イガカシ

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 家庭科だけは苦手だったのだ。さっさと卒業して逃れようとした。結局逃れ切ることに成功したわけだけれど、やはり必要なものではあったようだ。僕は、ギブに料理を作りたい。
 ギブはよく食べる。ならば、家庭科で作ったことのあるカレーライスがいいのかもしれない。カレーライスのメリットは、いちどにたくさん作れること、失敗が少ないこと、経験があること。デメリットは、芸がないこと、食べ飽きること、感想が「おいしい」しか来ないことだ。
 基本的に僕は嘘をついたり驚かせたりするのを好まないので、ギブに直接たずねた。食べたいものはない?
「少し、甘いものが欲しい気分だ」
「甘いものか」
「温かいといいな」
「わかった、温かい甘いものだね」
 少し待っていて。僕はそう残して、執務室を出た。
 勝算は、ホットケーキだ。いろいろな味のホットケーキなら、温かく、甘く、飽きず、凝って、たくさん作れる。
 廊下を歩きながら、マナブに内線で連絡を取る。料理をするのは主にマナブなのだ。
「あ……っは、はい、りう、リユ、様……」
「ああ、やっぱりいいや、ごめん」
 一言目で僕は容赦なく内線を切った。昼間からお楽しみの様子でなによりだ。
 次に、ムスブに連絡を取った。彼がアパートで服のケアをしているのを確認してから、回線をつなぐ。しかし僕は歩きながら一連のことをしているので、もう厨房からすぐのところにいた。今更訊くことなど、味方を増やすエゴイズムでしかないといえばそうではある。
「はい、ムスブです」
「リユウだよ、久しぶり。ムスブ、君ならどういうホットケーキを食べたいかな」
「ホットケーキ!」
 ムスブはいわゆる女子力の高いイガカシだと言えるだろう。若干味覚がずれていることもあるけれど、いろいろ知っている、とも言える。
「チョコレートと果物のミックスが最近のヒットでした。ベリー系や、バナナとか……ああ、行きつけのお店のメニューをお送りしましょうか?」
「助かるよ、ありがとう」
 すぐに画像が送られてくる。ムスブに礼を言って、端末からその画像を開いた。
 色とりどりのホットケーキが並んでいる。生地にベースの味を練り込むタイプの店らしい。それとも、それが最近の流行りなのか。チョコレートベース、ヨーグルトベース、メイプルベースなどの生地とフルーツの組み合わせで、だいたいは作れそうだ。
 家庭科を放棄しなくてよかった。自然とボウルを複数用意していたし、手を切ることもなく、フルーツをミキサーにかけるときに少量のミルクを足すのも忘れなかった。焼き加減も、ばらついてはいるけれど、許せる程度にできたはずだ。ただ、少し、成人男性型の胃袋がこれで満足するだろうか、という不安が芽生えてしまった。
 とりあえずもう少し作っておこうか、洗い終えたボウルをよく乾燥させ、ホットケーキミックスを100グラム入れた。
 しかしながら、ここが初心者たる所以なのだろう、たまごと牛乳を切らしてしまっていた。僕は必死に理科を思い出す。理科は得意だった。けれど、少し混乱していた。ホワイトソースがあったので、それをホットケーキミックスにかけてみる。水気が足りない。そうだ、コーンポタージュ味にしよう。冷蔵庫のそれはシノブのものだったが後で謝ることにして、コーンポタージュでホットケーキミックスとホワイトソースを溶く。タンパク質を増やそうという少しの思いつきで、粉チーズを少々足した。それなりになったはずだ。
 焼き終えた。自然と深呼吸を求める。冷めないように紙をかぶせてあるホットケーキを、あたかも自分が作ったわけではないというようにギブに出そう。僕は執務室へ、台に乗せたホットケーキの山をがらがらと引きずった。
「リユウ、おかえり」
「うん、ただいま。おやつにしよう、ギブ」
「ありがとう、ちょうど空腹だった」
 ギブが嬉しそうに、監視カメラの今朝のぶんのチェックを一時停止してテーブルについた。僕は胸が暴れるのを感じながら、被せていた紙をはがした。
「いい香りのクッキーだ」
 少し小さく焼きすぎたかもしれない。そうだね、と返した。いただきます、と、ギブは手近なチョコレート味をつまんだ。
「チョコレートと、ラズベリーかな。バランスのいい味だ。歯ごたえもよくて、おいしい」
 ギブはひとかけのホットケーキをふたくちで味わい、唇を軽く舐めた。よかった。僕も同じものをつまむ。味云々よりも、明らかに手作りしました、という食感だった。これは、変に隠すのは難しい。それに僕は、嘘をつくのを好まない。
「ギブ、初めてにしては、悪くないよね」
「初めてでなくても、悪くない」
 ギブは、ぺろりと平らげてくれた。どれがいちばんおいしかったかをたずねると、チーズの香りのクッキーが好きだったという。僕もひとつ食べたけれど、想像より普通の味だった。要するに、普通がいいのかもしれない。そして僕は、今回はクッキーを焼いたことにした。


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