ツガイメギツネ

サララビ地区のしとしと



 今日から異動先のサララビ地区にて仕事だ。目の前でリリイ準保護官が、サララビ地区の説明をしてくれている。無駄のない顔体、セミロングの栗毛ストレートヘアが印象的な彼女が言う。
「それでタスキ保護官、こちらが、サララビ地区のツガイメギツネの分布です」
「ええ、どうもぉ」
「異動早々が地味な書類仕事で、申し訳ないですなあ」
「いいえぇ、書類仕事も意外とアグレッシブなものですよ、リリイ準保護官……リリイくん……リリイちゃん」
「お好きに呼んでください、タスキさん」
「いいですねぇ、りりりん」
 このサララビ地区でツガイメギツネたちに親しまれる準保護官を『りりりん』呼ばわりすることにする。りりりんの淹れてくれた珈琲のカップの中に映る僕の表情は楽しそうに笑っており、目が糸のようになっていた。
「分布の詳細、拝見しますね、ふんふんなるほどところで美味しい珈琲だ」
「どうも」
 りりりんに「ありがとぉ」とお礼を言いながら、先程いただいた書類に目を通す。ルメメル病院と、併設されているルメメル公園、近くの水葬式の墓地、その周りを取り囲むツガイメギツネの住居を中心に成るサララビ地区の全容が、図を中心にしてわかりやすく描写してあった。村にある小ぢんまりとした家々の世帯図からツガイメギツネたちの学校の得意科目まで、サララビ地区の生活が伝わってきそうな、ぬくもりを感じる丁寧な書類だった。
「りりりん、日の高いこの時間ですと……キツネさんたちは学校ですかねぇ」
「軒並み学校のはずですなあ、ただメメキとムク、トルテとチリルの家は、最近欠席が多いみたいです」
「それぞれの歳は……すみませんねぇ書類にあったな」
「いえお構いなく。書類に書いた通り、メメキが19、ムクが16です、メメキが体調不良を訴えています、まあ寿命でしょうなあ。トルテとチリルはいずれも12歳で、旅支度をしていると2日前に連絡がありましたなあ」
 僕は珈琲の残りををひと息で飲んだ。あっさりとした苦みのいい珈琲だ。
「なら、いらっしゃるうちにあいさつ回りをしておきましょうや、キツネさんたちに」



 サララビ地区にはしとしとと雪が降っていた。
 多く積もるほどではないが、粒が大きく視界が悪い。ただ、この雪のおかげで、ツガイメギツネたちを獣や人間が襲う気を奪ってくれそうな気がしていた。獣は言わずもがな、人間でもたまにいるのだ、キツネ状の耳と尾のついたヒトのなりのあやかしを捕まえて飼いたいという変態は、本当に呆れるほどどこにでもいる。
 主にそういった輩からツガイメギツネを守る試みが、我々、保護官と呼ばれる職業だ。
「雪、降りますなあ」
「そうですねぇ。サララビ地区でも珍しいほうで?」
「まあこの雪は、比較的多いですなあ」
 雪を踏みしめながら考えを巡らせる。
 ツガイメギツネというのは二人一組で行動する。片方が生まれたとき、そのキツネは相方を顕現させるため、神殿で祈って過ごす。先程の19歳のメメキと16歳のムクの場合だと、メメキは3年間祈って過ごしてきたことになる。かなり長いケースだ。一般的には、12歳同士のトルテとチリルのように、すぐにつがいを作ることが多い。
 ちなみに神殿は、このサララビ地区では墓地の奥にあるようだ。
 ツガイメギツネは人を化かしていた歴史があるとされるが、おそらくは「兄弟がいるのだ」と神殿で祈り続けるも、兄弟がすぐに現れてくれないさまから、そういった歴史としてしみとおってしまったというのが近年の専門家界隈では主流の考え方だという。
 近年では人間の管理する居住区に住み、定められた『学校』に通うシステムで人間と共存している例が多く聞かれる。
 いまその学校を訪れようとしているわけだが、実によくできているようだ。いや、むしろ、いい学校だ、と表現しよう。
 ツガイメギツネたちは短命だ。だからこそ、若く有力な指導者がいる。先程のりりりんの話に出てきたトルテとチリルは、中でも特に異彩を放つ。九つの時から生徒会の長を務める一組で、例年、雪の深くなる季節になる前に、物資の補給の旅に出てきたという。
「タスキさん、あいさつ回りって言っても、何をするんです? キツネたちの学校の邪魔をするのは、どうかと思いますなあ」
「それはもちろん。学校はパッと見るだけですよ。メメキくんとムクくんあたりなら、話せるかと思ったんです。なんでも、書類によるとムクくんは学校では社交的らしいじゃありませんか。ムクくんに話しておけば、彼らにも話が通ってくれるかと思って」
「……」
 りりりんは悟ったようだった。ツガイメギツネは、片割れが弱ると、もう片割れもひどい勢いで弱っていく。僕の考えは、メメキくんの衰弱からムクくんを護りたいと思ってのことだった。
 人間の、いや、僕のエゴイズムと言ってしまえばそれまでだ。
 それでも、僕は、誰かを失うことでさらに命が失われるのは、さみしいと思うのだ。
「それにしてもりりりん、サララビ地区は、建物が小ぶりで綺麗で、愛嬌があるねぇ」
「トルテとチリルのセンスでしょうなあ」
 自分のいる地区のキツネを褒められて嬉しそうにするりりりんもまた、かわいらしいものであった。
「あちらに見えるのが学校ですな、しんとしているときは大抵夜中か授業中くらいです」
「ふんふん、勤勉な地区なんですねぇ」
「勤勉なキツネたちなんですよ」
 りりりんはほんの少し気分を害したように鼻を鳴らした。
「これは失敬ことばのあや、それではその勤勉なキツネたちを邪魔するのは本当によくない。そうだなあ、メメキとムクの家は、どのあたりですかね?」
「メメキとムクは……その角ですな、シラユキイチゴが生っている」
 雪から顔を出す赤い果実を目印に、りりりんが木製のドアをノックしてもらった。
「リリイです、メメキ、ムク。新しい保護官とあいさつに来たよ」
 ドア越しにりりりんが声を張り上げると、少しして、おとなしいが元気そうな印象を受ける、青銅の毛のツガイメギツネがドアを開けた。きちんとサララビ地区指定のツガイメギツネ向け学生制服を着こなしている。
「初めまして、タスキといいますう」
「初めまして……タスキ。ムクといいます。よろしくお願いします」
「ええ、よろしくです、ムクくん」
 ムクは耳を垂れてお辞儀をした。僕も合わせた。礼儀正しい子のようだ。
「ムク、メメキは……?」
 りりりんが心配そうにムクくんに訊いた。
「今日は元気に果物を食べたがってる、リリイ。学校へ行くのは、もう少し先になりそうだけれど」
 家の奥から、ムクー、と呼ぶ声がする。
「タスキ、リリイ、中に戻るので、よければ一緒にどうぞ」
「じゃあ、お邪魔しましょうかねぇ」
「お邪魔しますな」
 ムクくんとりりりんと一緒に、家に入る。
 なんとなく、おとぎ話に出てくるティラミスの家を思い出すような、何も変哲がないはずなのにメルヘンな家だ。
 短い廊下の奥から、ギンガムチェックを基調としたパジャマ姿のツガイメギツネがひとり、目をこすりながらこちらへ曲がってきた。
「あらリリイ、サミミレ地区の保護官さんじゃない」
「おはようメメキ。タスキを知っているのね」
「占いに出た」
 メメキと呼ばれたツガイメギツネは、ムクくんと似た青銅のまつげでニッと微笑み、おはよう、とあいさつをした。髪が肩につくあたりですっぱりと切りそろえられている。
「タスキといいますう。サミミレ地区からサララビ地区に異動になりました。ええと、こちらからは、初めまして……?」
 あいさつに困っていると、メメキがにこにこと近寄ってくる。中性的な口調だが、青年だ。
「ええ初めまして。ねえタスキ、わたしの占いは当たるんだよ。今度なにか占うよ。わたしが生きているうちに……」
「メメキ」
「ごめんて」
 ムクくんがさみしそうに俯いて、メメキくんに声をかけた。メメキくんの謝罪のあと、家の奥に戻りながらの少しの間、しんと沈黙があった。
「イチゴもいいけれどブドウとか梨とか、おみかんとかが食べたいなあ」
 メメキくんがくるくると笑って、沈黙を破った。
「ムク、トルテとチリルのところからもらってきてよ。人数分あるといいな、大変かな? 大変だったらリリイも一緒に行ってくれないかな?」
「……うん。リリイさえよければ、行ってくるよ」
 りりりんのほうを見ると、行っていいものかどうか悩んでいる様子だった。異動してすぐの、この地区では新米の僕に、寿命の近いツガイメギツネを任せるのは心配なのだろうか……と思ったが、おそらくは違うのだろう、と悟る瞬間があった。りりりんは僕を見ずに、メメキくんを見て何か悩んでいるようだった。
 しかし彼女は結局、何かを信じてくれた。
「ムク、じゃあ、いきましょうか」
「うん」
「いってらっしゃーい」
 ムクくんとりりりんが、とんぼ返りで家を出ていく。メメキくんが言う。リリイはああ見えて頭がいいからなあ。
 意味を考える間もなく、メメキがにこにこと僕に向き直った。
「さてさて、タスキ。よろしくお願いするね」
「はいい、こちらこそ」
「ときにタスキ、サミミレ地区には、『すきすき』の文化はあったかしら」
「すきすき……」
 サミミレ地区に限らず、かれこれ8年ほど保護官をしているが、聞いたことがない。無論、先程のりりりんの説明でも何も触れられなかった。
「簡単なコミュニケーションだから、知っておくといいかもしれない」
 廊下を通り過ぎて居間らしい部屋につき、メメキくんはベッドに腰かけた。
「タスキ、こっちへ来て?」
 言われるままメメキくんに近寄る。メメキくんが甘える子供のように両腕をこちらに伸ばす。僕は少しかがんで受け止める。耳元にあるメメキくんが小さな声で、楽しそうに言った。すきすきー。
「すきすき……」
「そうそう、言われたら返すのがいいよ」
「はい」
「うん! ありがとうね、すきすきは……」
 何か言いかけたメメキは、はっと黙って体を離した。一方僕はというと、なんとなくぽかぽかしていた。すきすきとはツガイメギツネの妖術の一種か何かだろうか。
「ナナミヤのごり押しの時間だね」
 なんのことかと思っていると、隣の家から「てやんでいべらぼうめ」と大声が聞こえた。続いて、わあ、と歓声だろうか、複数人の声が聞こえてきた。
「……ナナミヤは昔、海賊をやっていた人間なんだよ。わたしたちの学校の課外授業を引き受けてくれてる。元気なひとだし慕われてる、いいひとだよ、ちょっとこわもてだけれど」
 ぽかんとしている僕にメメキが教えてくれる。海賊かあ、と興味を惹かれていると、目線を窓の外に向けたまま、ちょっと笑ったメメキは「今は機械の授業中かな」と付け足して言った。ナナミヤが叩くと大抵の機械は調子を直してしまうんだよ。
「リリイやムクも見に行ってるのかな、ゆっくりさんだな」
 そういえばそうだ。サララビ地区はそれほど広くない、地区の中であれば、十分もあれば充分に往復できる。
「連絡、取ってみますね、メメキくん」
「メメキでいいよ。ここのキツネはみんなほぼほぼフレンドリーだ、敬語もなくていい。それであれだ、窓の外をみて、タスキ」
 言われるままに、メメキの指さした外を見る。黒髪を小奇麗なハーフアップにまとめた、凛とした細身のツガイメギツネが歩いていく。続いて、うなじが見え隠れするくせ毛の、丁寧に手入れされたショートヘアが可愛らしい、背が低いツガイメギツネが行く。ふたりとも制服の上にダウンと服装はカジュアルだが、ずいぶんと雰囲気がそれぞれ違う。それにもかかわらず、どことなくそのふたりが血縁者なのが伝わってくる。独特の柔らかい目つきのせいだろうか。
「トルテとチリルだ。シュッとしてるほうがトルテ、くるんとしてるほうがチリル。旅支度の合間に授業を受けたのかな? なんであれこの様子だと、リリイとムクとはすれ違っていそうだね」
 そこで携帯電話が鳴った。りりりんからだった。
 出ると、名乗る暇もなく、りりりんがまくしたてる。
「タスキ保護官、至急、ルメメル公園まで来てください。ムクが、足をトラバサミで……!」



「ぎりぎりちぎれなくてよかったよ」
 ルメメル公園を併設しているルメメル病院にいる。
 処置を終えた、包帯でぐるぐる巻きにされ、ふとぶととしている足は、見ていても心臓がヒュンとなる。白いベッドに寝かされなおしたムクは、空気を明るくしようとするかのように、冗談めかしてそう言った。
「ね、タスキ」
「……そうだねぇ」
「もう、タスキ、顔怖いよ」
「ん、ごめん」
「いいよ」
 地理に明るいりりりんは至急、金属探知機の応援を隣のサミミレ地区に要請し、トラバサミがほかにないかどうか、探査に入った。キツネたちには今いる場所をできるだけ動かないよう連絡網を回した。この雪だ、もしほかにトラバサミが置いてあっても、肉眼ではわからないだろう。トルテとチリルは、自宅から、ツガイメギツネ保護本部に連絡をしているようだ。ナナミヤは課外授業をしていた家の中で、学校のキツネたちに手伝われながら、ムクを怪我させたトラバサミの分析に入っている。体調の悪いメメキは僕が担いで同じ病院に連れてきたが、相当顔を青くしていたため、隣のベッドで落ち着かせているところだ。静かになった様子からして、もう眠れているだろうか。
 そういう形で、いまこの病室で、ムクの相手をしているのは、僕だけだった。
「タスキ、こっち来て。タスキ」
 考えがまとまらずに意識が散漫になっていた。はっとすると、ムクが僕のほうに身を乗り出していた。
「ごめん、どうしたかな、ムク、どこか痛んだり気持ち悪いかな」
「んーん、大丈夫。タスキ、ちょっとこっちに来て、もっとこっち。ベッドに座っていいから」
「……はいな」
 言われたとおり、ベッドに腰かけて、ムクが伸ばした両腕を背中で受け止める。
「タスキ保護官」
 ムクが後ろに体を倒す。僕も引っ張られて、ムクの上に、上半身を倒す。重くないようにと思ってベッドに腕をついた。
「何だね、ムク」
「保護して?」
 ムクのその声はとても小さかった。僕の耳元で言われたというのに、本当に小さい。
「……ああ。保護する」
「うん」
 それきりムクは話さない。
 震えて、泣いている。
「メメキが、死んだの、タスキ」
 小さすぎる泣き声は、確かにそう言っている。
 頭がぼんやりしてうまく考えられない。頭だけがやけに疲れている、メメキが最期に僕の横でも通ったのか。
 そこまで考えてようやく、ことが飲み込め始めた。
 メメキが死んだのか。
 そしてそれをムクは知ってしまったのか。
「僕の怪我はもう治ってる。メメキが、治してくれた。全霊をかけて」
 そこまで言うや否や、ムクはわあわあと声をあげて泣き出してしまった。
 いたたまれなくて、言葉を探す。
 見つかった言葉は、いまこの時に言うため、あのタイミングで教わったのではないかと思う。
「ムク。すきすき」
 思った通りに、ムクは泣くのをやめた。心底驚いたようで、僕の腕の中で固まっている。
 心音をいくつも数えた後に、急にムクの体温が僕の下で上がった。
 あるいは僕の体温が上がったのか。
 ムクはほんの少し咎めるような声で、僕を呼んだ。
「タスキ」
「すきすき、ムク」
 やはり確かに体温の上がったムクは何かを心に決め、僕に返事をした。
「タスキ、ごめん……『いやいや』。でも、ありがとう」
 ムクがはにかんだ様子で体を離した。涙のあとが生々しい顔は、しかしながら確かに微笑んでくれている。

 ここでする話は、そんな彼らと触れあっていく話である。


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