第十二章



 久しぶりに、クロ国の土を踏みしめている。
 この国は眠らない。街々には明かりが絶えず、キラキラとネオンの装飾が私たちの後ろに影を作る。夜中だというのに賑やかで元気がいい。飛行機のポートの周りは開けているが、ここまで喧騒が聞こえてきそうだ。
 軍の寮まで、最短距離で、ボディガードに護られながら移動する。この国の手紙移送手段である蝙蝠便が私のほうへ来ようとしたが、ボディガードが追い払ってしまう。
 私は、間違ったというのか。
 正味、人生で、そこまで多く過ちを犯したほうではないと思う。挫折らしい挫折もしたことがなかったし、コンプレックスも自覚していない。今だって、クロ国の塗装された道の上の、土の感触に頬が綻びそうなほど、懐かしさで胸がいっぱいだ。つまり、私は非常にポジティヴな人間だということだ。
 寮に着いた。私はイブリ先生と同じ部屋だ。懐かしい香りがする。先生の薬膳療法の残り香だろうか。ほんのりと甘い、心地のよい香りだ。昔、研究していた異国の“アロマ”に似た、リラックスの効果がありそうだ。“アロマ”の件は、国民からもいい反応が多かった。
 ボディガードが部屋の外の扉の横、持ち場についた。
 部屋で人目もない。私は思い切りベッドに飛び込んだ。広い部屋、キングサイズのベッド、柔らかな輸入物の羽毛の感触、防音の部屋の心地よい浮遊をするような静けさ、それに、壁に立てかけてある、刀、四本。
 私は、九本の刀を所持している。名は、第一から第九。そのうち、第一から第五はトチ国から持ち帰ることができなかった。先生が管理してくれているだろう。先生は「暴力ではない正義」を探している。そのためか、刀の手入れもへたくそだ。だが、一生懸命、いつも、やってくれる。
 先生は私のために心を尽くしてくれる。そんな先生が、私には非常に魅力的に見えている。私は親の顔も知らない。先生が親代わり、いや、父なる存在として私の中にある。
 私は寝返りを打ち、第六から第九までの四本の刀を見た。普段は帯刀しない刀ではあるが、私はこの四本を特に大切に扱っている。
 中でも輝きを放つ第九を見る。第九は、自決するときに使うと決めている。
 いまか?
 一瞬、そのような思いがよぎる。ベッドから立ち上がり、第九を手に取った。短く、私の手のひらほどの長さしかない。だが、命をひとつ奪うには、充分だ。
 その輝きは驚くほど純粋なものだった。ただ、明かりを反射する。それだけだ。もっと引き込まれるような感覚を期待していた私は、興を削がれ、また第九を壁に立てかけた。
 立てかける際、第九の刃に僅かな刃こぼれを見つけた。だが、何もすぐ使うわけではないのだから、なにも謹慎中の今、戦に関わることをしなくてもよいだろう。私は深く考えず、ゆくゆくやろう、とだけ思って、息を吐いた。
 謹慎は、暇だ。
 私は部屋にある書物を片端から読んでいくことにした。どんな書物でもいい。先生がこっそりつけている、二十年日記も読んでしまおう。ずっと興味があったが、先生にもプライベートは必要だろうと遠慮していた。だが、私は暇である。他人の日記は、暇つぶしには持って来いだ。
 その日記帳は、輸入物の技術で鍵がかかっていた。数字のついたダイヤルを回して解除するもののようだ。
 私はそういうパズルのようなギミックを解くのは得意だし、そもそもイブリ先生が設定しそうな数字には心当たりがある。私の両親の、先生のご家族の、ヒスイ国の、命日だ。
 何ページか、ベッドで寝転がって読んだ。
「え……」
 私は、とあるページから先は、絶句するしかなかった。
 手は絶えずページをめくり、目は文字を吸収する。肩が強張って緊張している。
「私は、この焔を、制御できません。父よ」
 私は初めて、先生以外を父と思った。見たことのない、“父なる存在”に縋るしかなかった。また、この国すらも憎く感じた。
 私は、復讐する。ヒイロ国の血にかけて、この国を壊そう。この、敵国を、蹂躙してやる。

***

「陛下、そのお怪我は?」
 トチ国に、クロ国のヤミが戻ってきていた。ヨスガはクロ国に戻されたらしい。何かあったのだろうか。
「ああ」
 ヨルは、ただあしらうように手元の怪我を見た。
「医者に診せなければ」
「ただの擦過傷だ」
「陛下、陛下は我らがクロ国のイデアです。イデアに傷がつくなど」
「わかった」
 ヨルは静かに頷いた。いつも通りの静かな声色だったが、面倒がっているような雰囲気があった。
「ロンリー・ウイング、ミコの手配を致します。お食事が終わり次第、ミコの病棟へ」
「わかった」
「お怪我ですか?」
 珍しく、マサキが食卓に現れた。後ろには、ミコもついてきていた。
「ああミコ先生、いいところに。我らが王、ヨル陛下のお怪我を癒してはいただけませんか?」
「傷を拝見しても?」
 その場ですぐに治療が始まった。私は初めてミコの治療を見た。小瓶に入ったとろとろとした液体を、ヨルの擦過傷に塗り込んでいく。それだけで、ヨルの手はみるみる肌を再生した。
「感謝いたします」
「お大事になさってください」
 ヤミが頭を下げている。ヨルは軽く目礼した。
「皆様に、お伝えしたいことがございます」
 ミコは、食卓の全員に向けて声を張った。私はミコがここまで冷静な理由を探していた。医者とはそういうものなのだろうか? 何か、変だ。人は、異常事態にここまで変わらないでいられるものだろうか?
「リシュテリィの被害が、このトチ国のみならず、異国でも報告され始めています。私が治療に向かえればいちばんなのですが、このトチ国には私の患者がいる。ナースだけでは無理のある範囲です。従いまして、各国に医者をお送りいただける国王様がたはいらっしゃいませんか」
 ミコは食卓を見渡した。
 どの王も、憔悴している。
 危機はすぐそこだ。



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