ツガイメギツネ

王家のよしよし



 このサララビ地区の保護官として、ようやっと地区の一角における清掃を任されるくらいには、なじんできたところだ。
 まだまだ空気のツンと刺す寒空の下にも関わらず、今朝はウタが掃除を手伝ってくれている。朝食もまだであろうに、保護官さんも大変でしょ、などと、僕の心配をするのだ。
 そもそも僕はいま、ウタと彼の兄センリュウの格式ばった家の前を掃除しに邪魔しているのだ。それなのに断るのも変に偉そうで妙な話であるし、結局ウタと清掃をすることとした。
「早起きだねぇ、ウタ」
「僕は、禅を組みますからね。朝は早いほうがいろいろ都合がいいんです」
「禅を?」
「考えるのが苦手で。禅は、全部放り出せる、貴重な趣味なんです」
 ウタが持っているほうきに向かって、ショートブーツのつま先で小石を蹴飛ばしながら言った。
「そうですね、考えるのが苦手だから、変なこともわかっちゃいます。保護官さん、朝風呂派ですね?」
「おお、その通りですぅ」
「それで、薄氷の白薔薇の入浴剤をお使いになった」
「おおお、よくわかりますねぇ」
「あれね、うちの兄のセンリュウが名前をつけたんですよ」
 それは初耳だった。
 ウタが少し面白がるように微笑んで、独特のいかつい眼鏡を空いている右手で押し上げた。
「『りずまらいず』シリーズはコタビちゃんとミタビちゃんの雑貨ブランドですが、コタビちゃんが面白がって兄にネーミングを頼んだところ、ふたりのセンスに合致してしまったらしく。ほら、うちの兄が好きそうでしょう、薄氷とか、白薔薇とか」
「センリュウは、ロマンチックな言葉を使う傾向にあるよね」
「ロマンチックというか、ちょっとだけ諸行無常を愛しすぎたんですよ。このフレーズは本人からの受け売りなので本当です。つまり、命短い、壊れやすい、儚いものにフェティッシュに近い魅力を覚えてしまうんですね」
 ウタはいったん言葉を切った。次のフレーズを言おうかどうかかなり迷ったようだった。それでも語ってくれたことに、僕は喜びを覚えた。なんとなく、ウタと話していると、心持ちが楽になる。ウタがいろいろな面倒なことのうまい放り出し方を知っている子なせいかもしれなかった。
「その魅力は、12年も生きて人生を折り返した自分にも当てはまるみたいで。兄は、ほかでもない彼が2年間祈り続けてこの世に生まれ出た僕のことも、ひいては兄自身のことも、儚い一夜の夢でしかないと。だから兄は好きなファッションをするし、野郎なのに化粧もたしなむ。僕はその兄の在りようが、嫌いになれないんです。そういう風に僕が言いふらすものだから、兄も『あなや、自分のなんと儚きことか』と、こじらせてしまってはいるんですが」
 ウタはいろいろなことに気づいてしまうが故に、考えをまとめる時間を必要とするキツネなのかもしれない。しかも、それに自分で気づいて、自分で時間をとっている。見習いたい志だ。
 話しながらやっていたら、大方この辺りの清掃が終わった。あっという間だった。
 ウタの家の縁側にセンリュウが出てくる。何事か手招きしている。
「ウタ。保護官。『王家』が来る。離れたほうがいい」
「王家?」
 僕がきょとんとしていると、センリュウが靴を履いてこちらまで来る。その間も待たずに、その『王家』がお出ましになった。ウラてめえ、とあいさつを添えて、王家の兄が競歩で寄ってくる。
「保護官てめえ、ウタに何した。ウタにちょっかいかけていいのは俺だけなんだよ」
 サイズの大きすぎる制服に白タイツ、加えて金髪に赤い三つ編みのほう、ミリレンヌが、尻尾も耳も逆立てて僕に凄んでくる。
「まさか。僕がなんでウタに……」
「『まさか』も『なんで』も判りきってんだろ、ウタの財布だって限りがあるんだよ、ウタの財布も、ウタをいじくりまわす権利も、俺のものなんだよ」
 ケッ、と凄み終えた風に、ミリレンヌは僕に寄せていた顔を離した。そしてウタのほうへ向き直る。
「ウタ、今日は何の日だ」
「今日は肉まんの日です」
「オラそいつ買ってこい。わかってんだろうな」
 ウタは丁寧に、「行ってきます」と言った。そして食料を管理しているトルテとチリルの家へと、小走りで向かったようだった。
「ミリレンヌ……」
 センリュウがこの世の終わりのような表情をしながら、ミリレンヌに声をかける。
「僕は大河レミミル川を上るアトランティック・サーモンの気分だ。僕の胎に待つのはウタ、そして大きな大きなレミミル川の水滴のひとつぶはミリレンヌ、君だ」
「……おう」
 ミリレンヌが全く何を言っているのかわからない、といった風に頷いた。センリュウはそれに気をよくして、家に戻っていってしまった。学校の準備も家事もあるだろうし、忙しそうだ。けれど恐らくセンリュウは、ミリレンヌをたしなめたかったのだろうと思う。
「兄さんどうしたの、今日は日直でしょう、早く行こうよ」
 あとから追いついてきた、腰にスカーフをまとった制服に白タイツを履いている、ミリレンヌの弟のほう、ロシリンダが困った顔をして寄ってくる。
「おう悪い、いまウタが肉まん買ってくっから……」
「まーた兄さんはウタちゃんにおつかい頼んだの? あんまりやるとますますミタビちゃんが兄さんのことを怖がってしまうよ。ミタビちゃんは兄さんがウタちゃんにカツアゲしてると信じてるんだからね? ウタちゃんがちょっと寄り道しただけで兄さん大声上げて心配して探すんだから、可愛い子に旅をさせたらだめな世の中だよ」
「おい、おい、ロシリンダ、あんまり言うな」
「はいはい、懲りてね」
「はいはいはい」
 王家とあだ名のついた兄弟のはいはい合戦を聴いていると、ウタが肉まんを抱えて、また小走りで寄ってくるのが見えた。
「ミリレンヌさん、これ、肉まん、です」
 走りすぎて息が切れたようだ。寒さで白い息が激しくウタの気道を行ったり来たりしている。
「おうおう、わかってんじゃねえか。よくやったウタ、駄賃だ受け取れ」
「ありがとう、ございます」
「あっ、じゃあ僕もお駄賃あげるよ。いつも兄さんがごめんね」
 ミリレンヌとロシリンダ両方から駄賃をもらい、ウタはお辞儀を繰り返している。
 そして僕のところにも来た。保護官さんも肉まん、どうですか?
「じゃあ、ありがたくいただこうかなぁ」
 僕の手は自然と財布に伸びていた。


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