第五章



 病院の朝は、関係者以外立ち入り禁止の旧病棟にある花に水をやるところから始まる。
 この花には名前がつかない。どんな図鑑にも載っていないだろう。
 エイラは万病に効くが、この花はそもそも、この国の『癒し』そのものの力がこもっているように思う。
 引き合いに出すが、リヒテイユという樹がある。
 それは邪を払う不思議な樹だ。リヒテイユ騎士団の武器は、この樹の枝から作られる。
 この花は、もしかするとリヒテイユの花なのかもしれない。リヒテイユは本来花をつけないが、リヒテイユと似て、理屈の通じない不可思議さをこの花から感じる。
 この花が散るとき、このトチ国のすべての癒しが崩壊することを想起させるような、そんな美しさに毎朝水をやる。
 僕の医療は、全部この花がやってくれている。
 僕は医者だが、やっていることは、この花の蜜を加工して処方することだ。
 皆は花のことなど知らないので、僕の技術に力があると思っているだろう。
 僕は別段、隠すつもりはないのだが、ナースのマサキが口外してはならないと言う。
 この件について考えるとき、自分の医療は、呪術のようだと思う。
「ミコ先生」
 マサキが呼んでいる。
「患者様よ。先生に診てもらいたいって王様が」
「ああ、あの肺の」
「そうよ。診察室に通していいかしら」
「うん。すぐに向かう。あの肺病のようなものはエイラの葉じゃ治らないだろう、病ではなく、何かの禍根だろうから」
 マサキが行く。僕は花に口付けるように蜜を吸い、診察室に向かった。

***

「初めまして、マツロさん」
 その不気味な男は、口元で微笑みながら言った。
「なにか」
 ぶっきらぼうな言い方になった。私が怯えているのがその男には伝わったことだろう。
「ミロ国より参りました、報道アイドルのラカツキと申します」
 男、ラカツキは丁寧に一礼した。どことなく、目を離せなくなる男だ。私はラカツキが頭をあげ直すのを、ただ見ていた。
「僕の仕事は、ミロ国及び世界に、情報を配信することです」
 報道、配信と言われてもピンとこない。この国にはない文化だ。
「今しがた、トチ国の二名のハネビトの葬式を、世界に配信しました。二人を悼むコメントが多く届いています」
 ラカツキは手元の小ぶりな機械に、ミカエル、と呼びかけた。機械は、ルシフェル、待ってたよ、と、幼い女の声を出した。
「ミカエル、皆は何が見たいと思う?」
「真実とこれから、じゃない? 妖精さんがふたり亡くなった理由と、これからどうなるかよ」
「うーん、そればかりは僕だけじゃどうしようもないなあ」
 ラカツキは、困ったように笑った。ルシフェルというのはハンドルネームです、と、私に付け加えた。私にはそのハンドルネームが何なのか判らない。
「せめて、王様たちと面識のあるひとがいればいいのだけれど」
 ラカツキが目を伏せて言った。上手いなと思う。私を噛ませようという魂胆だろう。この男は、言外にひとを動かせる何かを持っている。
「王たちは、病棟の個室にいるはずですよ」
 私はそれだけ言って終わろうと思っていたが、手のひらの上だったようだ。
「病棟があるんですか? 行ってみたいなあ、いろいろな真実を知れそうだ。ねえ、ミカエル」
「そうだね、戦争も停戦だし、王座にあるひとたちの日常は、みんなも興味があるんじゃない?」
「マツロさん、病棟までの道を、教えてくれませんか?」
 彼は敢えて、一緒に来てほしいと言わなかった。ラカツキに感じる違和感は膨れ上がる。
「……一緒に、行きますよ」
「ええ本当に? 助かります」
 ラカツキはにっこりと笑った。
 病棟とカナエの葬儀会場は、集落を端から端まで歩かなくてはならない。
 風景は、殺伐としていた。不安になるほど青い空に、燃えた木々、弾痕の残る壁、乾いて茶色くなった血の跡、その中で、生きているトチの民は、みな元気がなかった。平和に暮らしていたのに、突然日常が壊されてしまったのだ。食堂はくだんの襲撃により閉鎖されたため、民は自宅の果物を食べて暮らしている。
 トチ国の民は皆、庭に、暮らせる程度に自給自足できる果樹園を持っている。ナミダの果樹園のように立派で大規模に、たくさんの種類を育てているわけではないが、生きていくことは出来る。
 ナミダの両親は、カナエの家に世話になっているようだ。ナミダの家は果樹園が焼けてしまったため、食べ物に困っている。
「妖精の住む国」
 ラカツキが、ミカエルと呼ばれた機械に向かって話す。
「妖精たちは、今日も果物を食べ、自立して生きています。我々人間も、彼らに学ぶところがあってもいいように思いますね。我らがミロ国は自立した中立国ですが、この国ほどではない。この妖精の住む国は、どこよりも自立して、どこよりも被害を受けている。これをただの悲劇にしないためにも、我々も、各自できることを、できる限りのことをするというのは、大切なのではないかと」
 そのあとも、ラカツキ、いや、ルシフェルは、何度かミカエルを通じて配信をしたようだった。彼と一緒にいる時間が経つごとに、だんだんと不気味さはなくなってきていた。タネが見えてきたのだ。
 彼には、自分の意見が一切ない。一般論と、現場のリアルな映像と、ほんの少しの解説をするばかりだ。
 報道アイドルのルシフェルと言われれば、どんな人物かは、接していればわかってくる。だが、中身のラカツキという人物は、きっと自分というものが、あまりに希薄なのだろう。先程感じた違和感は、本来ならば助けを求めてきていい場所でも求めなかったからだ。私の思い込みだと言われればそれまでだが、私の感覚であれば普通、手段が判らなければ探すし、道が判らなかったら案内を頼む。その点、彼には、不気味なまでに、人間らしさがない。私が報道を見たことがなかったからかもしれない。パーソナリティ、人格、個人らしさ、そういったものが感じられないのだ。
 病棟に着いた。マサキが絶えず歩き回っている。
「マツロちゃん、いらっしゃい。ちょっと忙しいけれど、好きに使ってくれていいわよ。そちらは怪我したの?」
 マサキが私とラカツキに声をかけた。
「いえ、僕は、報道のために」
「ミロ国のアイドルね。いらっしゃい。あんまりショッキングな映像で人をつらないほうがいいわよ、ルシフェルちゃん」
「ご存知でしたか」
 マサキはいちどこちらに向き直り、優雅に右手を払った。笑止、と言っている様子だった。
「あたしはナースになるために留学してたのよ? そのときに、ミロ国にはお世話になったの。リンカー・ライフは勉強にとっても役に立ったわ。あと、うちのミコ先生が、これからお世話になるみたいだし」
 私とラカツキはきょとんとした。
「ミコ先生が、ミロ国に?」
「あら、知らないの? ミコ先生、今では世界的な医者よ。L・W、ロンリー・ウイングなんて二つ名ももらっちゃって、もうてんやわんやよ。困っちゃうわあ」
「平和賞を受賞するかもしれませんね、なら、今のうちにインタビューしておくのは必要かも」
 浮足立つラカツキに、マサキは「ミコ先生は忙しいから、無理に捕まえちゃだめよ」と残し、業務に戻っていった。ウイング・ロスの患者だけでなく、クロ国の生き残りも病室を与えられ、ケアを受けている様子だ。広い病棟を、患者がこんなにも埋め尽くしたことはなかっただろう。
「王様たちは、奥の病棟でしたっけ?」
 ラカツキが私に訊いた。そうです、と答え、奥に向かうと、がたがたと物が崩れるような音がした。
「なんでしょうか」
 戸惑うラカツキに構わず、私は速足でその個室を覗いた。チシオとチルがおり、チルは床に倒れている。
「どうしたの」
 私が扉を開け、チルに訊くと、チルはただ、いいの、と言った。
「いい訳があるか。チル、今日という今日は許さないよ」
 チシオは何か怒っている様子だ。前に見た時と、ずいぶん雰囲気が違う。前に見た時のような、楽し気な雰囲気はない。それに、王としての圧力も感じない。彼はただ、一個人として、何かに怒っている。
「また乱暴されたいのか? なあ、チル!」
「乱暴くらいすればいいでしょう。何で怒鳴るの? いつもみたいに乱暴に犯せばいいじゃない」
 その言葉に驚いた私は、思わずチルとチシオの間に入っていた。
「……何だ」
 静かでよく通る声だ。チシオの怒りが私の鼓膜を震わせる。思わず鳥肌が立つ。どんなに個人的な怒りでも、彼は王だ。
「チルさんは、この国を味方してくれた。チルさんに乱暴を働くのなら、私が剣を振るう理由になる」
 私は冷汗をかきながら、やっとその言葉をひねり出したが、チシオはにべもなく言い捨てた。
「もっと個人的な話をしてるんだよ」
「やめて、チシオ、マツロさん」
 チルすらも怒りが感じられる声だ。私は考えるより先に口が動いた。
「チシオさん、個人的に乱暴がしたいなら、私に乱暴すればいい。私はチルさんに感謝している」
 チルが息をのんだ。
 チシオは面食らって目を丸くしたが、一拍後で呆れたように、怒りを引っ込めた。あのね、と、打って変わって穏やかな口調で語り始めた。
「俺が乱暴するって言ったのはね、マツロ」
 チシオは「俺」と言った。
「誤解がある。別に誤解のままでもいいけれど。マツロ、知っているか、その女がシロを生み出す仕組みを」
 チシオは窓際まで歩き、殺風景な外を見た。昨今のトチ国にしては珍しく、シロが飛んでいない。ここ一週間で劇的に減ったように思っていたが、今日は一羽も居ない様子だ。
「そもそも知っていたか? チルが、シロを生み出していたと」
 それを言われては、薄々としか知らなかった、と言うほかない。
 私は、誰の味方をすればいい?
 一瞬迷いがあったが、結論はすぐに見つかった。私はリヒテイユ騎士団長マツロ、今のトチ国に必要なことをする。シロへの憎しみ、死んでいったものたちの無念、この集落の騎士団長としての責任、そういったものを一度に認識させられた。だが相反して、チルはこの国のために戦ってくれた。私にはそれを無視することは出来なかった。
「その女がシロを生むためにはね」
 チシオが窓から振り返る。逆光で表情が見えない。



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