イガカシ

COLDER



 ほんの少しだけ、うらやましいなあ、と思う。
 ギャンが風邪に罹った。ラブが看病をしている。珍しく大人しくなっている風邪っぴき男の息子である僕は、彼の仕事で僕にもできるものをこなしていた。娯楽施設の治安を良いものにするには、という案件にとりかかっている。回転率をあげて人目につく状態にすることにより、安全意識が上がらないだろうか。イメージとしては、激しい運動をするときに免疫力が高まるような。
 考えながら考えていた。父は畳の上で死ぬことをよしとするだろうか。
 実にニッチな問いが浮かんでしまったものだ。人類皆が畳に伏すことを願っている、あるいは、皆の最善を尽くし壮絶に散るように、もしくは他人は他人なので勝手にするといい。どれもあの口から出てくるのが想像できる。しかしながら、あの口はひとつだ。彼が最期に選ぶのはどれだろうか。
 なんとなく父の顔が見たくなって、執務室に置いてあった冷蔵庫を漁り、ピッチャーに入ったほうじ茶を差し入れがてら見舞いに行くことにした。考えながら考える、父の部屋にも冷蔵庫はあるし、極東の島国びいきの父のことだから、ほうじ茶くらいは常備しているだろう、しかしながら父は、贈り物に込められた気持ちを汲むひとのように思う。
 不思議と、廊下では誰にも会わなかった。いつもならばシノブが意味もなく駆けずり回っていてもおかしくない。父の部屋をノックする。いつ見ても、何の変哲もないドアだ。若干サイズが大きいだけで、至って普通の、乳白色に塗装された木製の扉だ。
 驚いたことに、ドアを開けたのは、ほかでもない父だった。ちょっと緊張する。
「お見舞いだよ」
 父は目を丸くした。なんだろうか、息子が見舞いに来るのが、驚いた後に笑い出す程に珍しいのか。
「いや許せ、構わない、入るといい」
 父は笑いの合間にそれだけ言うと、あっさりと背を向けた。不思議と憤る気にはならず、爆笑の理由を素直に知りたい思いが膨らんでいく。失礼します、と入室する。
「見舞いに来たかっただけなのであれば、リユウ、そこまで即席の差し入れをこじつけて持ってくるわけがなかろうに」
 それもそうだ。考えながら考えるのも、考え物だ。
「話したいことがあるのであろう、座布団にでもかけるといい」
 言われるまま、下座の座布団に座る。その間、ギャンは湯呑みと茶菓子を用意していた。そういう作業を好む人ではなかったはずだけれど、そういえばいつもそれを請け負っているラブが見当たらない。
「ギャン、ラブはいないの」
「おらん。熱風邪をうつさぬよう、シノブと外に出した。人を払うか、リユウ?」
「……ううん、必要ないよ」
「ほう」
 顔に、面白い、と書いて、ギャンはピッチャーから湯呑みに茶をついだ。僕からしても、これは何もかも面白い光景だ。
「話していいかな」
「聞こう」
「人間が畳の上で死ぬことについて」
 ギャンは静かに茶を注ぎ終えた。
「どう思う、ギャン」
「そうさせたい及び、したいのならば、任せるさ」
 ギャンはひとくち、茶を飲んだ。
「なぜならば、俺は言いなりにならないものが嫌いだ。言いなりにならないものは、放っておいて滅するを待つ」
「選べるのならば?」
「任せることを選ぶまでよ。俺がこの問答に返事をしている意味が判るか、リユウ」
 考える。そのことだけを考えた。これ以上考えてもこじれるだけだ。口に出してしまおう。
「いま僕に殺されるのならば受け入れるという意志表示をしている、のかな?」
「ふむ」
 ギャンは興味深そうに空を睨んだ。
「突飛な答えだ。あながち嘘でもないのかもしれん。受け入れるという動詞を除いては、面白い答えであったぞ、リユウ」
 少し父が怖くなって、茶を飲んだ。すっきりとしたおいしいほうじ茶だ。
「実はなリユウ、まるきりの出任せだった。出任せの理由を問うたわけだ。存外的を射ているようで興味深い。ちなみにだが、俺は死ぬ気はない。悲壮な顔をすることはない」
 変な顔をしていたようで、顔の筋肉が疲れている。
「聞けて良かった。うらやましかったんだよ、ギャン」
「おまえがうらやましがるなど珍しい」
「僕もびっくりしてるよ。ラブがうらやましかった、ラブにもこういう話をすることがあるのでしょう? 弱ったギャンの弱った気持ちを、僕も見てみたかったんだ」
「ラブにはもう少し冗談としての虚勢を張るさ。リユウ、俺と話し終えたら少し休むといい、おまえは多分具合がよくない」
「そうするよ、どことなく頭も回らない」
 自愛します、と、その場はそれで終えた。
 しばらくして、僕はインフルエンザを発症した。熱風邪呼ばわりされた、哀れなインフルエンザウイルスを、畳ならぬ、僕のベッドの上でひたすら殺していく日々が始まった。



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