ツガイメギツネ

夕暮れのらぶらぶ



 夕方、ツガイメギツネたちを帰途に就かせるために、りりりんと僕は巡回していた。
 ルメメル公園は、大きな鳥の噴水が中央にあり、亀の形をしたベンチが周りに並んでいる。夕映えに、そのベンチに寄り添うふたりのツガイメギツネを見つけた。
 並々ならぬ雰囲気だ。がっしりした体格の男子生徒が、細身の女子生徒の肩までの黒髪をいじったり、顔同士を近づけたりしている。たまにくすくすと笑う。少なくとも肩と肩が常にぴったりくっついている。
 どうすればこの青春の雰囲気を壊さないように声をかけられるかを考えていた。りりりんの意見も聞こうと思い、りりりんのほうを向くと、りりりんは大きくため息をついていた。
「どうしたんです、りりりん?」
「あのふたり、今月3度目の誘導ですからなあ。わかってくれないもんですなと思いまして」
「あの熱々ぶりだと一緒にいるのが楽しくてならないんでしょうねぇ」
「家に居たって一緒なんですがなあ」
「いやいや、青春にデートはつきものですよぉ。それに家が遠いのかも。なら誘導も気が引けてしまうけれど、仕事ですからねぇ」
「安全のためです、仕事だからって言い方はどうかと思いますなあ」
 りりりんはちょっと鼻を鳴らした。こういうとき、りりりんはそれほど怒っていない。ちょっとうまくいかなくて、いらいらしているだけだ。
「これは失敬ことばのあや、それであのふたり、いわく今月3度目でしたっけ? なんとか理解を得たいものですねぇ。お熱いことで」
「兄妹ですよ、あのふたりは」
 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている自分がりりりんの目の中にいた。そのあんぐりと開いた口のまま、ふたりのツガイメギツネに目を戻す。どう見てもイチャイチャしているカップルだ。下世話な話だが、絶対に体の関係があると思ったくらいだ。
 いやあるいは、兄妹で恋人になってはならないとするのは早計かもしれない。兄妹だって恋人だっていいような気がしてくる。こうやって幸せそうにイチャイチャするためならば、血のつながりなんて些末なことなのだろう。そうだ、きっとそうだ。
「行きますよ、タスキ保護官」
「は、はひい」
 りりりんにせっつかれ、ふたりに近寄る。3メートルほどになると、女子生徒がこちらに気づいて、ほんの少し男子生徒と顔が離れるが、すぐに男子生徒の手で元通り引き寄せられる。しかし女子生徒が困った顔をしてもういちど離れる。
「お兄ちゃん、だめだよ」
「だめなものか。俺はナズユとくっつきたいんだ」
「ヨズワ、そこまでー!」
 保護官が笛を持ち歩いていたら、今りりりんはピイと思い切り吹いたことだろう。
「リリイか。俺の妹のナズユ、今日も可愛いだろう? ニヤニヤが止まらない」
 ニヤニヤとは言っているが、にこにことした感じのいいお兄さんキツネといった印象を受ける。冗談だろうか。
「可愛いんだけれどなあ、こんな時間まで外にいなくても、君たちは家が一緒でしょう?」
「可愛いナズユを見せびらかしたくて仕方ないんだ。見てよこの大きくて無駄のないおっぱい」
「お兄ちゃん、恥ずかしいよ」
 ナズユと呼ばれた妹が、ヨズワというらしい兄の筋肉質で大きな胸に恥ずかしがって顔をうずめた。ヨズワは学校既定のマフラーを結ばないでいる、その様子がスポーティな体型に似合っている。
「なんだいナズユ。毎晩もっと恥ずかしいことを言い合うくせに」
「今はお外の夕方よ。お兄ちゃん、知らない男のひとだよ」
「どうもぉ、初めまして、タスキといいますう」
 こんがらがった頭のままでも、あいさつは口から出てきた。
「初めまして、こちらが妹のGカップのナズユ。俺は兄のヨズワです」
「お兄ちゃん、言いふらしたらだめだよ、まだ大きくなるかもしれないんだから」
「Hカップか、ますます魅力的だな。今のままでもとってもとっても魅力的だけれどな!」
「制服のボタンが飛んじゃうよ、今でもたまに飛ぶのに」
「ナズユもそこまでー!」
 りりりんがまた笛を吹き鳴らすように間に入った。ものすごい度胸だ。僕もこれができるようにならないうちは、この地区ではいつまで経っても新米だ。がんばろう。
「まあまあきみたち」
 がんばろうと思い、声を出してみる。
「遅くなると危ない。ヨズワ、危ない時間にナズユを外に連れ出して、何かあったら嫌でしょう? 可愛い可愛いナズユちゃんが、たとえば、見知らぬ男たちに、こんな公園で、目の前で、服を」
「タスキさんもそこまでー!」
 りりりんが顔を真っ赤にしてまた間に入った。
「僕は何を言っているんだろう」
「本当ですな」
 我に返った僕にりりりんが追い打ちをかける。容赦ない。
「だからですなあヨズワとナズユ、こういう人間もいるの。初めて会った保護官がみだらなことを言ったりする世の中なわけです。世も末です。日が傾いたらおうちに帰りましょう」
「待ってねリリイ。俺はそこの保護官に言いたいことがある」
「手短にね」
 りりりんが止めずによけ、ヨズワがベンチから立ち上がる。ナズユも立ち上がってヨズワに腕を絡める。立ち上がるとヨズワはものすごく体格がよかった。僕よりはるかに背丈もある。腕も脚も太い。ラグビー部だろうか。
「ナズユにセクハラしたら、俺が許しませんからね」
「その件はすみません」
 素直に頭を下げる。
 ヨズワは口角を上げているものの、笑っているわけではなかった。
「ナズユ、帰ろうか」
 またにこにこ顔に戻ったヨズワがナズユの頬を親指でなでる。
「うん、お兄ちゃん、帰る」
「じゃあナズユ、最後に」
「うん! お兄ちゃん、すきすきー!」
「ナズユ、すきすきー」
 抱き合って頬を寄せながら『すきすき』を交わすふたりは、僕たちに向き合うと、お世話かけました、と頭を下げて帰途に就いたようだった。
「タスキ保護官、しっかりしてもらわないと困りますなあ」
「いやはや、申し訳ない、なんだか変な気持ちになってしまって」
「まだセーフですけれども、今後気を付けてください。前任の保護官も不祥事、タスキ保護官までセクハラなんてなったらキツネたちに合わせる顔がない」
「本当にすみませんねぇ。この通り」
 頭を下げると、視界に一冊、文庫本が落ちている。
「お、りりりん、この本は」
「え? ああ、ヨズワでしょう、ああ見えて読書家なんですなあ、ナズユは成績もとてもいいし真面目なふたりなんです」
 いまいちピンとこないでいると、りりりんが言葉を足す。勉強の息抜きにイチャイチャしたり本を読んだり筋力トレーニングをしたりしてバランスをとっているんですなあ、勉強だけやってるようじゃ息が詰まって長続きしないんでしょうなあ。
 本を拾い上げてみる。リアリズムを重視する真面目な本だ。僕でも知っているくらい名のある著者の、確か3年ほど前のものではなかっただろうか。
 りりりんに提案する。
「ちょっと届けてきましょうか?」
「心配なので一緒に行きます」
 ごもっともだ。僕はこの件は平謝りするしかない。
 公園からふたりの家までの道を僕に教えながら、りりりんが話してくれる。
「文庫になっているような本を読むのはヨズワのほうです。ナズユはというと前回のテストでも相変わらず成績トップだったはずですなあ」
「本当に勤勉なんですねぇ」
「ナズユも筋トレはするんですがね、幸いなことにとでもいうか、日常的に本を読まないから細身で。ヨズワは本を読んでいる間じゅう筋トレをするものですから、ラグビーの勧誘に毎年春に困っているくらいで。ヨズワはラグビーやってる時間があったら本を読んだりナズユとイチャイチャ、イチャイチャ、イチャイチャ、イチャイチャ、したいらしいですなあ」
 口ぶりから、訊いてみる。りりりんは、不純異性交遊とか、絶対許せないタイプです?
「不純異性交遊も趣味の中で済むならいいんですけれどなあ、下校時間は守ってもらわないと」
「なるほどねぇ。確かにそれはそうだ」
 りりりんが足を止める。ここですよタスキ保護官。
 スタイリッシュな家だ。もう辺りは暗く、色はわからないが、入り口から見てL字になっており、屋根が無駄なく逆さにとんがったV字状だ。窓も多い。煙突からもくもくと澄んだ蒸気が上っている。
 りりりんがスタイリッシュな呼び鈴を押して、声を張りあげた。ヨズワ、忘れ物を届けに来たよ。
 玄関を開けたのは部屋着のパーカーと、もこもこのショートパンツに着替えたナズユだった。なるほどおっぱいが大きいし体に無駄がない。兄として自慢したくなってしまう気持ちもわからなくはない。
「ありがとうリリイ。そしてタスキ保護官。ちょうどいま、お兄ちゃんが大葉とチーズのササミ挟みを作っているの。召し上がっていかない? この本ね、お兄ちゃんがミタビちゃんから渡されてるのをわたし見たの。借りてるのかもしれない。だからなくしたら大変だったかも。ね、あがって」
 家の奥から、ヨズワの声といい香りがする。ナズユー、焼けたよー!
「いただいていきましょうか、りりりん」
「そうですなあ、せっかくですしなあ」
 りりりんが嬉しそうだ。確かにおいしそうなメニューだ。
 ナズユが笑って、よかった、と言った。本当にかわいい子だ。もしかしたら体格のいいヨズワなりに、ナズユを守る手段と考え抜いたのがあれなのかもしれない。
「お邪魔しますう」
 家に上がると、テーブルに大きな皿が二枚、ででんと乗っている。一枚には温野菜のソテー、香りからするとバターソテーだろうか、それが山盛りだ。そしてもう片方には、いまヨズワが鶏ササミでチーズと大葉を挟んだ料理をフライパンから盛り付けている。
 しかし、二人前にしてはやたらと量が多い。冷蔵庫も、この料理が入る大きさはないように思う。今日は特別な何かの日だったのだろうか。
「じゃあ、いただきましょうか」
「いただきまーす!」
 ナズユとヨズワにならって、用意してもらった箸をとる。
「好きなぶん、召し上がってくださいね」
 ナズユが笑う。ヨズワも笑って言う。ナズユのバターソテーは本当にいいぞ。



 食べ終わった。だがヨズワもナズユもまだ食べている。まだまだ食べそうだ。もしかすると、最初の量で、この家では二人前なのかもしれない。
「ああそうだお兄ちゃん、本落っことしていったでしょ。それを届けに来てくれたんだよ」
 ナズユが鶏肉をフウフウしながら言った。
「本? ああ、ミタビがくれたやつだ。ありがとう、ふたりとも」
「いえいえ」
 りりりんが答える。僕はおなかがいっぱいでやや放心していた。
「お兄ちゃん、あの本は貰ったの?」
「そうなんだよ、ミタビもリアリズムを読んでみたかったらしいんだけれど、やっぱりファンタジーがいいってよ。俺が読みたいって言ったらくれた」
 話しながらもどんどん料理を口に運ぶ。結果的に、主にキツネふたりがあの大量の料理を完食した。
「じゃあごちそうさまでした、そろそろおいとましようか」
「そうですなあ、ごちそうさま、ヨズワ、ナズユ」
「いえいえ! またおいでください、それから本、わざわざありがとうございます」
「ありがとうございまーす」
 ヨズワの礼を、ナズユが復唱した。
 家を出て、りりりんに話しかけてみる。
「本をもらったって言ってもナズユは嫌がりませんでしたねぇ」
「なぜ嫌がるんです?」
「ほら、嫉妬とか」
「恋人でもあるまいし、しないでしょうなあ」
 この地区に長くいたりりりんが言うのだからそうなのだ。あのふたりは、恋人ではないらしい。虫の飛ぶ音がして、僕は慌てて口を閉じた。


Copyright(C)2017 Maga Sashita All rights reserved. designed by flower&clover
inserted by FC2 system