ツガイメギツネ

昼下がりのもぐもぐ



 今日はツガイメギツネたちが学校から午前中で帰宅する。試験前の準備期間だということだ。
 その日、僕はりりりんと一緒に『留守』の立札を掲げていた。重たい木製の立札を扉と窓口に立てかけ、緊急連絡先として僕の携帯電話の番号をすぐ横の黒板に書いた。この作業をしているときはいつでも、かかって来なければいい、と願う。怠慢からではなく、この地区の平和をただただ願う。
 そうこうしていると、ほかでもないその僕の携帯電話が鳴った。メールだった。
「急ぎましょうか、タスキ保護官」
 僕は、そうですねえ、と頷いて、中身は判っているものの、一応メールを確認した。
 案の定の中身だった。準備ができたら連絡すると言われていた件のものだ。
 なにせ、今日は、キツネたちが、新しくこの地区に来た僕の歓迎会をしてくれるらしいのだ。



 間隔を広く配置してある、人の背の丈ほどの高さまでの落葉広葉樹に囲まれた庭だ。その庭には小さな池がある。僕の手くらいの大きさはある紅色の魚が、悠々と泳いでいる。
 地面は石が敷いてあり、浮島のように大きな岩が、歩幅に合わせて点々と浮かんでいる。
 その浮島を渡り終えたら、いよいよ本丸だ。トルテとチリルの家である。全体的に、丸っこい印象を持つ家だ。屋根も扉も、緩やかに角が削ってあり、ビスケットで作られているかのようだった。
 まん丸いインターフォンを押すと、チリルが出た。
「いらっしゃーい! どうぞ中へ!」
 元気のいい声に、自然と頬が緩む。
「失礼しますぅ」
「失礼しますな」
 扉を開け、りりりんと家の中に足を踏み入れる。すると、チリンチリンとドアについている鈴が鳴った。目の前ではトルテが玄関に雅に正座して、背を前に倒している。
「タスキ保護官、リリイ準保護官。お待ちしておりました。本日は楽しくなりますよう、思いつく限りの手配を致しました。素敵な時間をご一緒できればと願っております」
 心地よいメゾソプラノの流れるような口上に見惚れていると、トルテが立ち上がって、少し笑って言った。
「なんてね。気軽に楽しんで行ってください。みんなは中で待っています。おあがりくださいな。この家はみんなの食堂も兼ねているので、このフロアは土足で問題ありませんよ」
「はあい、では」
 トルテについていく。廊下を曲がれば、そこは小ぢんまりした食堂風の居間だった。
「保護官、今日は一緒に祝わせてくださいね」
「歓迎してるよ、保護官」
 食堂で席についていたナズユとヨズワが、立ち上がって僕に一礼した。
「みんな丁寧にありがとうねぇ。こんなどこの馬の骨ともつかない僕を、歓迎してくれるんだねぇ」
 思わず口からそんな言葉が出ていた。涙も出そうだった。知らない土地での業務は緊張するし、みんなに嫌われてはいないかと心配だったことに、こうしてあたたかくしてもらうと、やっと気づく。言われなければ気づかないが、気づけることの幸せをかみしめているところだ。
「もう。まだお料理もまだですよ、保護官。ほらかけてかけて」
 トルテが椅子を引いてくれる。言われるままに腰かける。向かいにナズユ、その隣にヨズワ、そして僕の隣にりりりんが席についている。それから逆隣りと逆斜め前は空席だ。あとでトルテとチリルが座るのだろう。
「なんだい保護官、その席はナズユのおっぱいが見放題じゃないか。もっとにやけていいんだぞ?」
 ヨズワがにこにこしながら言う。彼は自分がニヤニヤしていると言い張るが、やはりどう見ても人のいい青年の表情だ。
「ありがとうねぇ」
 あのりりりんまで僕に肘でちょっかいをかけてくる。なんてあたたかな土地だろう。
「ほかのみんなも来たがったんだけれどね、試験前だから遊んじゃだめってトルテが言ってきかないの。だからテストが安泰なナズユと、あと僕たちトルテチリル兄弟と、それからナズユのそばを離れるならいちにち勉強しないでやるって脅しをかけてきたヨズワで、今日はお祝いをするよ!」
 チリルがくるくると笑顔でメニューを配りながら教えてくれる。
「いやだなあチリル、脅したんじゃなくて、ナズユがいないと勉強なんて手につかないって、本当のことを言っただけじゃないか」
「はいな、そうかもね、実際ヨズワはテストはぎりぎり通りそうだもんね。それにナズユがいないとササミばっかり食べそう。それで太りそう。ますますラグビー部からオファーが来ちゃう。そしたら勉強する暇が減っちゃう。そうすると兄に似ずに才女なナズユ、とか言われるんだ。それはかわいそう。才女はかわいそう」
「わかってくれるかチリル。俺もナズユには余計な肩書をつけずに、ありのままの美しさ可愛さエロチックさをみんなに知らせたいんだ。でも欲を言えば俺の心配をしてほしかったかな」
「はいな、ヨズワは妹想いのいいお兄ちゃんだね。でも早くメニューを決めないとそのナズユがごはん食べられないよ。もう拝んじゃってるし」
 チリルに言われてナズユを見ると、ナズユは胸の前で両手を、これでもかというほど強く合わせていた。
「あっ、違うのチリル、わたし、考え込むと大胸筋を鍛える癖があって」
 大胸筋を鍛える癖、とトルテが復唱する。
「ほら、ここだけの話、わたし大きいから」
 てらいもなくけらけら笑いながらナズユが答える。僕の横ではりりりんが深く頷きながら、よいことですな、とお冷に口をつけている。りりりんも小さくはないはず、などと考えていると、りりりんがタンと音を立ててグラスを僕側に置いた。女性は常々、この手の勘が冴えわたっている。
「それでなにを考え込んでいたんだい、ナズユ」
「うんとねお兄ちゃん」
 ナズユがメニューを広げて指さしながら悩みを打ち明けてくれる。天ぷらうどんにしようと思うのだけれど、天ぷらが全部おいしそうで。
 言われて僕もメニューを見る。本日のオススメ、と大きく載っているのは、海老天うどんだ。すぐ横に、天ぷら追加できます、とあり、舞茸、茄子、ピーマン、カボチャ、イカ、フキノトウ等々、ご相談ください、と書いてあった。
「じゃあ半分ずつ頼もう、俺のを半分あげるよ」
「いいの? ありがとう!」
 ナズユとヨズワのメニューが決まり、僕とりりりんの番になった。
 僕にはなんとしても言わなければならないことがあった。
「チリル」
「はあい保護官。なにかな?」
「海老天うどんは決まりで。ところで、大葉の天ぷらは、ありますか」
 一世一代の心持ちだった。
「ございますー!」
 だから嬉しそうにチリルが答えてくれたとき、とうとう声が裏返った。
「それにします!」
「かしこまりましたー! でも保護官、食、細いほう? 成人男性ならもう一品か二品はいけるんじゃない? 舞茸もピーマンもおいしいよ?」
「じゃあそれも」
 僕がつい乗っかってしまい、チリルの商売上手加減に一同、笑いがこぼれた。
「じゃあわたしも、海老天うどんにカボチャをつけましょうかな」
 りりりんも決まった。
「トルテ! メニュー決まったよ!」
「シェイ!」
「海老天うどん6人前、天ぷらイカ3丁、カボチャ2丁、フキノトウ2丁、舞茸3丁、茄子2丁、ピーマン3丁、大葉1丁!」
「シャアッセー!」
 もしかして、厨房のほうで威勢よく声を出しているのはトルテだろうか。
「じゃあ僕も厨房行ってくるね。何かあったら呼んで。おくつろぎくださあい!」
 チリルも厨房へ入り、シェイと叫んで手を洗い、トルテがさばいたイカやエビをこしらえて揚げ始める。
「トルテもチリルも、真面目でおとなしいのに、厨房に入ると面白いよね」
「顔つきも変わるよな」
 ナズユとヨズワが話していると、トルテがひときわ大きく「シャア」と叫び、手を清めて、厨房から出てくる。
「お待たせしました。あとは、チリルの壇上ですので」
 上品なメゾソプラノだった。つい僕は噴き出した。あまりにひとが変わりすぎている。
 つられてりりりんも笑い出し、ヨズワとナズユももらい笑いをしている。
「楽しいのはよいことですね……?」
 当の本人のトルテも、困惑のあとに笑いを漏らしている。
「チリルも今日は料理に力が入っていますよ。こういうときはあとから僕が掃除に入ると派手なことになっていて面白いんです」
 チリルが頑張りすぎているのか、家が時たま鳴る。ヨズワが「外は風が強いんだな」と笑う。
「トルテがお掃除すると床とか壁とか半月は綺麗だよね」
 ナズユが話を振ると、トルテは小恥ずかしそうに謙遜した。掃除は毎日しましょうね、だそうだ。掃除が好きなのだろうか。
「シェイあがりィ!」
 厨房で大きな声がする。トルテが「シャア!」と叫んだ。「ちょっとお料理をとってまいります」とお盆を抱えて小走りで、あがった天ぷらうどんに駆け寄る。
「シェイ海老天うどん、天ぷらが舞茸、茄子、ピーマン。ナズユですね。どうぞ」
「ありがとう、トルテ」
「シェイ、海老天うどん、天ぷらがカボチャ、イカ、フキノトウ。ヨズワですね」
「ああ、ありがとう」
 ナズユとヨズワが目をきらきらさせながら天ぷらうどんを見つめている。
「シェイ海老天うどんに大葉と舞茸とピーマンの天ぷら。本日の主賓、タスキ保護官ですね。おかわりもございますのでお気軽にお申し付けください」
「はい、ありがとう」
「シェイお待たせしましたリリイ、海老天うどんにカボチャの天ぷらです」
「どうもですな」
「で、僕が、海老天うどんとイカとフキノトウとピーマン。で、チリルが海老天うどんとイカと舞茸とお茄子。よし。食べるよーチリル!」
「はいはーい!」
 チリルがざばざばと手を洗って、お盆の小皿に塩とケチャップを持って戻ってくる。
「一般的なひとにはお塩ね。僕みたいにジャンクフード大好きさんはケチャップ。リリイどうする?」
「ではわたしもケチャップを」
「保護官は?」
「僕は、ええと、じゃあ塩で」
 りりりんが教えてくれる。ケチャップは自家栽培のトマトから、塩は海辺の地区で行きつけの塩屋から仕入れている、あら塩ですよ。
「それでは皆さん、いただきます!」
「いただきまーす!」
 綺麗に声がそろう。
 綺麗な塗り物の箸で大ぶりの海老天を挟み、ちょっとうどんのつゆにつけてかじる。衣は歯ごたえがあり、食べるとさくさくと音が出る。うどんのつゆをほんの少し吸ってふわりと香り高い。海老は噛むと、ぶりんと身が裂ける。口に入れてなお、最後のひとかけらまで身が締まっていて歯に当たるのが楽しいくらいだ。
 うどんはというと、こしの強い太麺だ。少しつゆを吸った表面が舌の上でまろやかにとろけ、噛むとぷりぷりしており、ほんのり甘い。つゆは出汁の香りが立ち上り、うどんや天ぷらと織り合わさって鼻をくすぐる。
「すごい、お兄ちゃんのイカお箸で切れる!」
 ナズユが感動してヨズワのイカを箸で半分に切っている。
「ナズユ、フキノトウもほくほくだぞ」
「あっお兄ちゃんおっきいー!」
「はっはっは、ナズユだってさっきおっきいイカとっただろ、でもカボチャ大きくとっていいぞ」
「わあい!」
 ナズユとヨズワがきゃわきゃわと盛り上がっている。一方僕はというと、大葉の香りに酔いしれていた。
「独特のいい香りの大葉ですねぇ……」
「葉っぱはお料理する直前にもいできたんですよ」
 トルテが満足そうに舞茸を塩につけながら教えてくれた。
「大葉、お好きなんですか?」
「天ぷらは、大葉がいちばん好きでねぇ」
「よかったです。おかわりするならまたもいできますからね」
 全員一気に平らげる頃、とうとう奥の階段のほうから明らかな物音がした。
「お兄ちゃん、風強いね……?」
「いや、ナズユ、いや、そうだな……」
「なんなのです?」
 何かを隠そうとするようなナズユと、それを取り繕おうとするヨズワに、トルテが怪訝そうに尋ねた。チリルが何か言う前に、とうとう、階段の奥からマスタードとケチャップがついているように見える小皿が、からんからんと転がり落ちてきた。
「ちょっと見てきましょうか」
 僕が席を立つと、ヨズワとナズユが、はわわ、と言いそうな顔をしている。
 しかし僕は保護官、皆が怯えるのなら先陣を切る。
 のしのしと歩いていき、階段をのぞき込む。
「はわわ……」
 思わず僕が声を出していた。
 階段には、制服も着たままのツガイメギツネの面々が、みっちりと、厚切りのフライドポテトをかじりながら座っていた。
 なんだなんだと、居間にいたキツネたちもわらわらと寄ってくる。
「……チリル?」
「トルテ! みんな勉強会してるの! ちゃんと黙って勉強してる! だからポテトをちょっとわけてあげてたの」
「企画があるならちゃんと言いなさい」
「だからごめんって」
「祝いなおしますよ!」
 トルテがぷんすかと厨房に向かっていく。
「トルテ?」
 ナズユがこわごわ問いかけると、トルテは少し歩くのを遅くして、半身で振り返って、得意げな笑顔を見せた。
「海老天うどん食べるひと?」
 一瞬間があった。
 意味を理解したウタが「はい」と挙手をする。続いてミリレンヌ、コタビとミタビ、と、皆が挙手をして階段から転げんばかりに降りてくる。
「みんな押さないのー!」
「海老天うどんー!」
「わたしはお茄子も!」
「麺は……太麺一択……」
 皆がおのおのの注文を叫びながら、いそいそと席を決めていく。
「保護官、何にしますか?」
 横のチリルが僕にも訊いてきた。僕はもうあの天ぷらうどんの素晴らしさを知っている。
「全部盛りって、できます?」
「シェイ! 主賓はこうでなくては」
 トルテが上機嫌に叫んでいる。
 僕のおなかは既に別腹を作り始めていた。


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