第十四章



 俺は息ができないまま、愛する者の狂える姿を、愛しいと思っていた。
「おまえは私からすべてを奪った! 名も! 自由も! 未来も! それで何もかもを失った私に、甘い言葉をかけた! 私を愛していると言った! その愛と呼んだもので私を縛った! 私は何も知ることができず! おまえに従うしかなかった! おまえは私を洗脳したんだ! わかるか、かつて父だったものよ!」
 ヨスガは、涙を流しながら、俺への恨み言を叫んでいる。
「そも、私の父と母を奪ったシロと、それを生み出すキングス・フレイヴァについては、あらゆる情報を伏せた! ヤミがチルを造ったと! ヨルの話し相手として作られたチルであったと! それを知っていたら、私はこんな国に寄与していない! 私の人生はすべて利用されていた! おまえのせいで!」
 あまりに正しいのだ。その通りだ。俺はこの子に、都合のいい情報しか与えなかった。従順に頷く姿が好きだった。それを愛とした。けれど、その通りだ。俺がやっていたのは、この子を操作することだったのだろう。
「“薬師”イブリ!」
 ヨスガの後ろから、妖精の国のマツロが走ってきて叫んだ。ヨスガの頬にはリシュテリィの痣がある。ヨスガが舌打ちをして、俺を縊っていた手を離した。ヨスガ程度の握力では、大人の男の首は折れない。
「ヨスガ」
 カラカラの喉で、俺はかろうじて言った。
「憎むなら、俺にしておけ。国に罪はない」
 ヨスガは逃げようとしていた足を止めた。マツロはまだまだ廊下の先だ。
「この痣を、私は知っている。誰かを殺めたものの痣だ。受けた呪いの形だ」
 泣きそうな声だった。やめてくれ。そんな声は出させたくない。
「私は、一生を懸けて、自分を殺していたんだ。無知という愚かさのもと、あなたを愛したんですよ、イブリ先生、あなたのことが本当に愛おしかった、あなたといると安心した、でももう、あなたを愛せないし、この世を愛せない、だから」
 ヨスガは抜刀した。彼が自決するときに使うと決めていた第九ではない。安堵があった。
「呪う」
 ヨスガは近くまで駆けてきていたマツロに対して、上段で構えた。マツロは足を躊躇わせる。
「ヨスガ」
 簡単なことだった。この子を愛していると驕り、この子の人生を自分のものにしてきたのだから、この子を自由にしてやろう。
「俺は、もういないよ」
 ヨスガは上段で構えていた。下段が空いていた。そこから帯刀している長刀を後ろから抜いた。抱きしめるように近づいた肌が、物悲しく感じられた。
「……愚かなひと」
 腹に刀を突き刺した俺を、ヨスガは振り返り、見た。ヨスガは泣きそうな顔をした。
「どうして、第七を。毒の刀を。僕そのもので、ご自分を」
 ヨスガに隙が生まれた。俺は最期の力で、ヨスガを斜めに斬りつけた。
「先生……?」
 人間が最期に残る感覚器官が聴覚だというのは本当らしい。
 愛する者の最後の表情は、泣きそうな顔だった。俺が斬ったあとの顔までは、見えなかった。

***

 以降、トチ国に、雪が増えたように思う。
 イブリがヨスガに刀を振るった瞬間、ラカツキが、リシュテリィ完全沈黙のニュースを知らせて回っていた。
 私は二人の遺体を埋めた墓の前で、雪の降る中で煙草をふかし、あの時のことを思い返していた。
 ヨスガの最期のとき、あれはリシュテリィの呪いから我に返った声だったのだろう。ヨスガの頬の痣はなくなっていたし、リシュテリィの相手をしていた身としては、気配がなくなった瞬間が判った。
 もともとのリシュテリィも、呪いに動かされていた。きっとヨスガも一緒だ。不幸なことだが、呪いが解けるのがあと一秒早ければ、イブリと和解していただろう。
 また、ヨルの近くにつくため、ヤミがクロ国から戻ってきているし、チルも最近は落ち着いている。穏やかな日々が帰りつつある気がしていた。ラカツキによると、このまま平和が続くようなら、戦争自体がなくなるかもしれないと教えてくれた。可能性、また、内々の話だとは言っていたが、希望は必要だ。
 最近、チルはメイロと仲がいいらしい。ヨルとチシオもチルにつく日はあるが、メイロまで加わることで、彼ららしさが戻ってきているように感じた。リシュテリィの猛攻は、王たちでさえ疲労させたのだ。
「マツロさん!」
 ヒイロ国の軍服の少女が私を呼んだ。ヒカリと言っただろうか。怪我をして大変だった様子だったが、ミコの治療で奇跡的に後遺症もないらしい。
「ごはんですよ。最近、平和ですね。このままなら、私たちは国に帰る予定だそうです。ちょっと早いですが、お世話になりました、って言っておかないと、これから忙しくなるかもしれないので」
「そうなんだね。ありがとう」
「はい。私たちって、決まった家とか場所で過ごすことに慣れてなくて、ここだけの話、早く自由な生活に戻りたいなって」
「決まった家を持たないのかい」
「はい。いろいろな場所で寝て、いろいろな場所で食べて。それが私たちのスタイルだったんです。あっでも、一緒に来てたミズキって子とかはおんなじ家でも平気なんですが……私、ミズキのことをもっと理解したいので、服とかは納得したんですが、おんなじ場所ってことだけは分からなくて。ちなみにマツロさんは、病院に寿司詰めで、どうして大丈夫なんですか?」
「どうしてと言われてもな……」
 説明に困った。違った生活をしてきたこの年若い女の子に、どうやって、私の生活を、わかりやすく伝えられよう。
 答えに窮しながらヒカリに連れられて歩き、墓から病棟へ戻ろうとした。その瞬間、病棟の窓から、コー、と音を出す機械が飛び出して、しばらく飛行し、はらはらと砕けた。紙が水に溶けるようだ。
「なんでしょうね、あれ」
 ヒカリが首をかしげている。私も首をひねった。
 苛烈な時期を過ごした後に、少しの平和があった。
 気が緩むには充分だった。

***

 ルシフェルの放送を、ぼんやりと見ながら、化粧を落としている。
 私は自分の顔が大嫌いだ。私が昔、今思えば貢ぎ尽くしていただけの、けれど当時は恋愛と呼んでいたその相手に、散々馬鹿にされ、煙草を押し付けられ、面白半分に切り付けられたときの痕が、顔に未だに残っている。
 保湿をしたらまたすぐに下地を塗り、なるべく鏡を見ないようにしながらコンシーラーで、火傷痕や切り傷を消していく。もうあのときの私ではない。今の化粧をした私は、絶世の美女だ。自分でも思うし、ヤミ閣下もそう仰る。整形の“毒姫”ヨスガも、きっと私に手を加えるところはないと言うだろう。
 ファンデーションを塗った。どうでもいいから早く完成して欲しくて、石橋を叩いて渡るように、丁寧に塗っていく。化粧を二度落とすのは御免だ。
 ルシフェルの放送の経過時間をなんとなく見て、時間の経過を知る。窓のない部屋なので、時計が頼りだ。けれど嫌だとは思わなかった。
 私を監禁しようと思ったヤミのことを、実は私はとてもよく思っている。
 彼のためなら、命をも捨てよう。



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