分の目で確かめろや」
「……わかった。食料と薬を受け取るけれど、消毒したあとに他んトコ行ってくれよ、船長」
「おうよ。でな、新しい保護官がてめえの病状聞くからな、素直に答えろよ」
「タスキといいますう。ちょっとお話聞きますねぇ」
 緊張した様子で視線を僕のつま先から頭までを2往復させたミリレンヌに、所定の項目を順番にたずねていく。
「熱は何度でしたか」
「39度以外に見えんのか、あ?」
「食欲は」
「あるわけねえだろ、こっちは病人だっつの」
「鼻の具合は」
「聞いての通りどん詰まりだよ」
「のどは」
「ガラガラ痛くて咳も出る」
「何かほしいものがあれば」
「……チョコ。あと、みんなにはよろしく伝えてくれ。俺みたいになんねえようにしてくれ、保護官タスキ」
 話してみてわかった。最初はナナミヤとの態度の違いにこそびっくりしたが、この子は、古き良き時代に『ヤンキー』と呼ばれたタイプなのではないか。
 口と柄は悪いが、仲間意識が強い。仲間のためなら、知らない人間にも頭を下げる。
「ありがとうですう、ミリレンヌ。元気になったら僕が元居た地区で評判だったパフェを食べよう」
「……わりいな。それで、もう一回訊くが、ロシリンダは本当に元気か」
 僕とナナミヤははっとした。
 ミリレンヌは、ロシリンダの危機を察して、先程から気にしているに違いない。
「保護官」
「わかってますう」
 ナナミヤの呼び声を背中で聞きながら、僕はあてもなく走り出した。ロシリンダを探す。走りながら手指と服をスプレーで消毒した。
「ロシリンダ!」
 僕はロシリンダに面識がない。だが、りりりんの描いてくれた資料の特徴を頼りに、ひたすら走った。学校を通り過ぎ、公園に来ると、りりりんの言う特徴に一致したツガイメギツネがいた。茶髪を前下がりに切りそろえ、制服に、学校指定の黒ではなく、白タイツだ。腰にファッショナブルなスカーフを垂らしている。ルメメル公園の鳥をかたどった噴水の近くにあるベンチにいる。
「ロシリンダだね?」
 すっかり上がってしまった息で、僕は訊いた。
「……そうですよ。あなたは?」
 丁寧な声で、ゆっくり話すキツネだ。
 見た様子だと、なんだか疲れている様子だったが、それも死にそうなほどではないし、外傷もない様子だ。取り越し苦労だったのだろうか。
「先日サララビ地区に異動してきた保護官のタスキといいますう。今ね、君のお兄さんのミリレンヌのところに行っていたんだ。ミリレンヌがものすごく心配していたから探していた」
 ロシリンダはにっこりと笑った。まなじりに、緊張感を感じる。
「兄さんは、わかっちゃうんだね」
 様子がおかしい。呼びかけようとしたらロシリンダは言葉を続けた。
「いつだって、兄さんはわかるんだ。僕が考えていることが。僕が思い詰めているときはいつでも!」
 怒号に近かった。
 一瞬の沈黙のあと目を伏せたロシリンダは今度こそ、見えないように、ただし確かに、涙を落とした。一粒こぼれれば、あとは堰を切った。
「死なばもろともって思ってたのに。僕だけ生き残ったって生きていけない。兄さんがいないと。兄さんに今までいっぱい可哀想なことしてきた。喧嘩してひどいこと言ったり。びんたしたこともあった。兄さんに、ごめんねも言わないで。だからせめて一緒に死にたいって……」
「ロシリンダ」
「僕は悪い弟だ。兄さんともっと一緒にチョコレートを食べてあげればよかった。いっつも僕は兄さんのチョコ好きを馬鹿にして。兄さんが頑張って生きる糧を笑って。この校則を破った白いタイツだって、兄さんの頼みだったのに嫌々な風に履いて。僕がもっとちゃんとしてれば、兄さんはもっと楽しく生きられた。僕がいけないんだ」
「ロシリンダ」
 低い声を出した僕にもロシリンダは怯まず、「なんです?」と訊いてくる。さすが兄弟だ、迫力が似ている。
「君のお兄さんは、治ったら僕とパフェを食べる予定なんだ。一緒にどう?」
 ロシリンダはしばし沈黙した。
 そして、そのあと、トーンを落とした声で小さく笑った。はは、と。
「僕、ジャガイモが食べたいんだけれどね、兄さんの快気祝いなら美味しいパフェになりそうだね」
「ルメメル病院の当初の見立てなら、来週には治ってる見込みだよ、自宅療養期間が終わったら行こうねぇ、おさぼりじゃなくて学級閉鎖の間にね」
 ロシリンダはちょっと笑って、シンプルな紺のハンカチをポケットから出した。涙を拭く。
「タスキだっけ。いい保護官が来てくれてよかったよ」
 ロシリンダは重ねて訊いてくる。兄さんの具合は?
「本人の協力があってきちんと治療しているし、あとは熱が下がってのどの腫れが引いて鼻づまりがなくなれば……」
「まだまだじゃないか」
 ロシリンダはけらけらと笑った。笑い方に特徴がある。
「学級閉鎖になって、おまけに兄さんが家を占領するから寮暮らしで、暇で仕方ないんだ。兄さんには元気になってもらって、僕の話し相手をしてもらわないと」
 ポケットで携帯電話が震える。ナナミヤからのメールだった。ミリレンヌは寝かしつけたところだ、ロシリンダは無事か?
 ロシリンダに「ちょっとメールをごめんね」と断り、ナナミヤに伝える。若干気持ちが弱っていたけれど回復したところです。来週あたりにミリレンヌが治ったら、ナナミヤも一緒にパフェどうです?
 返信はすぐに来た。俺ぁ揚げ物が食いてえなあ、海じゃ食えねえからよ。
 ナナミヤは海賊をやめてから二十年ちょっと経っているはずなのだが、面白い人だ。
 あの店は、予約を取れば、確かコース形式にもしてくれたはずだ。人数が結構必要なので、学校ごと行くくらいの心意気が必要かもしれない。
 ミリレンヌの快気祝いだといえば皆来てくれるような気がした。ここはそういうあたたかい地区だ。


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