イガカシ

想像以上、創造



 ある朝のこと、この上なく眠たそうな声で、寝転がったままギャンが言った。
「よく俺にリユウがいて、平気でいるものだ」
 よく天井に向かって話していて、平気でいるものだ。
 そう返しても、悪くないといえば悪くない。
 それでも朝一番にそのような言葉は言いたくないものだ。
 それに先程のギャンは呆れていたけれど、僕のほうは感嘆に近い。
 彼の実の息子にやきもちとは、僕も愛されたものである。
「無論平気ですよ」
 僕がいつも通り平坦に答えると、ギャンはほんの少し語調を強くした。
「妬いてほしいと言っているのがわからぬのか、ラブ」
 ここに来い、と言いたげに、ギャンは寝ている横のシーツを叩く。
 最上級の化学繊維が、とすとすと音を立てる。
 決して乱暴な空気振動を生まなかった。
「そうですね、判らなくはありませんよ」
 僕の身体は小柄な12歳の模型だ。
 軍を指揮したギャンの横にでさえ、試みればするりと寝転がれる。
 でも僕は出かける予定があった。
 既にシャワーを浴び、大きな姿見で服を確認しているところだ。
 むにゃむにゃとギャンが言葉を重ねる。
「ラブ、おまえはこれからギブと出かけるだろう」
「然様ですね」
 鏡越しにギャンの様子を見る。
 両手の指先同士をくっつけて、指同士が触れ合わないように回している。
 ギャンは指が長いので、簡単そうだ。それとも単に上手なのだろうか。
「妬ましくてならない」
「だから僕も、あなたの周りに嫉妬してほしいと?」
「察しているのなら、そうしない理由もあるのだな」
 12歳の身体を使っている僕と違う生身の大人の体型が、起き上がる。
 憧れるほど深い息だ。
 この息が僕にもあれば、このひとの不安も薄らぐのだろう。
「リユウ様は、あなたの子供でしょう、ギャン」
「そうだが?」
 あくび混じりの返答が来る。
「自分のマスターの子供に妬くわけにいきませんでしょう」
「理性的な答え方だ」
 僕はソックスの縦の縞模様、そして短いボトムのアイロンの跡を整える。
 わざわざギャンの眼前でこうしておかないといけない理由があった。
 それを伝えきるまでは、ギャンは不満そうな表情を崩さないかもしれない。
「僕の恋人を愛してくれている存在なら、僕にとっても尚更大切でしょうに」
「リユウが俺を愛していて、俺がリユウを愛していても?」
「然様ですよ。リユウ様がいなければ、僕は完成しなかったでしょう」
「そういう問題だと思うか」
「今の問いに関してはそう答えるしかありません」
「ならば、自由に話せ」
「ええ。僕は、あなたの全てを愛していた」
「そうだな、昔のおまえは、愛というものを知っていた」
 ギャンの表情がすっかり穏やかになる。
 僕はこのひとのこういうところが好きなのだ。
「同様にあの頃は、僕はあなたと共に、統率する立場だった」
「そうだったな」
「あのときに、僕がリユウ様をどうにかすることも、まあ、可能でしたでしょう」
「ではあろうな」
 鏡の中のギャンは、指回しをやめて、遠くを見る目の角度になっている。
「なのに、僕は、あなたとリユウ様を、こうして無事なままにしている」
「ああ」
「加えて、僕の愛は、あなたがいちばんよくご存知です」
「であるとしたら?」
「あなたが愛するものを、僕は愛します。ギャン、あなたの愛に従います」
「俺の全てにと言い切らない辺り、あの頃と変わって見えぬというのに」
「機械の身体があなたの許可なしに替わるとでも?」
「それもそうだ」
 ギャンが息を吐くついでにそう言葉にした。
 僕も、肺の形をした胸の奥まで息を吸って、吐き出しながら言った。
「本質的には、妬ましいこと、この上ありません」
「ほう、そうか」
 ベッドの上でギャンがこちらを見るために寝返りを打った。
 ギャンの息がますます深い。
 もしかするとギャンは眠たいのではないだろうか。
「僕の口は、肌は、粘膜は、髪は」
 あと何かあっただろうか、ひとつ考えついて、怖くなって、すぐに忘れた。
「定期的にクリーンナップに出されてしまいます」
「そうだったのか」
 ご存知なかったんですか、を、飲み込んだ。
 そのようなはずがないからだ。
 多分、多分である、彼は、クリーンナップの恐怖を知らないのだ。
 自分に触れた最愛のひとの指紋が消えてしまう。
 その空の果てまで続くような絶望を、知らない。
 いつか自分が彼をなくしたときに、彼が僕にくれたものがすべてなくなる。
 何もかも証拠が残らない。
 この彼への恋情は、誰かによるプログラムの簡単な書き換えで、消える。
「どうした、続けて構わんぞ」
 はっと目が覚めた。
 ば、とギャンのほうを振り向くと、彼はとうに目を閉じていた。
 やはり眠たいのだろう。
「そうですね、クリーンナップでどこまで消えるのかは、技師次第です」
「それもそうだ。妙なことまで消されたらかなわん」
 ギャンがゆっくりと目を開けた。
 ぞっとするような目で、天井を睨む。
 いま言ったことへの反応でないことはすぐにわかった。
 彼が睨んでいるのは、酸素と窒素に混じった、濃度の高い嫉妬であろう。
 その嫉妬は、僕によるものでもあるし、ギャンによるものでもあった。
「クリーンナップで、すべて消えたとする、そのときお前は、ラブ」
 ギャンは言葉を選んでいる。珍しいこともあるものだ。
「もういちど俺に愛されることを選ばないのか」
「選びませんよ」
 ギャンの目は、嫉妬を睨むのをやめた。
 無防備に目を見開いて、こちらを見ている。
「あなたは僕の代わりに未来の僕を愛するんですか。逆も然りです」
 なるほどなあ。ギャンはそう言った。
 そしてくつくつと笑い始めた。
「昔、妻を愛した俺を、おまえは妬まないと?」
「妬まないようにしている、ということです」
「しかしながら、本質的には妬ましい、と」
 敵わぬものだなあ。ギャンは言う。
「愛せど愛せど、おまえの中で過去になってしまうのか」
「誰をですか」
「俺が愛したものたち全てだ」
 別に構わんがラブ。ギャンはそう続けた。
「おまえは、機械だ、ラブ」
「然様です」
「今、指示されている愛だけでも、信じてはくれないか」
 言い換えるのならば。
「書き換えられるまで、おまえは変われないのだぞ」
 どうあがいても、俺を愛したままでいるしかない、わかるか、ラブ。
「書き換わるときは、俺の目が色を失ったときだ」
 ギャンは照れくさそうに口角を上げた。
「長いものには巻かれていろ」
「……然様ですね」
「ギブか、ギブも背丈は長いからな、あれと楽しく出かけてくるといい」
「そうします」
 時計は、ギブとの約束の12分前を告げていた。
「13時に、連絡を入れます」
「了とした。行ってこい」
「ええ、行って参ります」
 ギャンはひらりと手を振って、すぐに眠ったようだった。
 僕は軽く腰を折って礼をし、ドアを出て階段を下りていく。
 今日、ギブには異国の料理の店を教わる。
 僕はあまり食べるほうではないが、ギブと一緒ならば大丈夫だろう。
 出前も頼めるようなので、13時にここに戻ったら頼むつもりだ。
 ピザ、あれは、おいしいものらしい。
 久しく和食しか食べていなかったため、控えめにしないとならない。
 ギブのマスターは、ほかでもないリユウ様である。
 案の定、ギブはリユウ様のお部屋に居るようであった。
「焼けるようだ」
 思わず小さな声で口走った。
 ピザが、ではない。
 いや、無論ピザも焼けてほしいが、今はそちらではない。
 この脳とされる回路が、焼ききれてしまいそうなのだ。
 思わず下を向いた。
 やけに整った自分の服装と床が見えた。
 ギャンのものである自分は、人目にふれる場所では整っていよう。
 そう思って何度も姿見で確認していたのであるが、何ともしっくりこない。
 ギャンのものとして人目にふれるから整っておくのではないのだ。
 自分より整った自分がギャンのものである瞬間があるのならば、それがどうにも妬ましいのである。


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