イガカシ

ANGER



 チーズフォンデュが食べたい、リユウはそう言った。とても判り易い表現だったし、その頃には私も、ほぼ不自由ない日本語の運用と認識が行える状態だった。そうだったのだけれど、私は次のように訊き返さずにはいられなかったのだ。
「何故?」
 そのような判りにくい疑問を投げかけられたものだから、ぽかんとして、リユウは私を見詰めた。聡明な子だ、あらゆる言語においての、『何故?』という疑問文の原形を考えているのだろう。しかしながら、私にも、この『何故?』の原形が判らない。何故チーズフォンデュが食べたいのか。何故チーズフォンデュが食べたいと言うのか。何故チーズフォンデュが食べたいと私に対して言うのか。
「食べたいからとしか、言いようがないなあ」
 私の無尽蔵な日本語作文を終わらせたのは、リユウのほうだった。答えとしては、きっと適切だ。
「ギブ、苦手だったっけ? ええと、チーズと、小麦粉、白ワイン、あとパンとか野菜とか肉とか、あるいは着火だとか用意だとか。何か苦手?」
 違うのだ。どう説明したものか。
「リユウ。私は、ほぼ無尽蔵に食べる」
「普段から、割とそうだね」
「そう。しかしながら、消化器官は無尽蔵には処理しない」
「限界はあるだろうね」
「そう、だから、食事のときは、普段から意図して、食事を終わらせるぞ、と、終わらせる」
「なるほど」
 リユウは大体の目星がついてきたみたいではあった。私も、もう少し判り易く話せればいいのだけれど、相手の前提とこちらの前提が異なっていては、話にならない。そういうナーバスな問題なのだ。
「そして、リユウ、私はチーズフォンデュが好きだ」
「ほう」
「更に言うと、リユウは、ギャン様の血を引いている」
「うん? うん」
「つまるところ、リユウにみっともないところを見せてしまうだろう」
「待ってね、今までとっても大きなずれを見過ごしていたみたい。『更に言うと』から先で、一気にわからなくなった。整頓していい?」
「頼んだ」
 私が丸投げして、二人掛けのソファの上で、リユウの隣に居ながら眉間を揉んでいると、リユウは「いくつか考えたよ」と提示してくれた。
「まず結論を先取してしまおう。『みっともないところを見せてしまう』のが、ギブにとって、あるいは僕たちにとって望ましくないけれど、具体的に言わないのには何らかの理由があるんだね?」
「その通りだ」
「うん。そこでひとつ前の、僕がギャンの血を引いているっていうのが、手掛かりにならないといけないね?」
「ああ、そうだな」
「よし、その血縁の部分と、ギブがチーズフォンデュが好き、っていう部分の穴埋めをしないと、僕にはわからないので、このままいくと僕はチーズフォンデュが食べられない」
「埋めよう」
「お願い」
 今度はリユウが、丸投げとは言わないまでも、休憩のように、ソファの背から腕を後ろに伸ばすようにして、ストレッチをしている。
 そこで私は結論と解決法に気付いてしまった。それを提示すれば、この問題はきっとふたりで共有できる。私が敢えてぼかした表現を口に出さなくとも、楽しくふたりでチーズフォンデュを楽しめるのだ。
「リユウ、私は我慢を覚えようと思う」
「うん? 我慢? うん、たぶん我慢って訓練のものが多いから、いいけれど、フィジカルにもメンタルにも影響は大きくないものなんだよね?」
「ああ、少ない。そして、訓練すれば更に少なくなる」
「うん、ならいいんじゃないかな」
 ふう、と、息をつくために吸った空気が、そうすんなりと吐けるはずがなかった。
「でも、チーズフォンデュでギブに何らかの我慢をさせるということは、他の状況でまたこの問答が起きることもあるんじゃないのかな?」
 この聡い血には、少々の塩気を感じる。ギャン様もそうだ。リユウもそうだ。目的への視野をクリアにするためには、少ししみる目薬を差すことも厭わないのだ。もう少し、それこそクリアに言うと、長期的に見たときの悪因を取り除く考えを、ぽいと思いつくひとたちなのだ。
「ねえギブ、ちょっとだけ恥を捨ててみてよ」
「というと」
「『みっともないところ』ってどういうところ?」
 知らずのうちに詰まっていた息が、ヘリウムガス風船のように少しずつ抜けていく感覚がある。
「ねえギブ、僕はギブのために捨ててきた恥の数を覚えていないけれど、ギブは僕の捨ててきたそいつらを覚えているんでしょう?」
 私は思わず視線を膝に落とした。覚えているかもしれないし、私が思うよりもずっと多くをリユウは捨ててきたのかもしれないし、逆かもしれない。しかしながら、リユウの言わんとすることは判っていた。
 リユウは心配しているのだ。
 悪意でなく、怒気でもなく、ただ、私に深刻な問題が生じないように、考えてくれている。そこでリユウの考えが至ったその事態になる可能性を、ゼロに近付けたいだけなのだ。
 捨てよう。
「リユウ」
「なあに」
「チーズフォンデュを食べ過ぎて寝込みながら、フォンデュのワインで酔っ払って、おかしな声である事もない事も言う私を、見る心構えはできているか」
「なるほどねえ、うん、できていなかったよ。今からするから、今日はフォンデュをしよう。ふたりでしよう」
 でもねギブ、ギャンは酔わないみたいだし、食べ過ぎもしないけれど、僕は多分酔っ払うし、食べ過ぎに至ってはよくするよ、知っているでしょう。リユウはそう言った。
 これもまた判り易い、リユウの比較のたとえ話だろう。他人に言われても気にしない子だが、私に言われると気にする子なのだ。『自分はギャンとは違う』ということを、比較的早くから内的に確立してきたリユウであるが、生まれたときから仲良くしていて、かつ今に至っては夜を共にする仲の私に言われると、思うところがあるようなのだ。それは当然と言ってしまってもいいのかもしれない。
 恐らく、リユウはこのとき、ちょっと怒っていたのだと思う。


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