イガカシ

フライドチキンに宿る万の命



 フライドチキンは、特別なひとにプレゼントすることにしている。さりげなく胸派か腿派かリサーチを入れて、6個入りを買う。ビスケットと太めのポテトも外せない。まだお金があったら、クラッシャーズも頼む。だってそこでお金を渋ってお店が潰れてしまったら困るのは僕なのだから、当然のことだ。
 お店に行く3日前には精神統一を始める。3日前から食事を断つ。そしてまずエステに行く。そこから化粧を断つ。肌のダメージを減らして、フライドチキンの前で最高に可愛い僕になるためだ。
 帰ってきたら、独自の回線でウェブに探りを入れる。少し過疎気味の、ベテランの店員がいるお店が理想だけれど、なかなかない。しかしながら電車の走る地域に2件ほどはあるものだ。極端な話、どこまで遠くたって構わない。手間よりもフライドチキンのほうがずっと価値がある。
 最後に、服を確認する。基本的に正装で行く。スラックスにアイロンをかける。季節によって上は変える。お店に不純物を持ち込まないよう、できるだけ上着のあるコーディネートをする。無論、お店に入る直前に脱いで払って裏地を表にして入店する。
 それでだいたい2日だ。3日目は、下見に行く。自分より可愛い子や格好のいいひとがいるお店には入らない。お店にとって、僕がメリットにならないといけない。素敵なひとのいるお店に、なにも喧嘩をふっかけに行かなくたっていいのだ。過疎気味のお店に僕がいることで客足が伸びるのが理想であって、お店の中でオーラの違うスタイル同士が入り混じってしまうのは避けたい。
 そして今日、当日だ。白い電気の下で化粧をしたため自然な仕上がりになっているはずだし、ビルに横姿を何度も映して確認したので服にも問題がないはずだ。お店には、デート中のカップルと、学生4人組がいるだけだ。席は4分の1は空いており、カウンターには誰も並んでいない。
「いらっしゃいませ!」
 店員の感じもとてもよい。敢えて慣れていない風にメニューを見た。実は、先程のメニューを渡したいひとがいる。しかしながら、よく考えたらここで頼んでは冷めてしまうだろう。次は一緒に来たい。そう思いながらも、僕はさっきのメニューを寸分たがわず頼んでいた。クラッシャーズ込みだ。
「かしこまりました。お持ち帰りでよろしいですか?」
 包装は、微力とはいえお店の負担になる。いえ、店内でいただいていきます。言うと店員は、何事もなかったかのように、注文の確認をした。教育がきちんとしている。ここに、あのひとを連れてこよう。僕の心は決まった。
「少々お待ちくださいませ」
 アルバイト達が動き出す。幾億もの鶏のたち思いを昇華させるように、時給3桁で働いてくれる。僕は涙が出そうになった。しかしまだ早い。涙は、このなかでいちばん大きな犠牲を払っている鶏たちに捧げたい。
「大変お待たせいたしました」
 しばし、見とれた。さっくりカリッと焼き上げられた鶏、紙袋に入ったふかふかのポテト、メイプルシロップの添付されたビスケット、そしてバナナのクラッシャーズが、僕を呼んでいる。僕は生きてあの戦場から帰ってこられたことに感謝をした。フライドチキンがこんなにおいしいなんて、あの頃は知らなかった。
 お礼を言って頭を下げる。トレイを両手で受け取り、奥の人目につかない席についた。手を消毒し、腿肉を持つ。熱い。かみつくと皮がパリと音を立てて破け、筋肉の通りに腿肉が裂けて、その間という間から芳醇な肉汁が溢れ、鶏の香りを僕に知らせる。僕に、幸せというものを教えてくれる。
 肉汁より先に滴ったのは僕の涙だった。おいしい。命の味がする。鶏たちの生きてきた時間の味がする。噛み締めながら、両手を広げて喉をそらす。最高の幸せを体現したくてたまらない。声を上げてお店に迷惑をかけるわけにいかないので、口を拭くふりをしてワンダフォーと口を動かした。
 猫よりも丁寧に、骨だけを残した。ここでポイントがある。鶏肉は香りが強い。最初から飛ばすと、ビスケットやポテト、クラッシャーズの味が薄れてしまうことがある。だから僕は、最初にチキンを1ピース食べたら小休止を入れることにしている。
 冷めないほうがおいしいのは、ビスケットだ。割って、バターが蒸発する香りを楽しんだら、まずはシロップをかけずに食べる。バターと歯応えを感じるのだ。
 そしてその半分のビスケットを食べ終えたら、もう半分は残して鶏肉に戻る。次は胸だ。腿よりも脂が少ないため、腿よりも後に食べたほうが全体の感動が大きい。フライドチキンはチーム戦だ。
 チーム戦で思い出したが、連絡係の仕事を、今日はシノブに任せている。シノブにもこの感動を伝えたい。フライドチキンは人生が豊かにする。回線をつないで、シノブに、生き方すら変えてしまうものを教えてあげる、というメッセージを送った。
 数秒した。シノブにつながる。挨拶もそこそこに、僕はチャットを飛ばした。尊さは生きている、十字を組みながら禅を組もう、手があと2本あったら合わせるといい、口がもうひとつあったら感謝を述べながら食べられるのに。
 シノブは言った。ごはん?
 僕は情報を足した。最高のご馳走だよ。
 シノブは、ふうん、といった感じで、全然僕の感動が伝わらない。僕はシノブの承諾を得て、彼の味覚をジャックした。僕と同期させ、口いっぱいに胸肉を頬張る。噛めば、溶ける。
 シノブが、わあ、おいしいね、と言った。
 僕はまた情報を足した。鶏肉のあるべき姿だよ。
 胸肉は食べ終わってしまったので、次はポテトを食べる。ふかふかした太いポテトは、クラッシャーズと相性がいい。ポテトを5本食べたらクラッシャーズを一口飲む。するとシノブがなにやら騒ぎ始めた。その冷たいの、買ってきて、おいしい。僕は嬉しくなって、二つ返事で引き受けた。
 次の腿肉に噛みつこうとしたところで、僕は血管が広がるのを感じた。結。そう呼んでくれたのは、他でもない、僕がフライドチキンを贈りたい相手がそこにいたからだった。油まみれのてらてらした口で、僕はそのひとの名前を呼んだ。外見の定着しない僕を見つけてくれて、おまけに僕を目に映すそのひとは、あまりに眩しく見えた。狭いひとりがけの席の、向かい側に座ってくれる。これだから、フライドチキンはおいしいのだ。


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