ツガイメギツネ-LOVELESSES

第六話 男、ホスト、十六歳



 マァネがスラムで死んだらしい。やはり頭を打っていたのだ。もっと強気にマァネを止めていれば。ミダの息のかかった病院でないところで診させれば。ミダをもっと早く処分していれば。クレープを食べようなんて言わなければ。たられば尽くしで嫌になる。
 涙が止まらない。今日は店には出勤しなかった。事情を話すとスタッフはわかってくれた。話した帰りに、大量に妖酒を買い込んで、家で飲んでまた泣いた。
 酔っ払い、気が大きくなり、ガレナ先輩に電話してみた。ガレナ先輩は急いで来てくれた。事情を話すと、ガレナ先輩は僕を抱きしめてくれた。僕は弟の死を利用してでも、ガレナ先輩に抱きしめられる時間を幸福だと思った。最愛のひとというものは、別の方向の最愛を失ったときに、必要なものなのかもしれない。
 そのあとガレナ先輩は、僕を抱きしめたまま、熱がある、と言った。酒のせいか、最愛を失ったせいかどうかはわからない。でも、ガレナ先輩が傍にいてくれるなら、なんだってよかった。ガレナ先輩はチーズのおかゆを作ってくれた。けれど、そのあとの電話に出ると、ごめん行かなきゃ、と残し、行ってしまった。僕はおかゆを大事に食べることにした。夏なのですぐに傷む。一食ごとにわけて、冷凍庫に入れた。明日はガレナ先輩の手料理で過ごせる。
 ガレナ先輩はそのあとは戻ってこなかった。代わりにメールで、兄さんを亡くした、とあった。身内をなくした感覚を共有できているようで、嬉しさを覚えてしまった。ガレナ先輩のお兄さんに挨拶くらいはきちんとしたかったなと思った。
 弟の死が色褪せるのは、ガレナ先輩のおかげですぐだった。我々ツガイメギツネは水葬式の墓地を持つ。ガレナ先輩に、一緒に弔いに行きましょうと携帯電話で誘うと、ガレナ先輩は、ありがとう、と応えた。ガレナ先輩の、そういう腰の低さを、僕はこの上なく尊いと思っている。
 学校を休み、ふたりで墓地に行くことになった。墓守はカザセという女性の保護官だ。少し変わったひとだ。僕がホストになってすぐ、とある先輩が他界した。お世話になっていたので、弔辞には同席した。カザセは楽しくなさそうに仕事をする墓守だった。楽しそうにやる仕事ではないのだろうが、あまりにつまらなさそうなので、却って先輩の死を軽んじられたような気分になったものだ。
 ガレナ先輩と、サミミレ地区の郊外にあるその墓地まで、タクシーで向かった。バスや電車で青春らしく楽しんでもよかったかもしれないが、ガレナ先輩に、軽薄な男だと思われたくなかった。
 墓地につくと、カザセは露出の激しい服装で細い煙草を吸って待っていた。夏とは言えど、勤務中に、ピアスのある臍と、刺青のある肩、チューブトップに、ミニスカートからはハイヒールに網タイツにガーターリング、と、仕事を軽んじているほかない服装だ。ただ、今だけはそれが僕の救いだった。マァネの死は忘れて、ガレナ先輩と幸せになれと言われているように感じた。マァネのことは、もう遠い過去のように思っている。
 カザセは僕とガレナ先輩を一瞥し、煙草の灰をとんとんと地に落とした。何も言わずに墓守小屋に入っていく様は亡霊のように現世を厭っている。そして手のひら大の小石と彫刻刀をふたつずつ持って出てくると、地面に置き、サッカーボールよろしく僕らのほうに蹴って寄越した。僕たちから三十センチほどのところに転がった小石と彫刻刀の奥で煙草をふかす。
「ちょっと……」
「渡す時に刺さったら危ないでしょ」
 物申しかけたガレナ先輩に、カザセは素っ気無くそう返した。石と刀は僕が拾った。ガレナ先輩に渡す石と刀を、この僕が拾った。
 カザセはそのまま近くの大樹に寄りかかり、大きく煙草をふかす。
「ガレナ先輩、故人の名前を石に彫るんです。こっちに机があるので、こっちでやりましょう」
 ガレナ先輩は確認するようにカザセを見た。カザセは煙を吸い込みながら顎でベンチを示した。
「……わかった」
 ガレナ先輩は機嫌が悪そうに、ベンチに座り、彫刻刀でミカと彫り始める。ガレナ先輩の人間らしい一面が見られて、少し嬉しく思った。そればかりが頭を占めて、僕は一瞬何と彫ればいいのかわからなかった。手は自動でマァネと彫っているようだった。
 石には名前を彫り終えた。するとカザセはぬっとこちらを覗き込んだ。
「ふたりも死んだの」
 疑問形ともどうとでも取れるイントネーションだった。だがふたり死んだことはカザセは知っているはずだった。なぜならカザセは石をふたつ持ってきている。何かの確認かもしれなかった。すぐに考えを諦めた。ファーストインプレッションからずっと、この女性を理解することはできないとわかっていた。そういう相手は、僕は善人だと思うことにしている。もしも悪人だと思うと、この世のほとんどが悪人になる。
「あんたたちも吸って」
 墓地に入る前に、カザセは煙草を箱ごとこちらに放った。僕が受け取って、ガレナ先輩に説明した。
「ガレナ先輩、墓の周りの花の煙草です。タールやニコチンは入っていません。体を清める儀式です」
「ありがとう」
 僕が説明すると、ガレナ先輩は慣れない手つきでつまむように煙草を持った。ジッポは僕が持っていたので、火をつけてあげた。カザセはこちらを見て、ニイと笑った。笑顔に悪い印象は持たなかった。ここはあまり人と接する機会のない職場なのかもしれない。それゆえに、カザセはこういう振る舞いしかできないのかもしれない。だって、僕とガレナ先輩を見る眼差しは、慈愛すら感じられる。きっと、さみしいひとなのだ。
「こっち」
 特に咳き込むこともない、不思議な煙草をふかし終えたころ、カザセが歩き出した。ツガイメギツネには死体が残らない。それゆえ、この名を彫った石を、決められた湖に投げ入れ、葬儀とする。
「投げて入れて」
 カザセに言われるまま、湖に石を投げ入れる。カザセが足元の花を二輪摘んで、こちらに渡す。こればかりは意図がわからず、僕らとカザセはしばしにらみ合った。
「甘いから」
 カザセはそのうち一輪を、口に運び、蜜を吸い込んだ。カザセなりの気遣いなのかもしれない。
 僕は花を受け取り、真似してみる。ホストとして働いているときの飲みなれた酒の味がした。本当にあの酒は墓地の酒だったのだ。ガレナ先輩は僕の手にあるままの花から、蜜を吸った。甘い、と、ガレナ先輩は言った。ガレナ先輩は甘いものは嫌いだっただろうか、あまりおいしそうではなかった。なら次の贈り物はティーセットにしよう。珈琲と紅茶、どちらが好きだろうか?
「そういえばガレナ先輩、お兄様の葬儀となると、人が来たがったんじゃありませんか?」
 花の酒で気が大きくなり、そんな会話の切り出し方をした。ガレナ先輩は、それはね、と言葉を切った。迷った様子で、僕に言う。
「静かなほうが、よく眠れるから。兄は眠りが浅いひとだった。事務所と話して、兄さんは行方不明ってことにしてある。ただ、保護官の間では『事故死』だってわかってる。機密だから、他言しないでね」
「わかりました」
 ガレナ先輩と秘密を共有する。天にも昇る気持ちだった。このまま先輩と仲良くなって、毎週一緒に遊んだりする仲になりたい。僕は今日は仕事に行こうと決めた。ガレナ先輩に自慢できることが、僕には仕事しかない。
 簡単な葬儀だったがそれも終わり、墓地を出ると、ナズナ保護官がガレナ先輩を迎えに来ていた。ナズナ保護官はカザセを見ても、何も変な反応はしなかった。ナズナ保護官はカザセに偏見を持っていないようだ。
「じゃあ僕は、行き先が違うので。ガレナ先輩、今日はありがとうございました」
「うん、こちらこそ、ありがとう」
「ナズナ保護官、よろしくお願いしますね」
「ええ。ニィネも気を付けて」
 ナズナは運転してきた車にガレナを乗せ、行ってしまう。僕は二駅ほど先の電車を利用することにした。心が浮足立って、風に当たりたい。それに、気になることもある。最近、ミダを見ていない。新しい一歩になる日を、彼女に汚されたくなかった。
 この辺りは再開発が盛んに行われ始めている。至る所が工事中だったはずだ。そう思い、上を見上げると、ちょうど鉄骨が僕めがけて降ってくるところだった。
「ニィネ!」
 考える暇なく、悲鳴のような声が聞こえ、僕は弾き飛ばされた。轟音がする。思わず閉じていた目を開けると、ミダが僕を突き飛ばしたようだった。ミダの三センチメートルのハイヒールの足、その数センチメートル先は、アスファルトを砕く鉄骨が刺さっている。
「ニィネ、大丈夫……?」
 見上げるミダとの馴れ初めを思い出していた。ぱっと見る限りでは、可愛らしいひとなのだ。本能的に胸が高鳴っていた。
「ねえ、弟さんのお葬式はどうだった? わたし、あそこの保護官には嫌われていて、入れなかったの。ねえ、ニィ……」
 ミダが僕のお尻のあたりを見て、言葉を切り、息をのんだ。弔辞用のスーツが、下着までも破けて、僕は右の臀部を擦りむいていた。
「わたしが、いくらの想いをかけたと思っているの?」
 ミダが半端に笑ったままのいびつな顔で僕を見ている。
「お金も時間も愛も、あるだけあげたじゃない。なんでおまえはそんなに見苦しいんだ!」
 途中から語気が異常に強くなり、ミダは狂った犬のように泡を吐きながら僕を罵った。
「最低! 最低! おまえを愛したのは愚かだった! 許さない。素敵だったニィネを奪ったおまえを許さない! おまえはニィネじゃない! おまえはわたしのニィネを殺した! 死んで詫びろ、裏切り者!」
 ミダは喚き散らして、先程降ってきた鉄骨の、大きなねじのような部品を両手で持ち上げた。ひとの掌ほどの大きさだが、重たそうだ。
「死ねるだけありがたいと思え、穢れが」
 ミダは最後につぶやくと、僕の左胸に、鉄骨を投げ下ろした。肋骨はもはや役に立たなかった。心臓は、いちばん奪われたくなかった相手に、奪われてしまった。最期だろう。僕は願った。ミダが、ガレナ先輩の胸を潰して殺しますように。ガレナ先輩と同じところに、僕の心臓がありますように。





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