ツガイメギツネ-LOVELESSES

墓守カザセの日誌・月曜日の朝



 煙草の煙が安定しない。
 私は土曜と日曜に休みが指定されているが、特にやることもないので、毎日、この美しく不気味な墓地の墓守をしている。
 特にやりたいこともない。不自由なく暮らしているし、ファッションやメイクも好き放題している。特に誰も訪れない墓地だ。林檎が三つ買えるくらいの値段のスカートと、カラオケ一回分のノースリーブ、刺青は高かった、代わりにリング付きのガーターストッキングは煙草よりも安い、私が着る分には問題のない身だしなみだと思っている。
 私の趣味も、この墓地の花に水をやるくらいだ。私はそれくらいにつまらない女だ。普段はこのようなことを考えることはないが、今日は煙草の煙が乱れている。この墓地の何かが、怒っている。
 今は月曜日の朝だ。仕事は特にない。煙の乱れる煙草を吸うことくらいしかやることがない。それは望ましい。墓守の仕事などない社会は、望ましい。私が必要ない世界は、望ましい。
 日誌をぱらぱらと眺める。問題ない。事件がない日々が続いているのはいいことだ。仕事の少ないことは、いいことだ。
 ふっと彼女を思い出す。仕事がなくなったら死んでしまいそうな友人だ。遊びらしい遊びもせず、ただ正義を背負い、ただ護るべきものを護り、それは我々、保護官という職業に適任かもしれない。ただ、人間としては適任ではないと思う。彼女は自動ドアに生まれていれば幸せだったと思う。人間は、自動ドアのようには生きられない。ただ開け閉めをするだけの人間は、どんなに仕事人間でも、自動ドアにはなれない。必ず、笑顔で開けてみたくなったり、逆に自動ドア業が嫌になったり、そういった雑念から、毎日自動ドアになりきることはできない。
 ただ、彼女のような仕事人間は、不思議なことに、私のような不真面目な仕事人間よりも、評価が高い。私は特に不満はないが、ある種の異常性を感じる。
 歪んだ信仰を感じる。
 自分を殺して職務に忠実に、朝も夜もなく働く。最悪だと思う。別に彼女がつらかろうがつらくなかろうが関係ない。私はいわゆる仕事人間を忌避している。彼女のことは友人だと思っているし、彼女を尊敬しているが、彼女を仕事人間にさせてしまったこの社会を、異常だと思う。
 どうでもいいことに考えを巡らせていたら、墓地のほうで気配がした。動き回っている何者かが居る。自分はここにいる、と、主張している何かが居る。墓参りに来たツガイメギツネが、決意新たに命の輝きを発しているのかもしれない。あるいは、もういなくなったものが、何事か物申したくなり、アピールしているのかもしれない。
 とりあえず墓地に向かった。真っ白いキツネが墓地に佇んでいた。白いキツネというと思い当たるキツネがいるが、彼らではない。
「つい最近までは、死なないように、生きているように怒られたのにね」
 ゆらゆらと陽炎のように見える真夏の水辺、そのキツネは言っていた。
「今はここにいようとすると怒られるんだね」
 私はただ煙草をふかした。
「命を懸けて、生きて、死んだら懸かっていた命は誰のジャックポットになるんだろう。その誰かが幸せならばいい。でもきっと、死んだ命が群がるそのひとは、幸せではないんだろう。我々は、隙のあるひとにしか、認識されない。認識されないのはつらい。だから、墓地でみんなと過ごしていることが幸せだ。でも、誰のジャックポットになったのかは知りたいな」
「誰のためにもならないわよ」
「死が?」
「生きるのも死ぬのも誰のためにもならない。勝手に生きて勝手に死ぬだけ、情けはなんとやら、勝手に生きている誰かが、勝手に誰かの存在に意味をこじつけて、あなたのためだよ、僕、俺、私のためだよ、だからありがとう、そういうやりとりは心地いいかもしれない。でも、誰かのために生きて幸せなのは、エゴイズムでしかない」
「死んだらどうしたらいいの、死んで誰かのためになったと思うのはエゴイズム?」
「あなたの死が永遠なのか刹那なのかは知らない。でも、エゴイズムは悪いことではない。生きやすいように生きればいい。死にたいように死ねばいい。存在したいように存在していればいい。むしろそうすることしかできない。だから死がつらいなら、趣味でも見つけたら」
「死んだ後に趣味?」
「可愛い子をストーキングするとか、歩いている生き物を嘲笑ったり、恋愛を眺めて別れさせるなり応援するなり、いくらでもある。私は誰のためにも生きていないから趣味もいらないけれど、それはつらくないからだから」
「ふうん。あなたは、死んでもすっきり諦めそうだね」
 そのキツネは墓地の湖に腰かけ、水で遊んでいる。
「死刑に、なりたかったな」
 それきり、そのキツネは話さない。煙草を吸い込む一瞬の瞬きの間に、そのキツネは消え去っていた。
 煙草の煙は安定していた。私と話してそのキツネは気が晴れたのだろうか。
 そのあたりで、後ろで「墓守さん」と私を探すような声が聞こえた。墓守小屋の近い入り口に戻ると、弁護士のバッジを付けた人間が、私を探していた。
「なに」
「え」
「私が墓守だから」
「え」
 弁護士はぱちくりとした。私が墓守だとは想像もつかなかったのだろう。
「墓参り?」
「まあ、そうですけれど」
「死刑になれなかったキツネなら、今いる」
「ああ」
 弁護士は悲しそうな顔をした。
「無罪だったんです、痴漢の疑いで」
 弁護士は言いよどんだ。
「ただ、私がケアできなかった」
 また、エゴイズムの透ける人間だ。
 だが、きっと人間らしい人間だ。
 私の考えのほうが、マイノリティだと分かってはいる。
 だが、この宗教じみた自責に苛まれるひとが、ここには多く訪れる。
 全員が、私のようにやることがないからここに来ているわけではないと思う。









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