第十五章



 いけない。僕は急いでユナに連絡を取り、監禁している鍵の解き方をすべて話した。リシュテリィは世界を危機に晒したが、それ以上のことが起きようとしている。
 メイロが、チルに爆撃機の作り方を教えたようだ。
 紙製の飛行機が、チルの部屋から出ていくのを見た。ミロ国で見た軍用爆撃機とそっくりだった。
 ミロ国は小国だが、技術面では抜きんでた強国だ。その国の爆撃機をチルが作れるようになってしまったら、チルは世界を焦土と化させるだろう。メイロとは関係の深い僕は、メイロの弱さも知っている部分はある。メイロは武器を持つ者には冷徹だ。メイロがチルのことをどう思っているかは知らないが、良い印象ではないだろう。武器製造のために、チルを道具にしようとしているかもしれない。その場合は、チルを止めよう。キングス・フレイヴァに居た頃、チルを造ったときに、逃げ道も作ってある。ヨルは悲しむだろうが、チルに今以上の武器を造らせてはならない。だが、チルを失えば、僕はヨルの傍にはいられなくなる。感情と倫理が一致しない。
 ヨルとチルのことを考えると、必ず思い出すことがある。花々の咲き誇る春のことだった。体つきこそ大人であったが、造ってすぐだったチルを、ヨルの話し相手として彼のところへ連れて行った。チルがまだ平和に、N・N、ノー・ネイム、あるいは内々で、ナンバリング・ノンと呼ばれていた頃だ。ヒイロ国との戦争に終止符を打つための兵器のはずだった。そのときヨルは窓辺で、尾の長い小鳥と遊んでいた。そのとき、チルは初めて笑った。それをヨルに伝えたところ、ヨルは静かに、けれど確かに喜んでいた。ヨルがチルと一緒に鶴を折るのを見ていた。微笑ましかった。だが、いつからか、ヨルはチルとふたりきりで居たがるようになった。
 二人の仲を裂く手段は、持ち合わせていなかった。
 そこから、僕はどうやったらヨルのいちばん近くに行けるかを考えた。キングス・フレイヴァはあくまで秘密裏の組織だ。だったら、公に、一緒に居られるものになりたい。そう思い、僕はここまで来た。総帥となった。結果を出した。ヨルは世界的に、幼い頃から“眩しいほどの影”C・S、クレセント・シャドウと呼ばれている。僕はと言うと、L・C・S、リトル・クレセント・シャドウと呼ばれるまでになった。近づけた気がした。けれど、ヨルの心はチルのもとにあった。ヨルはC・Sと呼ばれることを幼い頃から嫌っていたし、僕がL・C・Sになってからもそれは変わらなかった。不思議と、悔しさはなかった。憎しみもなかった。嫉妬は、なくはないが、激しくはなかった。ただ、虚しさが強く残った。その頃に僕はユナを見つけ、攫い、監禁し始めた。最初は酷く暴れたが、一週間経たずに、彼女のために置いておいた雑誌に書いてあった化粧に興味を示し、僕に化粧品をメーカーまで指定して買って来させた。以降、彼女は、おとなしくて気が利く、床すら上手な絶世の美女だ。
 ……さて。
 いい機会だ。
 芽は摘んでおくか。

***

 メイロの部屋にて、僕がメイロを撃った後、護衛の兵士が駆け寄ってきた。その兵士から僕を護ってくれたのは、僕のあとをつけてきていたヨルだった。ヨルは僕の異常に気付いていた様子だった。僕はメイロを撃ったが、ヨルは兵士の目を潰すにとどめた。言外に僕を叱ったのだろう。兵士はすぐにうずくまり、動かなくなった。
 すぐに皆が駆け付け、チシオは彼特有の本能により、血だまりですべてを察した様子だった。敵意をあらわにしたチシオが血だまりを兵士にかたどる。僕はヨルとチシオの間に入った。
 だが後ろで鈍い音がした。ヒイロ国軍の少女、ミズキが、ヨルにナイフを突き立てていた。大人しい少女だと思っていたが、快活なほうのヒカリの何倍も判断力がある。
 僕を止めるにはどうしたらいいかを、よくわかっている。
「閣下!」
「ヤミ!」
 かつてないチシオの怒声だった。けれど何も響かない。
 僕は倒れ伏したヨルを見るのは、初めてだった。
 呆れたような足音が挟撃してくる。どうでもよかった。
 赤い武器が、僕に最期を告げた。

***

 俺は正直、戸惑っていた。
 ミズキの判断は正しい。だが、軍人なり立ての少女が、敵の最弱を攻められるとは思っていなかった。
「ミズキ……と言ったね」
「は」
「ご苦労」
「は」
 この少女は何者だ?
 兄を国から出させる算段、普段の大人しい表情と軍人のときとの変貌、それは、この年の少女が背負っていいものではない。俺は、もっと国民に平和に過ごしてほしい。
 だが、考えようによっては、軍に入れたことで国自体の治安はよくなるのかもしれない。俺はそういった犠牲の質および数の話は大嫌いだが、考えなければならないかもしれない。
「閣下!」
「え、ミズキ!」

***

 久しぶりの外の空気はとても澄んでいて、けれど何もかもが欠落している。
「貴様! 貴様……貴様! 何者だ!」
 涙をぼろぼろとこぼしながら、その少女は叫んだ。
「あまり政には詳しくありませんの。私はただの女。あなたこそ……あら、お化粧はなさらないの? とっても綺麗になれて、人生が変わりますわよ。人が話しているときに切りかかるあなたは、誰からも愛されないかもしれませんけれど」
 ヤミ閣下を奪った男と、そやつと話していた少女、両方とも簡単に刃が入っていった。その少女と似たような背格好の少女は狭い廊下で大剣、私は剃刀。こちらに分がある。
 ふと、背中に痛みを感じた。
「だ、め……」
 刺したはずの大剣の少女の片割れが、私を背後から斬りつけていた。だが、すぐに大剣を床につき、血を吐いて肩で息をしている。
「ミズキ、動いちゃだめだよ!」
「ひか、る……」
 大した時間もかからず、ミズキと呼ばれた少女は呼吸をやめた。大剣と両足で体を支え、立ってはいるが、もう絶命しているだろう。
「ミズキ……?」
 ヒカルと呼ばれた少女は、それに気付くと、大剣を握る手すら震わせた。私は少女に歩み寄る。一緒に逝けばいい。私はこの少女たちが気に喰わない。大して可愛くもない、大して化粧もしていない、なのに魅力的な彼女らが心底気に入らない。
「え……」
 あまりの出来事に私の手が止まった。血が勝手に動いているのだ。その隙を少女は見逃さなかった。少女の咆哮、手ごたえと、衝撃。

***

 相討ちだった。
 美女の振るう剃刀と少女の渾身の斬撃によって、チシオの体に互いの血がかかると、その血はゆっくりと形を成していった。やがて大人の人間のような姿かたちになり、跪いてチシオを愛おしそうに撫でた。
「母様……父様……?」
 チシオは肺を鳴らし、かすれた声を出した。
 私は柄にもなく怖くなり、その血をリヒテイユの剣で掃った。
 浴びた血は熱湯のようであまりに熱く、押し殺した悲鳴が漏れた。
「何の騒ぎなの……?」
 病棟の部屋から出てきたチルは、立ちすくんでこちらを見ていた。
「マツロ、それ、もしかして、火傷……?」
 チルはそう言うなり、こちらに駆け寄った。
「マツロ、だめよ、火傷は、だめ。だめなの……」
 チルは目に涙を溜め、ぼろぼろと泣き出した。白い靴が血で汚れるのも構わず、駆け寄ってきて私の手の傷のないところを持って、哀しそうに手で包んだ。
「もっと気を付けて……」
「……わかった」
 私は剣を握っていたため無事だった右手の平で、チルをそっと支えた。
「火傷だけはだめなの、マツロが火を咥えるたび、私、とっても怖かった……」
「そうだったのか」
「火は、だめなの、怖いの」
「わかった、ミコ先生に診てもらおう」
「ミコ? ……そう、ね……」
 チルは釈然としなさそうにしていたが、私の火傷を見て、無理矢理に納得したようだった。
 ふたりで病棟の階段を降りるだけの沈黙があった。しばらく感じていなかった静寂だった。
 一階に降りると、トチ国民が集まってきていた。
「マツロちゃん! 窓におっきな血痕があって心配してたの! 何があったの?」
 ナミダの母親が私にまくしたてた。
「そのひとが……やったのね?」
 ナミダの母親はチルを指した。私はカナエの話を思い出していた。ナミダのご両親となると、少し面倒なことになるかもしれない。
「異国の王を殺したみたいだぞ!」
 はっとした。裏口から病棟に入ったらしい、ナミダの父親の声が遠くから聞こえた。
「マツロちゃんはそんなことしないでしょう、その白いのがやったのね!」
「待ってください。まずはミコ先生を探して、マツロや王の治療をさせましょう」
「あっそれもそうね、ミコ先生は? ミコ先生ー!」

***

 僕の施術により、奇跡的に全員助かった。だがやったことはやったことだ。このままでもよくないだろう。
「マサキ」
「なに、ミコ先生」
「もう、いいかな」
「……」
 マサキはすべてを察した様子だった。
「ナースのあたしには何も言えないわ。でも、先生が頑張ってるのは伝わってるわよ」
「そうかい」
 僕の治療は、あの花の癒しの力だ。
 僕は病棟の奥で、マサキとふたりで毎日世話をしていた、一輪の花を、医療用メスで摘み取った。
 一気に空気が変わる。
 病院が、癒しの場所ではなくなった。
 僕が受け取っていた癒しも途絶え、ウイング・ロスが再発した。
 聖なる樹、リヒテイユに触れたことがあれば話は別だろうが、きっと、あの花がかかわったものたちは、もう助からない。
 僕が救った命がほかの命を奪うのを見るのは、もうたくさんだ。




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