雛
第十一章
「僕が、公式報道官に……?」
G・Fに呼ばれた僕は、身に余る出世に、ただ言葉を繰り返すしかなかった。
「ええ。ミロ国に、いや、世界に、このトチ国で起きていることを伝えてほしい。国民にも、スタディ・パレスにも必要な情報でしょう。あなたを、公式報道官に任命したい。構いませんね」
G・F、メイロは、病棟にある部屋の窓から空を見ながら、僕に尋ねた。
「私から、ハヤテに伝えるだけでは、限界がある。王家からではない、客観的な情報が、ミロ国には必要です。ハヤテにもこの話はしてあります。あなたさえよければ、すぐにでも専用チャンネルを国営で設けましょう。また、このトチ国へ来る際、スタディ・パレスを抜けるという交渉をハヤテと行ったようですが、国営のチャンネルの報道官となっていただけるのであれば、再度、スタディ・パレスに属していただけます。ミロ国の国民として、スタディ・パレスを抜けるのは苦渋の決断だったはず。国からの援助が一切なくなるということですからね」
確かに、ミロ国の国民として、スタディ・パレスに属さないのはデメリットが多すぎた。G・Fの言うとおり、僕もスタディ・パレスを抜けるのは本意ではなかった。だが、中立国であるミロ国民の、軍隊を兼ねているスタディ・パレスに所属したままでは、派兵とみなされるため、トチ国へ来ることはできなかったのだ。
だがそれも、軍隊としてではなく報道のためであれば、世界会議も認めるということだろう。中立の報道を求めているということは、僕の報道は世界会議にも用いられるはずだ。それは確かに、中立国の誰かがやるべきことだろう。
「武装をせず、L・Lを使って、偽り、恣意、偏りのない報道をすること、また、未開のトチ国に敬意ある振る舞いをすること、中立を貫くこと。これに受諾していただけるのであれば、何を報道しても問題ありません。悪い話ではないとは思いますが」
G・Fは、振り返って僕を見た。僕の心にも、段々と、事態が飲み込めてきていた。公式報道官になるということは、世界会議が認めた報道官となるということだ。つまり、世界的に活躍できる。しかも、スタディ・パレスに属し続けられるので、ミロ国での暮らしも安定が約束されている。
「……謹んで、受諾させていただきます」
「よろしい。では早速、ハヤテに連絡してください。手筈はハヤテが整えている。それに、中立であるためには、王である私は関わらないほうがいい。あくまで、ミロ国スタディ・パレス報道部の管轄です。では、期待していますよ」
「かしこまりました」
僕は「ヴィタ」と残し、G・Fの部屋を出た。L・L、ミカエルに、ハヤテ様への連絡をしてもらう。二コールほどで、ハヤテ様は応答なさった。どうやら後ろが騒がしい。万歳、おめでとうございます、そんな言葉が飛び交っている様子だ。L・Lに映ったハヤテ様の背景には、七十年物のバッカスを開けるパーティーが見えた。何事だろうと考えて、ああ、と納得する。
「ご苦労様です、公式報道官ルシフェル。祭典の最中につき、簡潔になってしまいますが、ご容赦を。まず、公式報道ステーションのチャンネル番号は……」
なるほど、G・Fは毎年ハヤテ様の傍で誕生日を祝っていたはずだが、今年は叶わなかったのか。
G・Fとハヤテ様の関係は、ミロ国で知れ渡るほど良好そのものだ。最初の報道は、いきなり、この非常事態の報道をするのではなく、挨拶を兼ねて、ハヤテ様の誕生日を祝うものにするのがよいかもしれない。
浮足立った僕は、S・D、スリーパー・ドロップという、ミコ先生の作った最新の薬の発注をすることにした。実は、僕に宣伝がてら試してもらいたいと話が来ていたのだ。眠りの質を良くし、短時間で済ませる薬らしい。
***
私は煙草を吸っている。束の間の休息だ。
リシュテリィの一件ののち、トチ国は危機に瀕していた。
得体の知れない化け物が出没し始めたのだ。
斬った感触は、よく斬れるが、幾度斬れど実感がない。空を切るようだ。
特徴としては、ハナビと言った、あのヒイロ国の軍人の頬にある文様が、人型になって、ぼやぼやと現れては、うめくような音を発して、生理的な危機感を煽る。ウイング・ロスの患者も、二名、あの化け物に接触し、正気を失って自殺した。また、植物を枯れさせる力もあるようで、果樹園をやられた報告も、いくつも届いていた。私が見に行った家のうちの一件は、瑞々しかったであろう梨の樹が、痩せ細ってしなびていた。まるで三年ほど雨も肥料もやらなかったかのようだ。これが一瞬で起きたというのだから、恐ろしい。
リヒテイユ騎士団は、再度結束し、化け物に立ち向かうことを決めた。また、ミコの病棟に残っている王と側近たちも、トチ国のために戦ってくれている。三国が集っている以上、派兵はできないそうだが、自衛と称して、皆、化け物をやっつけてくれている。化け物はどこにでも現れるが、私たちは基本的に交代制で番をしている。シロ国を除く三国、それぞれ人員を出し合い、実質上の軍隊を結成していた。軍の指揮は、三国戦争の中立国であるミロ国のメイロがとっている。
シロ国のチルは、これ以上のシロの生産を、世界会議により認められていない。チルを牽制する目的で、ヨル、チシオが、常にチルの傍についている。
私の頭には、チルの涙が焼き付いて離れなかった。カナエやナミダを始めとして、私の大切な存在をたくさん殺してきた女帝が、涙するということが、今まで想像できていなかったのだ。無論、殺したことを許すつもりはないし、許せる気もしない。だが、彼女がただの女だったのだと、実感したのである。それは矛盾に似た感覚だ。私はこのトチ国で、シロが現れるまで平和に育ってきた。人を殺める存在に、人の心があるということが、未だに受け入れきれない。
「マツロと言ったか」
チシオが、ゆっくりとした足取りで、近付いてきた。
「大丈夫だ、チルの面倒はヨルが見ているし、チルが寝付くのを確認してきたよ」
チシオは穏やかに言う。
「あんたの国は、災難だね。シロの次は、もっと厄介な敵が連日、暴れまわって」
私が煙草を差し出すと、チシオは一本、いただく、と言った。私は火をつけて渡し、灰皿をチシオとの間に置いた。チシオは私の隣に腰掛け、深く煙草をふかした。
この休憩所はちょっとした高台になっており、景色がいい。遠くに、クロ国のキングス・フレイヴァ、“毒姫”ヨスガが戦っているのが見える。単身のようだが、安定感のある斬撃で化け物を追い払っている。右に三本、左に二本、合計五本の剣を帯刀している様子だ。ものの見事に化け物を追い払い、近くに果樹園のあったトチ国の民が頭を下げて礼を言っている様子だ。丁寧な所作でヨスガも頭を下げ、次の化け物の相手をするために軽やかに駆け出した。暫定の、この化け物を追い払うための軍隊には、各自にミロ国のL・L、リンカー・ライフが支給された。
「俺はね、平和が好きなんだ」
遠くを走っているヒカリを見ながら、チシオは言った。
「民が、ただ笑って、自由に生きている、そういう国でありたい。本国では、今もそういう様子だと連絡が来ているがね。そういう様子を、一緒に楽しめる王でありたいんだ。こんな、見知らぬ土地で、よくわからない敵の相手をするのは、本意じゃない。なら帰ればいいって? でもそうはいかない。どこで間違ったのか、わかりかねるが、あっしの国の平和は、あっしだけじゃ作れない。異国のものたちにも、平和でいてもらわないと、あっしは心から楽しむことはできないみたいだ」
旨い煙草だね、と、チシオは一呼吸置いた。
「俺が王なのはね」
チシオは今日はよく話す。チシオが疲労してきている表れのように思えた。
「血液を操れたからではない。この力はたまたま持って生まれたものだが、それは王になる理由にはならない。能力が高いのであれば軍に居ればいいだけだからね。あっしは」
チシオが一気に声色を明るくさせた。
「誰よりもヒイロ国の風土に合っていた。王たる理由はそれだけだよ。自由を愛し、本能を愛し、国民を愛する。だから、本来はこの国で、王として振舞うべきではない。あっしはトチ国では、王にはなれないんだ。この国は指導者を求めているが、それはあっしじゃない。誰か、適切なカリスマが、ゆくゆく現れるだろうさ。あっしが王座に就いたときのようにね」
チシオは煙草の礼を言って、ヴィタ、と呟いた。何かの呪文だろうか。
「俺はチルの部屋に戻るよ。ヨルだって強いが人間だ。睡眠が要る。赤子を育てる両親さながら、交代してやらないとね」
ご馳走さん、と、チシオは病棟のほうへ歩いていく。
私も少し眠ろう。いつの間にかフィルターまで燃えかけていた煙草を消して、病棟のほうへ向かう。その瞬間だった。
「マツロお姉ちゃん」
ぞ、と、背筋が凍った。
「どうして、約束を破ったの?」
ゆっくりとしか動けない。やっとの思いで振り返ると、そこにはいま跋扈している化け物とよく似た化け物のような存在が居た。
化け物ではあるが、私はそれを、化け物とは呼べなかった。
「マツロお姉ちゃん」
「ナミダ……」
その存在は、ナミダだ。
どこにもナミダの形はないが、それは、他でもなく、苦しんでいるナミダなのだ。
***
「この件」
リンカー・ライフで現状をヤミ閣下に報告しているところだ。隊長である俺が報告する以上、ヨスガがトチ国に悲劇を招き入れたことは伏せることができなかった。ヨスガは反省している、と如何に付け加えようと、これは感情の問題ではない。事実の問題だ。
「私がトチ国に向かおう。ヨスガには、クロ国へ戻らせる。謹慎期間を設け、降格も視野に入れた処分を下す。総帥としては、以上だ。だが」
ヤミは、リンカー・ライフの奥でモナ・リザの表情をした。
「一個の上司として、言いたいことがある。イブリ、あなたが大切にしているヨスガの報告を、よく行ってくれた。感謝する。なるべく、悪いようにはしない。この件、ご苦労だった」
「いえ。……」
そこには、あの日、ヒスイ国の最期を見届けた、あの頃の“ヤミ”がいた。威厳があり、弱き俺たちを、しかと護ると主張する声だ。
ヤミは三国戦争を停戦に持ち込んでしまった。そのことは、確かに浅慮だったのかもしれない。だが、ヤミはそのようなことで非難されていい人格ではないと思う。ヨスガを護る姿勢を見せてくれている。それは、俺には至極大切なことだ。
俺はヨスガに、あの子に手を出そうとするものに、容赦をするつもりはない。あの子がいい暮らしができるのであれば、俺は何もかもを捨てよう。あの子は優しい子だ。俺のことを、きっと心の隅に置いて、輝かしく生きてくれるだろう。それは誰に邪魔されてもならないことだ。あの子は、幸せでなければならない。あの子こそが、俺の存在証明だ。
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