ツガイメギツネ-LOVELESSES

墓守カザセの日誌・ここにいる理由



「ひとりで死んだの」
 私は墓守小屋で仕事をしている間、誰かの死を悟ることがある。
 ツガイメギツネの墓地に勤めているので、きっとあの不思議な動物による、虫の知らせのようなものがあるのだと思う。
 いつも、誰に問うわけでもなく、問う。二酸化炭素に誰かの死を混ぜてやることが、私の中で儀礼化していた。
 墓地を清掃なり巡回なりしていると、その誰かの死の詳細を垣間見られることがある。私は細い煙草を吸いながら、じょうろを持って小屋を出た。
 ツガイメギツネの墓地は、飲み込まれてしまいそうなほど大きな湖だ。大輪の花が大勢咲き誇る中、風が吹くたび月の光を咀嚼する。整いすぎた顔立ちがホラーの人形を思い起こさせるように、その湖と花々の美しさは、ずっと見ていたいものではないようだ。皆、ここに長く居ることはない。虫さえも寄せ付けない。ただ、私はこの美しい職場でする仕事を天職だと思っている。
 じょうろで花々に水をやる。花々からは、独特の酒が採れる。じょうろで水をやれば、私が呑める酒が増える気がする。実際関係ないかもしれない。ただ、関係あるかもしれない。
 湖の淵で湖面を覗いた。月の光と、不真面目そうな保護官が居た。保護官は不真面目そうではあるが、それなりに真面目であるし、その保護官が自分だということも私にはわかっていた。もっと真面目らしい服飾をしてもいいのだが、不真面目な服装をしていけない道理も私の中にはない。公の場に出るときくらいしか、ほかの保護官のようなスーツは着ないことにしている。弔われる者たちも、自分たちの死を待ち構えたようにされるよりも、「あら、死んだの」くらい意外に思われたほうがいい気がしている。弔辞のお札と同じ原理だ。
 今回は、誰が死んだのか。湖に問うと、虫もいないのに湖面が揺らいだ。手元を見ると、じょうろが湖に水をこぼし、波紋が広がっていた。それだけだ。世の中には不思議なことがあるものだが、自分がそう思い込んで、その実、引き起こしているだけのこともある。
 ただ、伝わってくるのは、ひとりで死んだ、という強い思いだった。誰か、添い遂げたいひとでもいたのかもしれない。人間誰しも孤独に死にたくはないと思うが、私が感じ取るほどだということは、他のひとよりも余分にそう思っているということだった。ただ、私個人の考えとしては、ひとりで死のうとふたりで死のうと、死は孤独なものだ。死んだ以上、受け入れるしかない。
 煙草の煙を斜め上に吐いた。この墓地の花々から酒を採った後に、残った繊維質で作られた煙草だ。どういうわけか、タールやニコチンは入っていないらしい。咳き込むこともない。墓地に入る者にはこれを吸わせることにしている。ツガイメギツネの群生地にはさまざまな区があるが、墓地では一貫して、『眠っているもの』の機嫌を損ねないようにと配慮されている。そのため、花々から採られた酒を飲ませたり、花々の煙草を吸わせたり、花を身につけさせたりする。さまざまだ。大事なのは、『眠っているもの』に許可をもらうことだ。
 この区の墓地では私がルールなので、煙草を吸わせることにしている。この煙草は、ここに眠るものの機嫌を損ねると、煙の色が変わるらしい。私は機嫌を損ねたことはない。私の手腕がいいわけではない。この区のものたちは、頭がいいのだ。すべてを善しとしている。きっと燃やされようが踏み荒らされようが、そういうものだと受け入れるだろう。だが、普段温厚なものほど怒らせてはならない。大家族に育てられた可愛らしく人懐こいチワワが狂犬病になり家族全員を死に追いやることだってあるし、狂犬病にならなくても、気まぐれに噛み殺すかもしれない。尊厳ある一個の命を軽んじることは、非常にリスキーだ。リターンのないリスクだ。私はこの区のルールだが、ここに眠っているものたちはここの『世界』だ。
 私はこの仕事に誇りを持っている。ほかの保護官が防弾チョッキと制服を着て業務に励み、区の平穏を護っているように、私は眠っているものたちの平穏を護る。眠っているものたちは、起きているものたちの平穏を願っていると思う。私には死霊術の心得はないので、実際にどうかはわからない。でもきっとそうだと思う。私がここにいる理由は、眠っているものたちが怒ったとき、いちばん最初に贄となるためだ。怒りたくなったら、私を殺してみればいい。それでこの区の平穏が保たれるなら、それは紛れもない『保護官』だ。この理屈が誰にも理解されなくてもいい。ここに眠っているものたちが私を追い返さない以上、ここに眠っているものたちにとって私は保護官だ。それでいい。それがいい。





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