イガカシ

甘くて健全なお仕置き



 アイカに菓子を贈りたい。ホワイトデーを控えている。
 けれど、オレは菓子に興味がない。
 誰かに相談するのも気が引ける。オレの勝手な悩みで手間をかけさせたくない。
 でも、いくら考えてもどうしようもなかった。アイカに不味い菓子を贈ることのほうが嫌だった。
「シノブ」
 ギターの弦を張り替えているシノブに後ろから声をかける。シノブは明るくふるまうが、根はただでさえ暗いオレよりもずっと暗い子だ。
 シノブはオレを見ると嬉しそうに「マナブー!」と大声を上げた。
「よかったシノブもう誰にも必要とされていないもしくは認識されていないんじゃないかと思った」
「シノブ……」
 シノブの一人称が名前なのは昔からだ。
「えへー、冗談。で、どうしたの」
 シノブのこういう言動は得てして冗談のはずがなかったが、余計な世話を鬱陶しがられたくなかったので本題を切り出した。
「アイカに菓子を贈りたい、申し訳ないのだが、なにが美味いのか教えてほしい、その、暇なときに」
「シノブ暇人だからー。ふーん、お菓子ね、目下最強のイチオシはラパン・ギャルソンのアップルパイだけど。アイカ様はパイはだめなんだっけ?」
「あ、あの、その、よくわからないんだ。申し訳ない」
「いやいや、いーの。んーじゃあソウに訊いてみるよ、それとなく。マナブのところにお仕置き行かないようにするから」
 ソウ様のお仕置きの件はすでに大っぴらなものになってしまっている。オレのマスターはアイカだが、シノブのマスターのソウ様はオレを性的に扱う。
「頼めるか」
「むろん! じゃあ今日の夜あたりに訊いてみるね。おいしそうならシノブも食べたいな」
「あ、あの、もしよかったら、シノブの分も、礼に買っておいていいのであれば……」
「ほんと!? やったあ」
 シノブが弦をタッピングしたので、生音のミラレソシミが鳴り響いた。
 そこで、声が聞こえて、オレとシノブは縮み上がった。
「シノブ、少しこっちへ来い」
 聞かれていたのだろうか、ソウ様だ。
 けれどシノブは慣れた様子で「やだー」と言った。その度胸を少し分けてほしい。
「やだー。ソウどうせ変態なんだもん」
「し、シノブ、そんなことを言ってはいけない」
「やなのー。マナブだって嫌でしょ? シノブも嫌だし」
「オレは……その……」
「マナブも嫌だったのか?」
 ソウ様が面白そうに言う。ああ、やめてくれ、恋をした人の兄に抱かれるのは、精神的によくない。アイカの兄はソウ様なのだ。
「驚いたみたいに言わないでよー。マナブは、アイカ様が好きなの!」
「それは知ってる」
「知ってるならちょっかいかけないでよー。もうやだー」
「で、来るのか、来ないのか」
「あ、オレが、行きます……」
「えーマナブ、行くことないってー」
「いや、シノブ、行くから」
「ええー……」
 シノブを残して、踵を返したソウ様についていく。
「ボクだってマナブにこんなことさせたくなかったさ」
 ソウ様の呟きに、オレの体は強張った。
「ボクはただ、テレビゲームで倒せないボスを倒してほしいだけなんだよ」
 オレは信じていなかった。どうせコントローラーを握らせたら、後ろから悪戯をしてくる。
 そう思っていたのに、ボスを倒し終えても、ムービーを見終わっても、ソウ様は何もしてこなかった。
「あ、あの」
「なんだ」
 言葉に詰まった。
「シノブにも、その、変態なことを、なさるのですか」
「どう思う」
 ソウ様は素っ気なかったが、怒っているときの口調ではなかった。
「それはその、よくありません、シノブはまだ幼いのです、オレより長く居るとはいえ、その……よくありません」
「まあ、ここに座れ」
 ソウ様は液晶の前からデスクに移動し、席をぽんぽんと叩いた。
「はい……」
 言われるまま、席につく。
「ボクの席だな」
「そうです、ね」
 しばらく沈黙があった。ソウ様は席に座るオレを無感情に眺めていた。
 そしてふいと背を向け、冷蔵庫から瀟洒な紙箱を取り出した。オレの前にぽすんと置く。
「ボクの代わりに、開けてくれ」
「え、……え」
「開けろと言っている」
 オレは覚悟を決めて、紙箱のシールをはがし、紙箱を開いた。
 中には一切れずつ、アップルパイ、バナナのシフォンケーキ、フルーツタルトが入っていた。
「おまえに、お仕置きだ。食べろ。おまえは自分で毒見もしないでアイカに菓子を贈るのか」
「え……」
 剥がしたシールをよく見ると、丸い字で『ラパン・ギャルソン』と書かれていた。
「この中で一番美味いものをアイカに贈れ。アイカの好みのものを贈るんじゃない、おまえがアイカに贈りたいものを贈るんだ。おまえが甘いものが苦手なのは知っている。だから、お仕置きだ。代わりにアイカには秘密にしておいてやる。この前のアイカのチョコレートは美味かったか? アイカはおまえにチョコレートが好きか訊いたか?」
「あ、とても、美味でした、甘くなく、苦みが丁度よくて、それから、アイカはオレには訊きませんでした……」
「そういうことだ。ほら食え、溶けるぞ」


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