ツガイメギツネ-LOVELESSES

墓守カザセの日誌・今日も問題なし



 不条理だ。その死は不条理を訴えかけている。
 最近は悲しいことに、この墓地は大盛況だ。墓守の私の仕事も多い。私は怠け性ではないが、私の仕事が少ないほうがいいのだろうとわかってはいる。
 その死は、やる気になればもう少し生き永らえられたかもしれないと言う。ただ、自分を蹴り落した存在が大きなものだったらしい。しかも複数をいちどに失い、ああ、死んでもいいかな、と、気の迷いで思ったのだと言う。
「それで、よかったの」
 私は細い煙草を吸いながら、じょうろを持って墓守小屋を出た。これからここに眠るその死を、受け入れる準備をしなければならない。とはいっても、私がやるのは、花の手入れくらいだ。受け入れ態勢が整うまで押し寄せない善良な客なんて、大学受験と緊急病棟くらいにしいかいないのではないだろうか。仕事は来る日来る日、勝手に湧いて、許可もなく押し寄せる。それに最善を尽くすことができれば、それはいいプロフェッショナルだろう。
 じょうろに、湖の水を汲んだ。不気味なほど澄んだ水だ。ふっと、触れたら指が溶けるかもしれないと恐れた。実際はなんてことはない、少しぬるくて気持ち悪かったくらいだけだった。軽く振り払うとなくなった。
 花に水をやって回る。湖の周りに、大輪の花々が群生している。恐らく根は頑丈で広く広がり、すべての花々が湖の水を吸い取って生きているのだろう。だから私が水をやらなくても勝手に生きていくだろう。だが儀礼は必要だ。電気のスイッチを押したら電気がつかないと困る。私はそのスイッチと電気の間のものだ。押し寄せる死というスイッチを、成仏という点灯に持って行ってやる仕事は、きっと誰かがやらなければならない。
「死んでよかったと思ったのね」
 黙りきったその死は、まだこちらを見ていただろうか。すぐに、言葉が、見上げた月に浮かんだ。否だそうだ。だがそれは、私の煙草の煙が揺らいだだけだったようだ、すぐに霧散してしまう。
「誰に見放されても、死んでからお前のせいだと泣き言を言ったって通じないのよ」
 それは私が、親族や、恋人に見放されていなかったから言えた言葉だったかもしれない。親族と恋人にいちどに見放された私は、同じことを言えるだろうか? きっと同じように生きることをやめてしまうかもしれない。私は愛されて育った。誰に否定されても私は愛されていたと確信している。だから、家族という世界から拒絶され、恋人という唯一からまた拒絶されたら、身を裂く痛みに襲われるのはなんとなくしかわからない。想像するしかないが、それはきっと生きることを投げ出してしまう気の迷いを生むだろうと考える。だがその迷いを感じない人格などあるのだろうか? いちども死を考えたことがないと胸を張れる人格は、もしもいるのであれば素晴らしいが、ひどく稀有だろう。私であれば、その気の迷いが起きている中で、背中を押されてしまえば危ういかもしれないと想像することはできる。
 それでも、愛されていたからこそ思う。
 死んだ後にお前のせいだったのだと、伝えるすべはない。逆も同じだ。死んでから、大切だったと伝えるすべもまた、ない。
 その死は黙りがちな死だった。まだ後悔が残っているのかもしれない。それを和らげてやるのは、他でもない家族や恋人であるべきだが、その死はそれらに見放されたと言った。ならば、私が代行しよう。
「最期に食べたかったものくらいは、供えてあげる」
 その死は黙ったっきりだ。もうここにはいないのかもしれない。しかしながら、私の煙草の煙は一瞬色を失った。きっとその死が怒ったのだ。前任の墓守からの引継ぎ業務のときに、その現象のことは耳にしていた。墓守は、墓地で何が起きても、動じてはならない。
「でもね、死んでから何かを欲しがるのは、悪いけれど、身の程知らずでしかない。往生際が悪すぎる」
 そう言葉にすると、途中から白い煙が戻って来た。納得してくれたのだろうか。
 みるみるとあたりは煙たくなった。ジッポを確認する。落として花に引火でもしたかと思ったが違った。ジッポはポケットに入っていたままだったし、何よりも煙は足元にははびこっていなかった。
 この墓地に眠るのはツガイメギツネだ。だが、その訪れた死は、違うようであった。誰かを迎えにきた風であった。
 見放してなどいなかったと、言いに来たようであった。
 だが、今更だ。
 その死はもう訪れてしまったのだ。
 ごめんね、と、言いたげな、胸の苦しくなる煙だった。
 煙が普段通りになるまで、しばらくかかった。
 煙は、死が怒っている間は色を失う。
 逆に、色が増した今の状態の話は、前任から引き継いでなどいない。
 しかし多分、これは色を失う逆の現象なのだろうのだと思う。
 その死は、その迎えを、歓迎していたのだと思う。
 それ以来、その恨みがましい死は、私に語り掛けてくることはなくなった。ほどなく、つがいのキツネが訪れ、その死を弔うだろう。
 どんな輩だろうか。つがいを見放したそのキツネは、その死をどう思っているのか。恐らくではあるが、嬉しくはないだろうと思う。
 恨み言を言われるほど身近にいたのなら、嬉しいわけがないと、私が思いたいだけかもしれない。どうにせよ、死んだあとは、死んだものは自分というものの解釈を生きているものたちに任せるしかない。
 もしかすると、恨まれるのは、死んだほうかもしれない。死んだ以上は、そう思われても、何もできない。
 私にいくら取り次いでくれと言ったって、煙草の煙にいくら色を付けてくれと言ったって、そんなものはおまけだ。
 言いたいことがあるのならば、時は既に遅い。せめて静かな眠りがあるよう、私はじょうろを片付けて、日誌を書いた。問題なし、と、あいにくだが日誌にはそれしか残らない。






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