ツガイメギツネ-LOVELESSES

墓守カザセの日誌・SOMEONE BUT ME



「久しぶり、カザさん」
 穏やかな声は、水面に三日月の見える夜に現れた。墓守小屋で日誌をぼんやりと眺めているときだった。退勤時刻も近い。
「久しぶり、タスキ保護官」
 この男は、皆にニックネームをつけ、皆を愛し、皆から愛されている保護官だ。私のニックネームはいいものが思いつかないと言って『カザさん』となったと言うが、たぶん、この男は私のことが苦手なのだと思う。私の職務スタイルは理解されるものではないとわかっているので、この男を責めるつもりはない。しかしながら、私のテリトリーであるこの墓地を訪れたからには、私の流儀に従ってもらう。
「煙草を一本、いただけますかねえ」
「取って吸って」
 私は自分では煙草を吸いながら、タスキには小屋の机の上を示した。箱に入った煙草と、私のジッポが無造作に置いてある。来客の予定がなかったのだから、多少散らかっていても問題ないだろう。ジッポの横には、花を活ける前の、水だけ入った花瓶があった。
 この煙草を吸わせるのは、私がこの墓地に入るものたちに必ず行わせている儀式だ。こういった場所には、一定の儀式が必要だと思っている。場の価値を一緒に作るとでもいえば伝わるだろうか。
「いただきますよ」
「ん」
 タスキはジッポで火をつけた煙草を、おいしそうに吸った。順応することが得意な保護官だ。この男は、実は能力が高いのではないかと私は思っている。
「何しに来たの」
「実はですね」
 私のその問いを待っていましたと言いたげに、タスキは話し出した。
「墓参りです」
 もっと言葉が続くかと思った。タスキはひとこと言って、言葉に迷ったように煙草を吸った。
「あんたは、担当はまだいなかったはずだけれど」
「担当じゃないのに墓参りなんてえこひいきですかねえ、でもねえ、僕のせいなんじゃないかって思ってしまう死があったんですよ」
「誰を殺したの」
「そこまででもないんですがねえ」
 煙草をくわえながら墓地に眠るものたちの名簿をめくりながら訊いてやるが、タスキは動じず、そう答えた。
「そこまでなんですかねえ」
 どっちだ。ため息に似た息を吐く。煙草の白い煙が私の周りで惑っている。
「助けられたのに助けられなかったのは、殺したことになるんですかねえ」
「勝手に思っていればいいじゃない」
「どっちで」
「好きなほうで」
「ほう」
「誰かの死に必ず原因があるとは限らない、きっかけと原因を取り違えてはいけない」
「そうですねえ、僕のは、きっかけだったのかなあ」
「きっかけなら」
 私は煙を吐く。
「責任は分散する。きっかけっていうのは、いくつもいくつも重ならないと、はじけないようになっている」
 タスキはふむふむと話を聞いてくれている。喫煙者ではなかったと思ったが、煙草の煙をおいしそうに吸う男だ。
「それで、誰のきっかけになったって?」
「困ってしまうなあ」
「なにを困るの」
「きっかけと言われてしまうと、僕が生まれてからずっと、誰かの死のきっかけになっていた気がする。ここで死んでいったキツネたちは、僕が救えなかったキツネたちですから」
「私もきっかけになってしまうじゃない」
「これは失敬、思いこみの話です」
「ふん」
 私も煙を吐いた。白い煙がもくもくと昇っていく。
「誰も怒っていないみたいだけれど」
「僕の思っているキツネは、ここに弔われてませんからね」
「ここでは教会とかみたいに祈ったからって何もしてあげられないわよ」
「カザさんは手厳しいなあ」
「ここにしか来られないの?」
「……ええ」
 珍しく、タスキは困って言った。私も珍しく口数が多かった。彼の無念さを近くで感じられたせいかもしれない。
 タスキの無念は、痛いほど伝わる。だが、言った通り、ここはそういう場所ではない。
「それなら教会にでも行ったら」
「別に懺悔しに来てるんじゃないんですよ。弔いに来たんです。でも、どこで弔われたものやら、わからないものでしてねえ」
「あの子か」
「はい」
 思い当たるキツネが居た。確かに、それならば困るかもしれない。
「あんたが、弔うの?」
「それも違うような気がして」
「確かにね」
「でも、弔いたくて」
「そう」
「どこで死んで、誰に弔われたのかも判らないのは、哀しいですよ」
 見ると、タスキはとても鋭い目をしていた。保護官の目だ。ツガイメギツネを護り通すことだけを考えている保護官だ。護れなかった保護官の目だ。
「でも、見ず知らずの人間に弔われるのも、虚しいでしょう」
「見ず知らずでもないんです」
 タスキはいったん言葉を切った。
「僕ひとりを、頼ってきたことがあった」
「なんで」
「その子を、僕が護ったことがあったから」
「ずいぶんとあんたに借りの多いキツネなのね」
「貸しとも思ってませんよ」
「護られてばかりでは、楽しくなかったでしょうね。死んだ後にまでつきまとわれて」
「どうしたらいいんですかねえ」
「あんたが護られてやればいいのよ」
「もう死んでしまって」
「ならあんたが、その子の死に護られてやればいいのよ」
 私はただ考えを述べているだけだ。タスキはそこに意味を見出そうと頑張っているが、正直なところ、先輩保護官の私は、そこまで深く考えて物を話していない。
「あの子の死を糧にして、がんばるとかですかねえ」
「さあ」
 私も投げやりなわけではない。判らないだけだ。
 この男がそこまで思い詰める理由がわからない。保護官である以上、対象の死なんてごまんとある。それをいちいち悔いている暇はない。だが、判らない、この男は、いちいち悔いるのかもしれない。
「大抵の死は、犠牲が増えることを望まないわ」
 そんな気休めも口から出ていた。気休めだったが、本心でもあった。ここで死を見つめ続けて、常々思っていることだった。
「……ちょっと、湖まで行ってもいいですかねえ」
「眺めに行くくらいならいいわよ」
「いえ、ちょっと浸かろうかと思って」
「は」
「ですから、ちょっと湖に浸かりたいんです」
 そんなことを言ってくる輩には初めて会った。ここの墓地は水葬式の湖だ。死の眠る褥に浸かりたいなど、正気とは思えない。しかし、この男は真顔でそんなことを言ってくるのだ。
「……清潔なんでしょうね?」
「毎日湯船には浸かっていますけれども」
「前例がないからどうなっても知らないわよ」
「わかりました! では少々行って参りますね」
 私の理解の放棄を、承諾ととったようで、彼は煙草を灰皿で消し、湖へ行ったようだった。
 小屋で煙草を吹かしてしばらくすると、ざぶんと音が聞こえた。大胆な男だ。まさかスーツのまま飛び込んだのではあるまいな、と、柄にないほど心配になってしまう。
 しばらく、ざぶざぶと音が続いていた。大きな湖で、クロールでは渡り切れない人間が多い大きさだ。大丈夫だろうか。ここは墓地だが、ツガイメギツネの墓地である。人間に死なれると面倒だ。
 退勤時刻を過ぎていたが、もう少し待った。彼はスーツを着直して戻ってきた。
「あのう、カザさん」
「なに」
「タオルは、ありますでしょうかねえ」
「机拭きならあるけれど」
「恩に着ます」
 誰も貸すとは言っていないのだが、タスキは扇風機の近くに並んで干されている机拭きで髪から滴る水滴を拭っている。憎めない格好の悪さがある。
 タスキはどこか落ち着かない。
「どうしたの、もじもじして」
「あのう、そのう」
「なに」
「ひりひりします……きょ」
「どうなっても私は知らないって言ったわよ」
「くぶが」
 言葉が重なったのをこれほど感謝したことはない。
「アルコールが強いんですかねえ」
「これ以上居るならセクハラでむしり取るわよ」
「局部を?」
「よく燃えそうなひとだこと」
「冗談ですよう」
 ジッポを向けながら言うと、タスキは縮み上がった。
「でも、気持ちの整理はつきました。僕じゃない誰かでは、あの子の死を弔えない」
「そう」
「また来ると思います」
「頻繁に来てもいいことはないわよ」
「じゃあ、盆休みにでも、初心に帰るつもりで参ります」
「そう」
 タスキは最後に煙草を一本吸い、内股で墓地を後にした。
 日誌には、湖を遊泳したものの話を書かないといけない。どうしたらよいものか。どう書いたら、彼らを表現できるだろうか。







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