ツガイメギツネ

雑貨屋のるんるん



 たまにはゆっくりとしようかと、勤務地のサララビ地区にある雑貨屋にいる。入浴剤を探しているところだ。
 僕なりの贅沢だ。湯船に浸かって鼻歌をまき散らす時間を、僕は無駄だと思わない。特に理由はないけれど、そうなのだ。
 その時間を彩ってくれる入浴剤には、やはりこだわりたい。そうそう頻繁に使うわけではないからこそ、楽しみたい。
 この雑貨屋の番をしているのは、どうやらツガイメギツネの双子の姉妹のようだ。りりりんの資料にあったキツネだと思われる。ひとめ見て、やや時代錯誤な装いからして、間違いなかろう。客は、これまたなかなかにパンチの効いたキツネがいる。ひとりでいるように見えるが、ツガイメギツネが単独行動をすることは非常に珍しい。
 僕は『りずまらいず』と書かれた雑貨シリーズの前に立っている。この店独自のブランドらしい。それに、なんとなく『あなたのリズム、るんるんるん』というキャッチフレーズが気に入ったので、この中から選ぼうと思っているところだ。
「『薄氷の白薔薇』とか、いかがですかあ?」
 集中して見入ってしまっていたが、驚かせるわけでもなく、しかし僕宛だとしっかりわかる声で、店番のキツネが声をかけてきた。ミタビという名札がついている。赤い縁の眼鏡と、ふんわり巻いたツインテールが印象的だ。斜めにわかれた前髪が、少し眼鏡に触れている。
「すっきりとした使い心地ですよお。でも寒い時期にあっためてくれる生姜が入っていて、これからの季節、快適で、いい香りまでしますう」
 僕がミタビのほうに目を向けると、ミタビはそう言って『薄氷の白薔薇』のキャップを外した。そして、「るんるんるん」と言いながら手であおぐ。甘さの少ない、引き締まる香りだ。生姜が入っているらしいが、独特のからさは感じない。僕は「なるほどすっきりするねぇ」と言った。
「うっすらと氷の張る寒い朝に、目を覚まして花開く白薔薇のイメージですう」
「なるほどねぇ。もうちょっと見てみます、ありがとう」
「わたしでも、あそこの真っ白いお人形さんギツネでも、根はやさしいのでお気軽にお声がけくださいねえ」
「ええ、どうもぉ」
 店員はしつこくないほうが居やすいと感じるので、ミタビの接客はいい感じの印象を持った。それに、なんとなくちょっと面白かった。確かにレジにいる金縁眼鏡の真っ白いドレスのようなワンピースにストールをまとったキツネは、声をかけるのに勇気が要る。それこそ、白い薔薇に触れるような緊張感があるくらいに、ちょっとした覚悟が要る。声をかけて、その胸まで輝く金の髪のキツネが、もし人形だったらと不安になるのだ。微動だにせず、目を伏せ、すっくと立っている。
 そちらに目を向けていると、先程見かけたパンチの効いたキツネが何やらお買い上げの様子だ。
 パンチの効いているキツネは、和装に、目の下に紅をさしている。おそらくは男のツガイメギツネだろう。体つきは青年のものだ。短い黒髪に、緑色に色を抜いた線が5本走っている。
 にっこりと笑ったレジのお人形ギツネと、和装の青年ギツネの会話が聞こえてくる。
「センリュウ、指輪は前にもお求めでなくて?」
「コタビ、俺の名はリュウ……」
「まあ、御免遊ばせ、リュウ、如何してイヤリングではないの? 同じモチーフですのに」
「慣れた遊戯は時に人を駄目にする……イヤリングを鮫の牙の隙間に落としてしまった気分にさせる……」
「怖いのですのね。痛くなくてよ。少しあちらを向いて頂戴」
「腹を……切ろうか……」
「センリュウ、しっかり、イヤリングを痛くしてつけるほど素人でなくてよ」
「俺の名はリュウ……」
 センリュウと呼ばれたキツネが紅をさした目をきゅっとつむると、コタビというらしいお人形ギツネが、レジの指輪と同じアラベスクのように繊細な細工のイヤリングを持ってきて、つけてやっている。
「ほら、簡単」
「……」
「鏡はこちらよ」
 レエスのような縁取りの鏡を、コタビが出してやる。センリュウが何度も、前から、横から、斜め後ろから、と鏡の中の自分を見る。
「これにする……」
「お気に召してくださったの?」
「ひとめ見た時から想いは懸けていた……理由なき怯えは愚かしい選択をいざなう……」
「怖かったのですのね」
 そこで時計の鳴る音がした。12回の鳥のさえずりを模したベルは、正午になったことを知らせていた。
「ミタビ」
「はいはあい、お姉ちゃん」
 先程の黒髪ツインテールのキツネのミタビが、レジを替わる。センリュウが代金を払い終える頃に、コタビが木製の器に入ったラフランスを5つ持ってきた。その場でナイフで、しゅるしゅると鮮やかに剥きはじめる。目を奪われるほど手馴れている。
 コタビが木製の器に乱切りに落とし、ミタビがひときれひときれに爪楊枝を刺していく。コタビが二つ目のラフランスに手を伸ばす頃、ミタビがその楊枝を刺したラフランスを、店中の者たちに手際よく配っていく。僕のところにも来た。
「はあい皆さん、いただきまぁす!」
 ミタビが大きな声で言った。店中が、「いただきまーす」と復唱した。かじると、果汁が口からあふれそうになった。おいしい。
 楊枝を回収しに来たミタビに、思わず口走っていた。『薄氷の白薔薇』にするよ。言うと、ミタビは嬉しそうにお礼を言ってくれた。
 レジに『薄氷の白薔薇』の小分けパッケージを1セット持っていこうとすると、幸せそうにラフランスをかじっていたコタビが少し慌てて口を拭おうとした。
「食べたらでいいよ」
 コタビはもぐもぐとラフランスをかじり、器の一切れを僕に勧めてきた。よろしければ、と言葉を添えて、コタビは自分の分のラフランスを一生懸命かじっている。僕もいただくことにした。何度食べてもおいしいラフランスだ。柔らかめに熟して、芳醇だ。このまったりとした接客を、僕は嫌いになれない。独特の空気があるように思う。
 横から手が伸び、センリュウがもう一切れ、ラフランスを楊枝に刺した。センリュウとコタビが並ぶと、東西の歴史を比較する本の1頁を思わせる。

 良心的な価格の会計を終え、店の外に出た。すぐのところにあるあずまやで、いかつい眼鏡をかけた、真面目そうな黒髪の少年、目を閉じたキツネが禅を組んでいる。禅を組みながら、たまに横の皿から楊枝の刺さったラフランスをとり、かじる。
「ウタ、時が満ちている……」
 僕のあとから出てきたセンリュウが、少年をウタと呼ぶ。センリュウの化粧を落とせば、確かに似た顔つきだろう。兄弟だろうと想像がついた。
「ウタ……」
「食べたらいく」
「嗚呼……」
 禅を解いたウタがラフランスをかじり終える頃、ミタビが湯呑に入った緑茶をお盆で持ってきた。ウタの口の周りを拭う温かい布巾も持っている。観察していると、僕のところにもミタビが来て、布巾と緑茶をくれた。やはり口の横から果汁がこぼれていたようだ。緑茶は苦くなる前の、目の覚める味がした。


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