第二章



「この国はいつも整っていらっしゃいますね」
「皆、真面目ですからね。王として誇りに思っています」
「素晴らしいことですね、特にあの門番は素晴らしい、あの門番はこのミロ国でも重役なのでしょう? この王宮に出入りする空飛ぶ船の秩序だ」
「重役どころか、小遣い稼ぎをしながらスタディ・パレスに所属している、齢十五の訓練生ですよ」
「十五にして、この規律の整った仕事をするとは」
「スタディ・パレスにおいては、誰にでもできる仕事ですよ」
「スタディ・パレスは、この国の若者は、六歳から二十八歳まで所属するよう義務付けられているのでしたね?」
「然様ですね」
「つまり、この国の誰もが、あの仕事をできると。素晴らしいですね。僕も興味があります」
「ヤミ様はいらっしゃる度にこのミロ国の雑務にご興味を持たれる」
「雑務とはとても思えませんね。我らがクロ国には、ない技術ですから。ミロ国から我が国が輸入する機械を、国民は面白がって、または有難がって、生活に活かしています。特にこれはいい、このL・L、正式名称リンカー・ライフという機械はいい。相手がどこに居ても、話ができる」
「ご利用いただいていることを光栄に思いますよ」
 僕はずっと、先程の話に出てきていた十五の青年を眺めていた。スタディ・パレス、このミロ国の労働力の源であり、軍隊、研究施設を兼ね備えている。若い国民全員に、その施設で過ごさせることで、このミロ国は、小国ながら、安定した生活を国民に保証している先進国だ。
 一方、我らがクロ国は、ミロ国と同様に国王を持つが、政を実際に国王が行うミロ国と違い、実権は総帥たる僕にある。王は、国民のイデアとして、ただ君臨する。イデアは表立っては動かない。イデアを護るのは、総帥となっている僕の使命だ。今日も、王は城で、いつも通り、瞑想に耽っているか、服飾を誂えているか、王城にある窓辺で鳥のひなと戯れているかといったところだろう。
 僕は国のイデアであり王である彼に、恋情を覚えている。
「もう日も暮れますね。さ、こちらへ」
 僕はミロ国の王、メイロに誘われ、王宮のほうへと歩き出した。
 きっと今日も僕は、この異国の王に抱かれる。ここには恋情も愛情もない。仕事としての行為でしかない。自分の感情は、遠い昔に捨てたはずだった。僕はその遠い昔の幻想を、今でも遠くから見るようにしか自覚できないでいる。多分、総帥となったときから、僕は感情を覚える自由を捨てたのだと思う。忘れもしない、あれは、花々の咲き誇る春のことだった。
「お父様、ヤミ様」
 王宮に戻ろうとしたところ、黒の眼帯をした隻眼の少女が、我々を呼び止めた。少女が眼帯をしている右目の更に右側には、少女の胸まではあろうかという背丈の大型犬が控えていた。額に一本の角がある。一角ボルゾイという種だ。角のある犬は珍しい。おまけに人に懐いた角のある犬となると、僕はここでしか見たことがない。
「ハヤテ姫、ごきげんよう」
 僕はこの国のナンバー・ツーを、この国ならではのお辞儀で迎えた。右手の肘を曲げ、背中に回して腰を折る。左手は、どうやるのか判らない、僕がどうやっても、この国のお辞儀はうまく再現できない。彼女もそのお辞儀で返す。僕の付け焼き刃のお辞儀と違い、ふわりとした独特の優雅さがある。
「ハヤテ、やることは終わったのですか」
「スタディ・パレスは今日も平穏です。お父様、お薬をお持ち致しました」
「結構」
 ハヤテは盆の上に小さな木の葉を持っていた。メイドがやるような仕事だと僕は思ってしまうが、スタディ・パレスでは仕事に貴賤はないと教えているそうだ。
 ハヤテはメイロの娘でありこの国のナンバー・ツー、またスタディ・パレスのトップだ。まだ十六になったばかりだが、皆、彼女の能力を認めていることだろう。
 メイロはハヤテの持ってきた小さな木の葉を口元にあてがい、深く二呼吸してハヤテの盆に返した。
「やはり、お加減は」
「いえ、これさえあれば全くもって平気ですよ。トチの国の木の葉は肺に効く」
 僕の言葉にメイロは微笑んだ。
 メイロは肺を患っている。僕にはそれを隠さない。だが国民をはじめ、僕の上に立つ我が国の王相手にも、隠してほしいと言われている。その秘密の共有は、心地いい距離感を形作っていた。ハヤテにもできるだけ隠したがっている様子だったが、この聡明な娘に嘘は通用しない。ハヤテも何も言わない。王である父親の沽券を守ろうとしているのだろう。父子関係は非常に良好なように見える。母親の話は、聞いたことがない。
「ヴィタ」
 ハヤテは例のお辞儀をして、別れの挨拶をした。僕もヴィタと返した。ハヤテは人形のような顔を少し微笑ませて、王宮の奥に戻っていく。高位の女性にしては珍しい短い髪が揺れた。一角の犬も静かに歩いて行った。
 メイロは咳をしている。トチの国は未開の、妖精が住むと言われている遠い島国だ。トチの国の開拓は、先進国の中でいちばん距離の近いミロ国の役割だ。

***

「あなたは……?」
 私の問いに、その白い女性は顔をこちらに向けた。どことなく人間離れした雰囲気を感じる。特別不気味なわけではない。強いて言えば、威厳だろうか。
「私はN・N、チル。この国の王様に謁見したいのですけれど」
 皆で顔を見合わせた。このトチ国には王はいない。
「この国が、危ない」
 チルは、いたって真剣な表情だ。皆、戸惑いが先に立っている。チルは焦っているように見えた。視線を、ひとりひとりに向けては、次に移す。
「あの、異国のかた……なんですね? この国には、王はいません。どのようなご用件でしょうか……?」
 カナエが対応した。私は落ち着こうと、煙草を吸いたくなったが、迷って腕を組んだ。さすがに初対面の相手を前に、いきなり煙草は吸えないだろう。
「病院でする話でもありませんよね。いちど、我々の本拠地までご足労いただければと存じますが」
「本拠地があるのに王が居ないのですか?」
「はい」
「では、その本拠地の指揮はどなたが」
「私、マツロが騎士団を治めています」
「マツロ様。一刻を争います。至急、案内をお願いします」
 そのチルと名乗った女性は落ち着いたような言葉遣いだったが、言葉の雰囲気がぴりぴりとして刺々しい。不安そうにしているナミダを、ミコとマサキと一緒に病院に残し、騎士団の本拠地とは名ばかりの、食堂の隣の公園へ案内した。木陰にある手入れされた倒木に、チル、向かいにカナエと私が座り、話が始まった。私は緊張感に耐え兼ね、煙草を吸っていいかチルに訊いた。チルは焦りと苛々とした雰囲気の声で、どうぞ、と言った。
「間もなくクロ国がこの国を襲いに来ます。理由はこの国にはびこるシロのせい。シロの繁栄は、クロ国にとって都合が悪いのです。そもそもこのトチ国はまともな外交をしていないため、何があっても世界にエス・オー・エスを出せない。クロ国はシロの脅威がトチ国に収まっている時点で、トチ国もろともシロを滅ぼすつもりです」
 私もカナエも黙りこくった。煙草の煙が停滞する。かつてない事態に頭がついていかないし、何を行うのが最善なのかも知らない。シロは我々の敵だ。だが、シロを滅ぼせば、クロ国が襲いに来るという。
「あなたは、トチ国の味方をしてくれるんですか」
 カナエはチルにそう訊いた。
「はい。一国を統べる者として、この隣国を大切に思っています」
「一国を統べるって……王女様なんですか?」
「私は確かに国を治めています。ただ民も持たず土地も地上にない。ですからこうして参ったのです」
「民も土地もない……?」
 カナエが訝しむのも束の間、食堂の裏手から悲鳴が聞こえた。
「騎士団長!」
 呼んだのは先程食堂にたむろしていた団員だった。
「敵襲です!」
「シロか」
「いえ、正体不明の……影の塊みたいな……見たことのないものです!」
 くっと歯を噛み立ち上がる。ろくに吸えていない煙草は靴でねじ消した。腰に携えた『リヒテイユ』に手をかける。この武器は不思議な力を持つとされた樹で誂え、リヒテイユ騎士団全員共通の武器だ。横ではカナエもならっている。
「今は夕映え。夜が来る前に終わらせないといけません。助太刀しましょう」
 チルも立ち上がった。悲鳴が食堂方面の方々で上がり始める。
 いちばん近い悲鳴に皆で駆け寄る。逃げ遅れた様子の、ナミダの両親だった。黒い塊に足を取られ、転んで悲鳴を上げている。
 その黒い塊に意志はないように見えた。ただ、捕らえたものの足を止めるだけのようだ。
 だが助けないわけにはいかない。リヒテイユを振るうとその黒い塊は地面に伸び広がり、動かなくなった。
「ありがとうございます」
 ナミダの両親は頭を下げた。
「奥へ!」
 カナエが声を張り上げた。皆が我々の後ろへ逃げていく。何人かの騎士団員は残って、戦意を見せてくれた。心強い。
 だがことはそれで終わらない。黒い塊が押し寄せる奥の山々に、人型の黒装束の軍団が見えた。
 私は本能で吼える。
「団員に告ぐ! 山の奥の軍団が見えるか! 黒い塊はリヒテイユで掃える! 軍団にこそ注意しろ!」
「はい!」
 騎士団員たちは息をそろえて返事をした。
 私の目は山の軍団を見据えながら、黒い塊をできるだけ薙いでいた。軍団は、時折ちらちらと夕映えを反射する。まるで、火が一瞬弾けるようだ。
 はっと気づく。
「……銃だ! 飛び道具だ! 一点に留まるな! 撃ち抜かれるぞ!」
 言い終わらないうちに、山を駆け下りてくる軍団との遮蔽物が弾き飛ばされ始める。
「カナエ! マツロお姉ちゃん!」
 後ろから、ナミダの声だ。
「ナミダ、来るな!」
 カナエが応えた。
「後ろからも来てるの!」
「なに!?」
 ナミダが逃げてきた後ろの山にも、確かに黒い軍勢が見えた。山頂には夕日がかかり、山の傾斜に沿って黒い軍団の色が濃くなっている。まるで火山から噴き出る溶岩のように、こちらへ向かってなだれ込んでくる。
 後ろを見てわかったが、チルが居ない。
 だが構っている時間はなかった。もう目の前に敵の軍が見える。重厚な鎧で、顔が判別できない。
「トチの民よ!」
 ひと際豪奢な鎧が声を上げた。よく通る声だ。
「抵抗しない者には! 我々は危害を加えるつもりはない! 白い鳥状の化け物とその女王! それらを探している!」
 私はカナエと顔を見合わせた。私たちが狩ってきたシロと、もしや、チルか?
「よって動くな! 我々が調べ終わるまで、一歩たりとも動くな!」
 一瞬で、あれほど騒がしかった足音も衣擦れも何もかもが止んだ。軍団は配置についたようで、規則的な陣形を取っている。
「騎士団ちょ……」
「動くなと言ったはずだ!」
 銃声が響き、私に声を掛けようとしたカナエに威嚇射撃が行われた。カナエの足元の土が跳ねる。
「なんてことするの!」
 ナミダの声にも、黒の軍団は反応しない。
「大きな果樹園があるな」
「女王の餌だ。焼いてしまえ」
 軍団が炎を噴き出す兵器を取り出す。果樹園の主であるナミダの両親が「やめてください」と懇願する。軍団は一瞥しただけで、炎を樹木に近づけた。
「やめて!」
 ナミダが駆け寄り、兵器の向きを変えさせようとする。軍団は面倒くさそうに、拳銃を取り出してナミダの肩から翼にかけてを撃ち抜いた。
「抵抗するなと言ったはずだ」
 ナミダが膝から崩れるように倒れる。果樹園にも炎が燃え上がり始めた。
「貴様ら!」
 叫んだのはカナエだった。猛獣のように軍団の兵士の喉元を狙い、リヒテイユを振るう。カナエを狙う銃を構えた腕を薙ぎ払う。軍団の悲鳴が上がる。そのあまりに勢いのある、自らを捨てた反逆は、我々トチ国民は初めて見るものだった。誰も止めに入れない。カナエは、もうカナエと呼ぶことすらも躊躇われた。
 まるで、龍のようだ。
 否、最早、龍だ。
 ハネビトは皆が黙って見守るしかなかった。
 カナエは銃を構えさせる間もなく、のたうつように軍団を倒し続けた。挟撃によってこの集落に人が密集し、軍団もうまくカナエに狙いがつけられないようだ。
 兵士が倒れるごとに、カナエの様相が変わっていく。不可思議は、どこにも不自然を生まず起こった。血を浴びるたび牙が伸び、銃を向けられるたび角が生え、屠るごとに猛り狂っていく。軍団は皆、各々の悲鳴を上げながら、カナエに喰われていった。最早背格好も変わっていた。カナエは逆鱗に触れられた神獣のように暴れ続けた。
 ひと際豪奢な鎧がカナエに近づく頃、か細い声がカナエを呼んだ。
「カナエ、もういいよ」
 ナミダだった。
「パパとママの果樹園が、焼けてしまったら……私はもうお終いだから、いいよ」
 カナエの伸び切った牙の動きが止まる。時が止まったかと思った。ぱちぱちと、ナミダの家の果樹園が焼ける音だけが響いた。ほかに音のない、しかし確かに存在する慟哭の残響だけが空間を支配した。返り血で赤々としたその牙にカナエの銀の涙が伝った頃、豪奢な鎧がカナエを撃ち抜いた。カナエはナミダを護るように、ナミダの上に倒れたが、その鎧がカナエをどかし、ナミダをも再度撃ち抜いた。ナミダの体が跳ねた。龍の舞踏は、静かな絶望を残した。
 果樹園も燃え尽きた。我々にもう希望はないように思えた。ナミダの言うとおり、この集落の唯一の食糧庫が燃え尽きたら、明日はないように思えた。足元は気付けばとうに黒い塊に取られてしまっていたし、日も落ち、辺りは真っ暗でこそないが、相当暗かった。
「私の食事を」
 よく響く声がした。
「邪魔したわね」
 朽ちた果樹園の大木の裏から、チルが睨んでいる。
「ヤミ」
 その声は憎しみに満ちていた。
「女王だ! かかれ!」
 豪奢な鎧、ヤミが手を上げると、軍団が四方八方から銃声を上げた。私は思わず腕で顔を護り、片目を閉じた。それだけの轟音だった。
 チルをあらゆる兵器が襲う。火炎、銃弾、矢、すべてが命中したように見えた。
「チル」
 その声に、豪奢な鎧、ヤミが怯んだのがわかった。
「大丈夫かい」
 その真っ黒な男は、大柄で、体躯を覆うような重厚なマントでチルと己を包んでいた。
「怪我はないね」
 大男が埃でも払うようにマントを翻すと、同じく無傷のチルが男に呼びかけた。
「ヨル……」
 男は満足げに微笑み、怯んでいるヤミに向き直った。
「俺のチルに、攻撃したな」
「王よ……」
「ヤミ」
 ヤミはその大男を、王と呼んだ。
 ヨルと呼ばれた王は、ただ静かにヤミに向き直った。何の言葉も必要なかった。あれが、王というものだ。
 王はただただ、その空間に君臨した。誰も何も言えず、動くこともできなかった。
 気づけば陽が沈んでいた。暗い世界、静寂を破ったのは、羽根の音だった。チルが表情なくヨルに抱き締められている。
 音の源は見ずともわかる。シロだ。
 果樹園の朽木の裏から、小ぶりなシロがよちよちと歩いてきた。
 我々は戦慄した。ハネビトの天敵だ。だが、なぜか軍団も動揺した。
「これがきみの望みかい、チル」
 ヨルはゆっくりと口を開いた。静かで穏やかな瞳だったが、どこか悲しげだった。なぜか私は、先程のカナエを思い出した。護りたいものを護るために自分を捨てて龍と化したカナエ、そして、この圧巻の王、何かが似ていた。
「私は、お腹いっぱいまでご飯を食べたいだけよ」
 チルは至って落ち着いていた。理由はすぐに分かった。
 山々の奥から、幾億はあろうかというシロが押し寄せてきているところだった。



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