第九章



 私はトチ国に来てから初めて、患者をとった。
 私の整形技術は緑芋から採れる成分を用いた服薬指導と、理想の形に近づけるためのカウンセリング、最後にする施術で成り立っている。
 緑芋の成分はホルモンに影響する。私の調合如何で、男らしくも女らしくもなれるということだ。“毒姫”たる所以は、私の一存でホルモンが一切合切変わってしまう、まるで兵器のようなものを扱う特性から来ている。適格だと自分でも思っている。
 その患者は、顔がなかった。
 幽霊の類だと思う。
 意志の疎通は出来たので、なりたい顔をカウンセリングで聞き取った。男受けのする、美しい顔とのことだった。目が大きく、控えめな唇、つんととがった鼻に短い人中、小さな顔周り。
 正味、こういう患者がいちばんやりにくい。
 どこをどう直す、という、具体像がつかめないまま施術をすることになる。だが、繰り返すがその患者には顔がない。この際顔さえあればいいだろう。私は女性ホルモンが多く分泌されるようにした薬を処方し、施術を行った。
 私はメスを使わない。マッサージの要領で緑芋を馴染ませていく。粘土細工を作るように、私は人の顔を変えられる。
 その幽霊は、出来上がった顔を見た。その顔の初めての表情は、笑顔だった。
 綺麗。そう言った。

***

 皆で食事をとるときに、チルがものを食べるようになった。
 大量に食べるわけではない。適切な量を食べる。リンゴを半分、バナナをひとつ、イチゴをふたつ、その程度だ。
 彼女が健康になってくれたのなら、私はいい。だが、あまりに不穏だった。そんな中、チルはある日の朝の食事で、こう言った。私は、国に帰らないといけません。
「チル?」
 意外そうな声を出したのはヨルだった。ヨルの部屋にチルが入り浸っていたのは、もう半年以上に及んだだろう。だが、最近はヨスガとイブリが部屋の外で番をすることもなくなっていた。ヨルの擦過傷もいつの間にか見なくなった。チルはヨルの部屋に行っていなかったということだ。
「そしたらあっしも帰るよ」
 チシオは少し考えた後に、そう言った。シロも見なくなって久しい。これ以上チルの面倒を見なくても大丈夫だろうと判断したのだろう。
「……」
 ヨルは押し黙っている。いつもの威圧感はなかった。ヨルは戸惑っていた。今まで自分に縋りつき、助けを求めていた対象が、急に独り立ちしたのだ。無理もないだろう。
 だが、不穏さを感じたのは私も一緒だ。
「へえ、シロ国に帰られる! 僕はシロ国へ伺ってみたいんですが」
 ラカツキが嬉しそうに食いついた。シロ国は、どこにどう存在しているかもわからない国だという。そんな国を配信に使えたら、という考えだろう。ラカツキの、いや、ルシフェルの、報道への飽くなき探求心と、危険を顧みない無私の心は、相変わらず私には不気味に見える。
「なら、私も行ってみたい」
 私は知恵を振り絞り、そう言った。これが幕引きというわけでもあるまい。幕引きであればよいのだが、このチルという女は、そこまで容易くことを終わらせないだろう。
「構わないわ。私の国に来たい者は来てください」
 ラカツキは食事もそぞろに、ミカエルと呼ばれた機械で、シロ国へ行くことを報告していた。
 イブリとヨスガは顔を見合わせている。彼らの王、ヨルが何も言わないのだ。どう助太刀すべきなのか判断しかねているのだろう。
「チル様」
 メイロは口元をナプキンで拭いながら言った。
「移動手段は? この国に来るまでは、シロに乗っていらしたのでしょう。今の世界会議では、これ以上のシロの生産は、警告を受けているはずです」
「大丈夫です。私には、頼りになる国民がいる。彼女がなんとかしてくれるわ」
 胸がざわついた。
「チルさん、そのかたと会ってみたいのですが」
 私は考えるより先に、そう言っていた。チルをこのままにしては駄目だと警鐘が鳴っていた。その国民は、きっと、チルを破滅へ導くだろう。間近で死を見てきた身分の、第六感だった。
「構いません。ただ、病棟が嫌いとのことなの。森の奥で、いつも待ってくれているから、一緒に会いに行きましょう」
 チルは笑って答えた。初めて、畏怖抜きで彼女を見た気がした。根は純真な少女なのだろう。笑顔に威厳はなく、幼さすら感じさせた。
「では食事が終わったらすぐにでも」
 ラカツキがうきうきと言う。彼とは別の心持で、私も同感だった。
 そして皆が退席し、チルは軽い足取りで、こちらです、と、森に向かって歩き始めた。
 このトチ国が襲撃を受けてから、随分時間が経った。トチの民は立ち直りかけているし、破壊された壁はボランティアに補修され、果樹園も元気な果物でいっぱいになっていた。ミコの病棟からも、ほとんどの患者が退院していた。今、病棟にいるのは、ウイング・ロスの患者と、王たちだけだろう。
「リシュテリィ」
 森の奥でチルが呼ぶと、ここに、と、美しい女性が樹の陰から姿を現した。
 なんと儚げで、美しいひとだろう。
「リシュテリィ……?」
 ラカツキは首を傾げた。
「あの、新人アイドルの、リシュテリィ嬢ですね?」
 リシュテリィは柔らかく微笑んで、そうです、と答えた。ラカツキは何か思うところがあるのか、疑問符を浮かべている。
「ルシフェルさん。私、あなたを超えます。あなたに憧れて、私はアイドルになった」
「それは、どうも」
 ラカツキはどうも腑に落ちない様子で、ただ会釈をした。
「リシュテリィ嬢、ニュースで存じ上げてはいました。でも、会ってみたら、知っている女性と、似た雰囲気を感じて。でも、声も顔立ちも違って」
「ならば人違いではありませんこと?」
「そう、ですね……大変失礼しました」
 リシュテリィは一拍置いて、いたずらっぽく付け足した。
「……いえ、私もてっきり、口説かれているのかと」
「え? ああ、どこかで会ったことがあるっていう、あれですね」
「ええ。そうだったらよかったのに」
 リシュテリィはたおやかに笑った。ラカツキも微笑み返した。だが、どこかぎこちない。
「チルさん、シロ国の国民って」
「ああ、それは」
 チルではなく、リシュテリィが答えた。
「私、かねてより、シロ国を魅力的だと思っていて。だって、紙飛行機の上にあるんですよ。建物も樹木も、民としてのシロも、全部女帝たるチル様が手ずからお造りになって。素敵です。自立している。国力も確か。そんな国に魅せられた女が、私です。おまけに、民草の意見もきちんと聞いてくださる。私がシロの生産をやめ、普通の食事をしたらどうかと申し上げたら、その通りにしてくださっている」
 危機感は募るばかりだ。このリシュテリィという女は、明らかにチルを利用しようとしている。チルに取り入り、世界を思いのままに動かしたいという思いが透けて見える。
 チルは、きっと、こうやって必要とされることに慣れていない。あなたしかいないのだ、と、縋られたことは、きっと今までなかっただろう。その甘い言葉は、往々にして、言う側にメリットがあるから発される。
「そのうえ、その、体を、大切にしてくださる。私は、まだそういった関係は持ったことがなくて。そんな私には、チル様があまりに眩しい。だから節度を持ってほしいと申し上げたら、チル様はあのヨルという王の部屋へ行くのをやめ、私とこの森で過ごしてくださっている」
 頬を染めながら、リシュテリィは言った。目がちらちらとラカツキを見る。
 ラカツキは、その目線に気づき、はっと息をのみ、後ずさった。
「ラカツキさん?」
 リシュテリィは倒れこむように、ラカツキの手を握った。
「私と、シロ国へ行きませんか?」
 ラカツキの冷汗が伝う。何かに気づいたようだ。
「上手二列目の女……」
「何のこと?」
 チルの問いに、ラカツキはかすれる喉で唾液を飲み、繰り返した。
「いつも僕のトークライブで、上手二列目にいらっしゃっていた」
「……」
「太っていて、見目の悪い女だった」
「……」
「皆から、気味悪がられていた」
「……」
 リシュテリィは何も言わず、だが戸惑った様子も見せず、ただ止まった。手はラカツキをとらえたままだ。
「ストーキング行為が、激しかった。スタッフや公安が動くような、気味の悪い嫌がらせを、ファンに対してしていた」
 リシュテリィは目を据わらせた。
「リシュテリィ? どういうこと?」
 チルが問う。リシュテリィは、ただ、想い人なんです、と言った。
「だから、一緒にシロ国へと、僕を誘って。僕と、添い遂げようとして。そう、でしょう?上手二列目の、ストーカー」
「……その通りよ」
 リシュテリィの周りから、きしきしと音がし始める。特に音を鳴らすようなものはない。砂や、木の葉が、警鐘ともとれる音を鳴らす。
「放してください」
「嫌です」
 ラカツキが逃れようとするが、リシュテリィは言い募る。私は金縛りに似た感覚で、声も発せず体も動かせなかった。チルが、戸惑った表情で、でも、と、意味のない言葉を発した。
「リシュテリィ、想い人なら、大切にしてあげて。私はひとを想ったことがない。だからあなたの想いを大切にしてほしい。あなたのその想いは、こんな風に乱暴にしていいものではないでしょう?」
 チルが説得を試みるが、返ってきた言葉は、静かな罵声だった。
「黙れ、無知で愚かな雌犬が」




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