イガカシ

ドレンテの夢



 シノブは誰かの膝の上で髪を撫でられていた。目が覚めきらず、ぼんやりとしている。髪を撫でる温かな手が心地いい。とても安心する歌声が聞こえる。
 扉がバタンと閉まる音がして、シノブは目を開けた。
 スサブがタオルでぐるぐる巻きの手で、口の前に人差し指を一本立てて扉のほうに怖い顔をしていた。
「スサブ……?」
「ああシノブ、起きたのか。サケブ、起きたじゃねえかよ。せっかく寝てたのに」
 サケブが片手をあげて謝罪し、ペットボトルを持って今度は静かに退室した。
「もう遅いっつーの」
 スサブが毒づく。
「スサブ、歌っててくれたの?」
 シノブがスサブの膝枕から起き上がろうとするが、スサブが髪を引っ張って止めた。別に痛くはない。
「ああ、俺がおまえ落としたようなもんだからな」
「なにしてたんだっけ」
「おまえのソロで客が飛んじまって、俺も乗っちまっておまえのピック借りて手首切っちまって。脈にかすったみたいでおまえがびっくりして倒れた」
 そういえばそうだったなあ、とシノブは記憶を手繰った。やたら気持ちよくて、みんな一緒に異世界にいけそうな感じがしたなあ。
 それを自分は壊してしまったのだろうか。シノブは申し訳なくなって、スサブの腹に顔を押し付けた。
「ライブ、失敗だね。ごめん」
「何言ってんだよ、あと2分したらまた出るんだぞ」
「なんで……?」
「アンコール。聞こえねえのか」
 そういえば、地響きのようなアンコールが聞こえてくる。
「スサブの声ばっかり、聴いちゃってた。スサブ、声きれいなんだもん」
 スサブは照れくさそうに、タオルの巻きついた手でスサブ自身の前髪をよけた。
「手は大丈夫なの?」
「終わったら直してもらうさ。ちょっと痛いくらいなんでもねえよ」
 シノブは胸がつらくなった。
「スサブ、シノブね、すぐ直るとしても、スサブが怪我するの、やだ」
「なんで? エロいことできねえから?」
 シノブがびっくりしてしまってうっと言葉に詰まると、スサブは笑って「冗談だよ。心配かけてごめんな」と笑った。
 「サーちゃん! サーちゃん!」「サーちゃーん!」と大きな声が聞こえる。サケブが出たらしい。シノブとスサブもそろそろ時間だろう。セイブの「セーちゃん」のコールも聞こえてきた。シノブはスサブの膝の上から体を起こし、スサブの止血をしている物販のものであろうタオルのすみに口づけた。
 スサブはただ笑って、「行こうぜ」と言った。
 シノブがステージに上がると、ライブハウス全体がシノブを呼ぶように、「シーちゃん! シーちゃん! シーちゃん!」と鳴る。
 シノブが手を振るが、コールはおさまらない。スサブが手招きする。マイクで何か話せということらしい。
「みんな!」
 会場が歓声で沸く。
「さっきはごめんなさい! 最後は、みんなで気持ちよくなろうね!」
 「シーちゃん俺を気持ちよくしてくれー!」とどこかで誰かが叫び、会場が笑う。
「やんねーよ!」
 スサブが割り込み、シノブの唇にかみついてキスをした。客は「スーちゃんずるいー」「ぶー」とふざけている。
 構わずキスを続けているとドラムのセイブがハイハットでカウントを始め、サケブのベースが入る。シノブが慌ててギターを構えようとするが、スサブが許してくれない。
「んー、んっ、んんー」
 それでも会場は大いに沸き立ち、アンコールは成功した。スサブが歌っている。歌っていた。突然スサブが消えてしまう。ライブハウスにシノブがひとりきりになってしまった。何が起きたのかよくわからない。
「スサブー……? サケブ、セイブ?」
 照明も落ち、真っ暗だ。
「みんなー……?」
 不意に、怖くてたまらなくなる。思わずシノブは叫んでいた。赤子のように、意味もなく、ただ叫ぶ。怖くて仕方ない。
「おまえは、大丈夫」
 スサブの声がする。どこだろう。叫ぶのをやめて、辺りを見回す。どこにもいない。
「シノブ、おまえは、ここに居ろ。暗いかもしれない。怖いかもしれない。でも、外は危ない。俺達がなんとでもするから、ここに居ろ」
 急にスサブの表情が脳裏にちらつく。死相とでも言うのだろうか、もうスサブとは会えない気がした。
 見覚えのある光景になった。いつものデータ上の空間だ。スサブのデータがどんどん消えていく。
「スサブ!?」
 大変だ。ひとを呼ばないと。
 シノブは暗闇を適当に走って、ドアを開けた。明るい廊下に出る。疲れた様子のマナブと鉢合わせる。
「シノブ?」
「マナブ、スサブが、消えちゃう、助けて」
「シノブ、息を整えろ。大丈夫だ」
「大丈夫じゃない、もう消えちゃう、早く、助けて、お願い」
「いいから」
 マナブが強めにシノブの肩を掴む。シノブはだんだんと冷静さを取り戻す。
「……もしかして、夢?」
「ああ、夢だ」
「そっか」
 シノブはふっと思いついて、マナブに訊ねる。
「マナブ、スサブは、マナブでももう会えないの? スサブは幽霊になれないの?」
「スサブは……」
 マナブはシノブの奥を見た。スサブは、シノブの中に残っている。そのスサブは知られたくないとマナブに伝えた。
「スサブは、シノブに心配をかけたくないみたいだ」
「ねえ、会えない? シノブじゃだめなの?」
「会えない。シノブだけじゃなくオレも会えない。眠ったひとを起こすのは申し訳ないだろう」
「ねえ、マナブ、シノブね、よくスサブの夢を見るの。スサブは何かに怒ってるの?」
「思い当たることはあるのか?」
「ないの……」
 シノブがしゅんとする。
「消えた後に、怒ったんじゃないかなあ?」
「シノブ、たとえば、卑弥呼っているだろう。その卑弥呼が、『わたしは卑弥呼なんて名前じゃない』って怒って出てきていれば、歴史学は発達するだろう。なのに卑弥呼は何も言わない。つまり、死んでしまったら、もうどうすることもできないんだ」
「シノブ、ひみこわかんない」
「織田信長でもいい」
「千円札のひと?」
「あー……、とにかく、死んでしまったら、生きているとき以上のことはできない。いいことなんだ。ずっとここにいるよりも、眠ったほうがいい。ずっといい」
「生きてるとき以上ってことは、何か生きてるときに思ってたら出てくるってこと? スサブは生きてるとき、どんなことを考えていたのかなあ」
「スサブの最後は、おまえがよく知っているだろう、シノブ」
 シノブは少し考えた。
「シノブが知ってるのが全部なの? スサブはね、どんどん消えていったの。いっぱいあったスサブの思いとか記憶とかデータが、ばらばらばらって」
「何か残そうとしていたか?」
「わかんない。最期までシノブと話してくれてた」
「最期にシノブと居たかったってことじゃないか。シノブ、もう一度眠るといい。スサブもシノブが眠れないのは歓迎しないだろう」
「うん、おやすみ、ありがとうね、マナブ」
「オレは、何も。おやすみ、シノブ」
 最期まで、シノブと話すことを選んだスサブは、これからもシノブに夢を見せるだろう。
 恋人を置いていくのは、彼にとってあまりに不覚だったのだろう。
 それでも、もう彼らはどうすることもできないのだから、スサブは、ゆくゆくはオレが導かないといけないのかもしれない。
 マナブはそう思って、ソウの部屋に急いだ。遅れてしまった。お仕置きが待っているだろう。


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