ツガイメギツネ-LOVELESSES

第八話 女、ひとりっ子、十八歳



 ツガイメギツネは、兄や姉として生まれると、弟か妹ができるまで、決まった神殿で祈り続ける生き物らしい。
 私は、それをしなかった。ツガイメギツネだからと言って、どうしてそうしなければならないのか? たとえば人間は言葉を話すが、インフルエンザで言葉を発せない者は人間ではないのか? 私はそのひとも人間だと思う。同じことだ。私はツガイメギツネだが妹も弟も要らない。
 そうやって生まれてみたら、不思議なことに、知恵のある人間たちがこぞって私を保護した。孤独で可哀想だとか、珍しいケースだからとか、いろいろな理由をつけて、居心地のいい部屋とおいしい食事、ピアノの習い事に、多額のお小遣いと、愛情を注いでくれた。十六歳くらいの外見でこの世に生を受けた私を、たくさんの人が愛した。生まれてすぐ、私は手厚い保護を受けながら、保護官と肉体関係を持った。別に恋愛感情はなかった。私が体を開くことでコミュニケーションが取れる。それが会話のキャッチボールと何が違うのか、私にはわからない。
 しばらく人間たちが寄越す子羊のグリルや合鴨のローストを食べる生活が続き、学校へも通って、ツガイメギツネの友達もできた。けれど、その生活に、ニィネが現れた。彼は学校へ行かず、少し悪い人間たちが楽しむためのバーで働いていた。私は彼に親近感を覚えた。いろいろな薬や煙草、酒を与えられて鑑賞される彼を見ているうちに、私は彼を愛したいと思うようになった。確かに私は弟も妹も必要ない。それは私に愛が欠如しているからではない。ニィネを愛せば、それが証明される気がしていた。事実、私は愛を知っていた。人間たちが与えてくれるのが愛だ。高級な食事、良質な服飾、性行為、望むだけのお小遣い、それらが愛でなくて何だというのか?
 そのあと、ニィネと接触して、思いつく限りの愛を注いだ。紅茶の茶葉が徐々に湯を茶に変えていくように、ニィネは段々と私を好いてくれるようになった。ニィネのお店に行って指名をして、お酒を頼む。ただそれだけでニィネの愛はすぐに得られた。だが、茶葉を入れっぱなしにした紅茶が苦くなっていくように、ニィネは私を避けるようになっていった。簡単な理由だ。極上のローストチキンを食べすぎると燻製のにおいが不快になっていくのと同じだ、ニィネが私の愛を食べ飽きたのだ。
 しかしながら、それは通過点だった。私は『人気ホストに付きまとう邪魔な女』という地位を手に入れた。ニィネは私がそうあることを否定しなかったし、人間たちも、私が困難に負けない無償の愛を注ぐ対象があることを喜んだ。店の出待ちもしたし、贈り物に盗聴器を入れたり、ごみを漁ってニィネの飲んだ酒の缶をコレクションしたりした。誰にも教わらなかった私だけの愛だった。ニィネを愛し続けるために、私は人間に抱かれた。たくさんの人間に愛される、魅力のある女性であることを心掛けた。ニィネの望む、鬱陶しい、魅力的な女であろうとした。嫌われ役でも、ニィネの思い通りになることが愛だと信じた。
 その生活をしていたら、ニィネが恋愛感情を覚えたことに気づいた。ガレナというツガイメギツネに、ニィネは恋をしていた。ニィネの日記帳には、ニィネなりの愛の形が克明に記されていた。ニィネは控えめで珍しい身なりのガレナに恋をしていた。私は服を上品で控えめなものにして、兄弟を持たないツガイメギツネという珍しさを前面に出し、ガレナと同じように周囲の同情を買った。私とガレナと、何が違うというのか?
 私の周りには力のある人間が多くついていた。たとえ私が殺したい人間を殺しても、人間たちがうまく処理をしてくれた。何人殺しても、人間たちは口を揃えて、「ミダちゃんは寂しいんだね」と繰り返した。そして私を抱いた。
 やがて、ニィネは、今までくすぶっていたガレナへの恋情を燃え上がらせ始めた。私は別にニィネの一番でなくてもよかった。ニィネが理想とする存在になることが愛だと思った。ニィネはストーカーを演じている私に殺されることを考えの隅に置き始めていた。私もまんざらでもなかった。ニィネを殺したらそれはニィネの理想を最大限に再現していると思った。だが、手配した人間のミスで、ニィネの代わりにニィネの弟を手にかけてしまった。慌てるニィネは私だけを見てくれた。幸せがあった。私は正しいのだと確信した。
 だが、その少しあと、ニィネが、事故とはいえ、見苦しい姿を晒したことは、私のすべてを裏切った。もう私が愛したニィネはいなかった。私のニィネは、格好悪いほうのニィネに殺されたのだ。ならば、私のニィネの仇をとろう。私は見苦しいニィネを殺めた。これで、私だけの格好いい完璧なニィネは守られた。だが困ったことが起きた。格好いいニィネが恋しくなってしまった。私は欲求が満たされなかった経験が今までになかった。耐えられなかった。私がどうあれば格好いいニィネに会えるのか、頭を絞って、冥土までヘリで飛ぼうと思った。自家用ヘリコプターは、私には操縦経験がなく、墜落するのはわかっていた。墜落死はニィネに近づける気がしていた。私の格好いいニィネはアスファルトの上で金属に潰されて死んだ。ヘリコプターでそれを再現しようと思ったのだ、そして……。
「おはよう、可愛いツガイメギツネさん」
 私はどうやら助かってしまったらしい。
「お兄さん、ここは?」
「サララビ地区のルメメル病院だよ。お嬢さん、ヘリで墜落してきたんだって? 運がよかったね、病院のすぐ横の公園にある広葉樹林に引っかかったんだって」
 私が体を起こすと、若い男性のナースが笑っていた。
「特に外傷もないけれど、しばらく目が覚めなかったし、ちょっと安静にだなあ。どこから来たの?」
「私は、サララビ地区のルウ街から」
「都会の女の子なんだね。じゃあテロとかにも詳しいのかな? サララビ地区っていうと、今はガレナが猛威を振るっているから、気を付けるんだよ」
 ナースは『ガレナ』と口にするときに、やけに自慢げだった。自分に酔っていることがありありとわかる。水仙が湖に映った自分を愛でるのは、水仙が美しいからだ。野良犬が自分を愛でても、耳元の泥や目ヤニが見苦しいだけだ。
「ガレナさんが?」
「知り合い?」
 ナースは目を見張った。
「ガレナさんとは交流があります。ガレナさんが、何をしているって……?」
「テロだよ。ツガイメギツネの墓地に火を放ったり、学校をめちゃくちゃに破壊したりしている」
 私はガレナがそれをするところを想像しようと思った。けれど、とてもではないが、難しすぎた。
「あんな無垢なひとが、テロ?」
「あのミカの弟なんでしょう? 白い毛並みで、紫の目。ミカのほうは緑だったっけ、コンタクトレンズ会社がこぞって研究して似せた色を作っていたね。ミカも炎上商法が多かったし、やっぱり兄弟、似るのかなあ」
「ミカさんとガレナさんが似ていると思ったことはないわ」
「相当詳しいね? アツいね、界隈じゃ、もう話題はガレナのことだよ。悲劇の白キツネ兄弟、兄を亡くして非行に走った憐れな弟。ねえ、詳しく教えてよ」
 ナースの劣情を見抜くのは簡単だった。私はどうやら、その辺の男性を魅了する色気のようなものがあるらしい。豊満なバストのせいか、つやのある黒髪のせいか、人形のような顔立ちのせいかはわからない。どれでもよかった。私はそのナースを求め、ナースは私を求めた。こんな可愛い子を抱けるなんて夢みたいだ。ナースはそう言った。病院のベッドは普段私が使っていたものよりも質が悪かった。ナースとの関係はホワイトな勤務体制のせいで短かった。私が「外の空気を吸いたい」と言うとナースは屋上への鍵をくれた。都会の子には珍しい自然いっぱいの公園があるよ、と教えてくれた。私は、ありがとう、と笑ってみせた。ナースは頬を染めながら、君は本当に素敵な女性だ、と残してシフト通りの巡回に行った。またね、と言われたが、私はただ、そうね、とあいまいに答えた。
 私は一目散に屋上へ向かった。鍵を開けると、なるほど自然の多い眺めだった。けれど、私はそれを楽しむ余裕はなかった。私は格好いいニィネに今すぐ会いたい。ためらいなく病院の屋上から身を投げた。私のニィネ、死ぬほど好きです。だから死んだら、また私を鬱陶しがってください。私はどこまでもあなたを追いかけ回して、あなたの理想の女になります。だからあなたは、いつまでも私の理想の愛の対象であってください。じゃないと、私は、ほかの誰かを愛さないといけません。




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