ツガイメギツネ-LOVELESSES

第九話 男、テロリスト、十八歳



 ニィネが亡くなった。工事現場近くで事故に遭ったらしい。学校を休んですぐ、ニュースで知った。ナズナに電話で連絡してみたが、珍しく応答がない。情報を得ようと、学校へ行った。
 学校では、キツネたちは噂話で持ち切りだった。ニィネが亡くなったんだって、弟のマァネもでしょ、私実はあのひとのこと気になってたの、マァネは毛並みを脱色するなんてしたら学校には来られないものね、でもそんなところが魅力だったよね、ねえ私の担当の保護官が最近ずっと休んでるの、怖いよねえ。信憑性のない噂話が嫌になり、学校を早退した。
 ナズナに連絡がつかないのならば、タスキ保護官に会いに行ってもいいのかもしれない。僕はささやかな茶菓子を買って、学校の連絡網からタスキ保護官の部屋番号を調べた。保護官は寮で暮らすため、部屋番号さえわかればすぐにでも訪問できる。
 寮に入り、タスキ保護官の部屋をノックした。ドアを開けたのは他でもないタスキ保護官だった。
「おや、いらっしゃい、ガレナくん」
「タスキ保護官……」
 久しぶりに自分が口を開いた気がした。声を出すと、何かがはち切れそうになり、涙が出てきた。タスキ保護官は僕を部屋の中に入れて、僕の背をさすってくれた。
 僕が落ち着いてくると、お茶を淹れてくれた。僕が持ってきた茶菓子も、皿の上で小ぢんまりと食べられるのを待っている。
「お気の毒でしたねぇ、ガレナくん」
「ありがとうございます……」
「話くらいなら、聞けますからねえ」
 少し黙って考えた。何から話せば、胸の苦しさはなくなるのだろう。例の女学生の事件のお礼を言おうと思ったが、口を突いて出たのは別の言葉だった。
「タスキ保護官、罰って、あると思いますか」
「罰ですか」
 急に変な話をし始めてしまったが、タスキ保護官は真摯に聞いてくれる。
 僕は続けた。
「今までにしてきたことの報いを受けるというか、そういうのがあるって言うなら、僕は見てみたい」
 ただ、僕は続きを言えなかった。当然のように生まれた会話の空白で、タスキ保護官は何か考えてくれているようだった。
「ガレナくんは、罰を受けるようなことをしたんです?」
「いえ……」
「きっと、気にすることはありませんよ。悪いことは、咎められるべきだ。でも、咎めすぎてもいけない。難しいところですねぇ。人が人を罰するっていう行為に関しては、定期的にいろんな意見が出てきますからねぇ」
 じゃあ、神様が罰するっていうことはあるんでしょうか。
「どうでしょうねぇ、ここは信教の自由が認められていますから。僕はね、基本的に、物事を好きなように受け止めていいと思っています。起こってしまったことは、なるたけ、有意義に活かしていきたいですからねぇ」
 兄の死は、僕のせいなんです。
「だからって、ガレナくんが罰されるゆえんはありませんよ。ミカくんは事故死でしょう、誰かの死は、仕方ないものであって、誰かが事故で亡くなったからといって、あとから悔やんでもどうしようもないんです。ガレナくんは、ミカさんの死や、自分の出自とか、そういうものから、そろそろ楽になって、自由に生きてみてもいいんじゃないんでしょうかねぇ」
 自由。
「僕はね、ツガイメギツネが、片割れを亡くしてから物凄い勢いで弱っていくのを見てきました。ガレナくんには、そうなってほしくないんです。謹慎中なのに不謹慎かもしれませんが、切り替えてしまって、もっと幸せな道を探しても、いいような気がするんですねぇ」
 わかりました、探してみます。兄さんみたいに振舞えたら、とか、ニィネみたいに働けたら、とか、ミダちゃんみたいに奔放になれたら、とか、いろいろやりたいことはあります。
「目標があるのはいいことですねぇ、ただ、誰かを目指して、その誰かになれなくったって、ガレナくんの価値みたいなものは、失われませんからね。ガレナくんがいるだけで、幸せになるひとがいるんですから、僕みたいな謹慎中の保護官に癒しをくれる、これはね、ちょっとした悪いことではありますけれど、僕からしたら幸せ以外の何でもないんです」
 なら、よかったです。
「ナーニャが居ないときには、僕でも誰でも、近くのひとを頼ってくださいね。いま、少しナーニャは留守にしていますので」
 留守?
「ええ、ちょっと出かけているみたいです。ナーニャが帰ってきたら、またナーニャに相談してみてもいいかもしれませんねぇ、彼女は僕より数段、頭も腕も切れるひとですから」
 タスキ保護官の部屋を出るときには、きちんと笑えていた気がする。気分が前向きだ。僕は、自由になっていい。足は、兄の眠る墓地に向いていた。
「ん」
 カザセ保護官は、何かを察した様子で、僕が墓地に入る手続きを済ませてくれた。煙草を吸わせたり、名簿に記名したりといったことだ。
 兄の墓標が眠る大きな湖を前にする。
「兄さん」
 兄さん、僕は、兄さんがたくさん悪いことをしてきたのを見てきた。だから、兄さんがどういう風に罰されて死んでいくのかを、ちょっとだけ見てみたかったんだ。
 足元の花に、火をつけたマッチを近づける。アルコールが含まれた花ということで、よく燃える。僕の裾に火が燃え移りそうになり、慌てて墓地の外に出た。
 カザセと鉢合わせた。キャンプファイヤーでも見に来るような様子だった。
 ひとこと、僕に訊いた。
「あんた、これでいいの」
「ええ」
「火、消すからね」
「ええ」
 カザセが消火活動に入ると同時に、僕は墓地を離れた。カザセはこうなることがわかっていたようだった。なぜならば、鉢合わせたときに消火器を持っていた。しばらく、酒は採れないだろう。
 僕はすっきりとした気分で、自宅に帰った。ミカの収入のおかげで豪華な家だ。今はもう、僕の家だ。夕暮れが綺麗に見える。先程の炎が脳裏をよぎった。ミカやニィネ、ミダへの憧れは、先程の炎で一緒に燃えてしまった。
 夜のことだ。僕はミカがよくつるんでいた、よくない人間たちに連絡を取った。ミカの弟だと言うと、すぐにレスポンスがあった。ご愁傷さま、お気の毒に、ご冥福を、そんな言葉がたくさん流れてきた。ミカはやっぱり悪いひとだったのだ。悪い友人たちが、ミカが死んでなお、悪いことを続けているに違いない。
 僕はもっと、天罰が見たかった。全員に、学校裏に来るように言った。
 集まったのは、七人ほどの大人の人間たちだった。僕はまず、兄さんへの弔いだと言った。全員頭を下げた。そのあと、僕は野球部のロッカーから持ってきた、古びた木製バットを手に取った。いちばん体格のいい男に渡した。弔いだ、学校を破壊しよう、できるだけ滅茶苦茶にしよう、跡地には学校に通る水道管から出る噴水くらいしか残さないくらいに。全員、一瞬ぽかんとした。僕が学校裏の門の蝶番を蹴る。古い蝶番だったので簡単に壊れて、扉が取れかかった。アール・アイ・ピー。僕がそう言った。誰かが復唱した。簡単に合唱になった。アール・アイ・ピー、アール・アイ・ピー、全員が繰り返しながら、学校の窓をバットで叩いて割ったり、コンピュータ室にバケツで水を振り撒いたりした。思い思いの方法で、皆ミカを弔った。僕は途中から眺めるだけにした。この人間たち全員に、天罰を与えるのだ。祭りも終わりかけた頃、僕はこっそり写真を撮り、全員にお疲れ様と言った。少なくてごめんねと、持ってきていた、ミカの私物で小さく高価そうなものを割り振って与えた。リュックが来た時よりも相当軽くなった。深夜を回っていた。僕は保護官の駐屯所に写真を送り、自分は海への電車に揺られた。駅から海まで、ゆっくりゆっくり歩いた。朝焼けが見たかった。今日は風が強い。
 出っ張ったコンクリートに腰かけ、海に昇る朝日を見た。海はもう漁師たちで賑わっている。
「ガレナかい」
 後ろから声をかけられ、振り返った。ソフトクリーム屋の、顔なじみのおじさんだった。
「入んな」
 おじさんは人目を気にするように、開店の三時間前のカフェに入れてくれた。
「バニラでいいかい」
「はい」
 おじさんはソフトクリームを作ってくれながら、話す。
「いかれっちまったのかと思ったよ」
「何がですか」
「おまえさんだよ。指名手配が出てる」
 おじさんがソフトクリームをくれる。僕は受け取った。ありがとうございます。
「ミカもびっくりしてるだろうさ、あのおとなしいガレナが、自分よりワルになったって」
「ミカを殺したのは、僕なんですよ」
「事故死なんだろう?」
「僕が殺しました」
 おじさんはしばし黙った。考えをまとめるように珈琲を淹れ始める。豆を挽く機械が大きな音を立てた。
「ガレナ、おめえ」
「兄はたくさん悪いことをしました。だから、あれは僕が下した天罰なんです。学校の件も似たようなものです、それに」
「そうじゃねえ、おめえ、尻尾が」
 僕は自分の尻尾を見た。ずいぶんとボリュームがなくなって、汚れが目立つ。
「もう十七年生きましたからね。兄も死んで。弱ってるんでしょう」
「おめえ、何しに海に来たんだ」
「船に乗りたいんです。海外に行きたい」
「何しに」
「単に、いろいろなものが見たいだけですよ。保護官も言いました。僕は自由になっていいって。ちょっと疲れました。リフレッシュしたいですね」
 おじさんは珈琲を飲んだ。そのあと、奥に引っ込み、大きな段ボール箱を持って来た。
「貨物船が出てる。うまいこと乗せてやれるかはわかんねえが、もうおめえが船に乗るならこれしかねえ」
「ありがとうございます。ソフトクリーム、おいしかったです」
「船の中で吐くなよ」
「ええ」
「これくらいしかしてやれなくてごめんな」
 おじさんが鼻をすする音が聞こえ、僕はおじさんの顔を見た。おじさんは泣いていた。
「いえ。助かります」
 そうやって僕は貨物船に乗った。乗り心地は、よくはなかったが、ミカの遺品がいい暇つぶしになってくれた。携帯電話の明かりで遺品をひとつひとつ見ていた。ピアス。コップ。ネックレス。時計。それに、僕の十七の誕生日に、ミカがフロアを貸し切って選んでくれたシャツ。いちばん安っぽいのに、なぜ持ってきてしまったのだろう。いちども袖を通すことがなかった。兄のことが嫌いだったわけではない。ただ、天罰というものがあるのなら、逆に自分は天恵に浴してもいい存在だと思えた。今までずっと、白い毛並みと、アイドルのミカという存在に縛られてきた。今度は、僕が幸せを感じる番だろう。
 携帯電話でニュースは欠かさず見ていた。隣町のサララビ地区で、保護官が不祥事を起こしたらしい。穴埋めに、サミミレ地区の保護官が左遷されるらしい。保護官の教育やら研修やら何やらのいろいろな手配で、四年を目途に人事異動があるという。恐らくはタスキ保護官だろう。僕は彼も、天恵に浴するといいと思った。
 船の中は寂しいくらいにうるさかった。もっと静かなものだと思っていた。「人を殺したいと思ったことはありますか?」と訊いてきた女学生、僕は最近初めて思って、実行しました。兄の彼女、ユカリ、兄なんかを好きになってくれてありがとうございます、まともにご挨拶もせずにごめんなさい。ニィネのおつきのミヒト、ニィネと僕を繋ぎ合わせてくれたありがたいひと。ニィネの弟、マァネ、クレープ、美味しかったです。兄のミカ、今頃地獄に落ちていなければいいけれど。いろいろ優しくしてくれたニィネ、あの頃は眩しく見えていたなあ。保護官のナズナ、僕の周りの面倒は全部引き受けてくれた、きっと職務以上に頑張ってくれたのだろう。自由な女の子、ミダ、ニュースでサララビ地区に自家用ヘリコプターが墜落したと見た、あれってミダちゃんだよね?
 カレイドスコープのように思い出す。いろいろなひとと出会った人生だった。ただし、僕は誰にも責められるいわれはないのだった。皆、僕を置いていった。僕は孤独だ。
 兄のくれたシャツを握りしめる。涙が出ていた。寂しい。口の中にバニラの味がよみがえる。ソフトクリーム屋のおじさん、彼は泣いていた。一生懸命手を尽くしてくれた。それに、保護官タスキ、彼は、きっと僕が海外に渡っても、いずれ僕を見つけ出してくれるだろう。
 いろいろなひとと出会った人生だった。でも、誰のことも愛せなかった人生だった。僕を置いていった人たちは皆、誰も、誰かを愛してはいなかったと思う。人間なんて、ツガイメギツネなんて、そんなものなのだと思う。僕だけに愛が見えていないのならば、その限りではないと思うし、そうであればどんなにいいか。少なくとも僕は、皆に兄のつがいとしてしか愛されなかった。
 僕は十八を迎え、死んだ。今頃、貨物船にはあのシャツが段ボール箱に入って揺られている。







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