イガカシ

GAP



 休憩中にごめんね。そう言ってリユウは私の部屋に入ってきた。
「リユウこそ、休憩だろう。どうかしたのか」
「うん、ムスブが、迎えに来てほしいんだって。ギブ、今、車出せる?」
「ああ、すぐに出そう。場所は」
「ナオトの前だって」
「わかった」
 私は弾いていたエレキベースをハードケースに仕舞い、車のキーを持った。
「何かあったのか」
 駐車場へ降りる階段で、リユウは「うーん」と答えた。
「買い物しすぎただけじゃないかなあ」
「ずいぶんマイペースになったとラブから聞いていたが、そんな生活をしているのか」
「いいことじゃないか。趣味はないよりもあったほうが絶対にいい」
 車に着き、私は運転席に、リユウは助手席に座った。
「リユウは趣味と言えるものを持っているのか? 私が見る限りリユウはずっと仕事か私の相手だ」
「たまにしかできないけれど、僕は料理を見るのが好きなんだ」
「見る?」
「うん。料理を見て、おいしそうだなって思うのが好き」
 車に電気が行き渡った頃だ。発進する。
「食べないのか」
「趣味のときは、食べたいとは思わないんだ。食事は、おなかがすいたら摂るけれど」
「不思議な趣味だな」
「他人事じゃなくてギブのせいだからね」
 駐車場から出ると、リユウが眩しそうに目を眇めた。
「私のせい?」
「そうだなあ、たとえば僕が料理画像を検索したことがあった?」
「ないと、思うが」
「ギブがものすごい量の食事をとるから、僕はそれを見て、おいしそうだなって思うんだよ。ギブが食べる分だから僕は食べようとは思わない」
「なるほど」
 うら若い女性が多い道になってきた。目的地が近い。
「あ、ムスブだ。見つけた」
「停めるぞ」
「うん」
 やっぱり買いすぎたんだね、あれじゃこの炎天下はつらいだろうに。リユウはそう残して、シートベルトを外してムスブのほうへ行ったようだった。
 行った、と断言できないのは、ムスブがどれだかわからないからだ。ムスブは頻繁に身体を取り換える。リユウのチェックの通った身体しか使わないためリユウにはわかるのだろう。
 どこの世界だろうかと思うような服たちが行き交う道で、ひときわ目立つ少女がいた。ワインの髪はゆるく巻いてあり、ひざ裏まである。この暑いのに、白いブラウスは襟が立っていたし、袖も長く、手首のあたりが広がっている。中世の貴族さながらの、白いレエスが黒地にふんだんにあしらわれた頭飾り、確かボンネットと言ったか、それは長い睫と黒い虹彩、透き通った肌と、色がなくグロスだけ塗られた唇を横暴な太陽から護っていた。更に、白いブラウスの上には黒いジャンバースカートを着ていて、へその前で組まれた手には豪奢なフリルの純白のアンブレラがあった。完全に太陽を拒絶している。それが似合ってしまうのは、人間ではないからだ。少女たちが目指してやまない偶像の権化として、ムスブはそこに立っていた。
 しかしリユウが近寄ると、偶像は新たな姿になった。表情のなかったドールは一気に破顔し、身長のさほど変わらないリユウに抱きついて頬にキスをした。リユウは笑ってムスブの髪を撫でた。それだけのことが、たまらなくうらやましくなって、私はルームミラーで自分の顔を見た。この顔だ、リユウの虹彩にいちばん映っているのは、この顔だ。それは確かにこの顔だけれど、私はリユウと待ち合わせをしても、相当かがまないとキスなどできない。あんな風に自然な挨拶のキスが、したい。
 買いすぎたんでしょう。リユウの口が、そう動いた。
 ラブとアイカ様に渡してほしい服があるんですよ。ムスブが言ったようだった。
 リユウはショップバッグを両手にひとつずつ持って、こっち、と私の車へ歩き出した。待ってくださいよお、と、ムスブが残りの4つのショップバッグを持って、リユウの隣を歩いた。これまた、うらやましさが心を席巻した。私とリユウがふたりで並んで歩くと、リユウの背は私の腹か鳩尾まで程しかない。ムスブのように、隣を、同じものを見ながら歩いてみたい。
 リユウとムスブがえっちらおっちらと車に近づいたので、ドアを開けてやる。
「ギブ! 久しぶり! ただいま!」
 ムスブの姿がどんなに変わっても声は昔のままだった。いや、昔より少し活き活きしているかもしれない。
「家に帰るまでが買い物だよ、ムスブ」
「相変わらずいい男だねえギブ。リユウ様、僕は後ろでいいですか?」
「うん、後ろだとありがたいな。僕だとこんなにたくさんの洋服の面倒を見る自信がない」
「わかりました」
 リユウとムスブが服の袋を車に押し込み、ムスブの膝の上にも2つ重ねて、ようやっと車に収まった。
「ほかにどこかに寄るか?」
「ううん、アパートじゃなくちゃんとみんなのところに帰りたい」
「リユウは用事は?」
「ないよ」
「わかった。動くぞ」
 そう言って発進し、しばらくすると、ムスブが寝始めた。
 ムスブだと思うから妬ましいのだ、こんな少女が、リユウとハグをしたり、隣を歩いたりするのなら、まっとうなことだ。
「ギブ、僕にもムスブみたいになってほしい?」
 リユウが小さな声で訊いてきた。
「いや、まったく。なぜ?」
「ギブが赤信号の間中ムスブを見ていたから。少し妬いてしまうよ」
「妬いているのはこちらも一緒だよ、リユウ」
「ギブは何に妬いているの」
「ムスブのように逢瀬のときに自然に抱き合ってキスをしたいし、隣を歩いた時に同じ目線の高さでものを見ていたい」
「なるほどね、身長ばかりは変えるのは大変だからね。ギブ、帰ったらセックスしよう。正常位がいいな」
「急にどうした」
「立ってすることにさして興味はないし向いていない、立って両脚を抱えられるのは僕はいいんだけれどギブが疲れるだろう、バックはギブと身長差がありすぎて密着できないから実は少し気に入っていない、ギブが正常位が疲れるなら騎乗位でもいいかな、でも僕は正常位で終わったときにギブの胸に抱きしめられるのが好きなんだ」
「そこではなくて」
 リユウがわざと論点をずらしているのがわかったが、それでもよかった。
 まだ同身長に憧れは残るけれど、私もリユウとセックスするときに立ってしたいとも思わないしバックもリユウの表情が見えなくて気に入っていない、一方で騎乗位の最中に腹に乗る私より一回り小さな手の感触も好きだし果てた後に胸の上に倒れられるのが好きだ、正常位で終わって抜いたときに丁度いい位置にあるリユウの唇がギブと動くのが嬉しい。
「ええと、なんだっけ? 逢瀬の後のキスだっけ。僕はね、ギブが屈んでくれることにフェティッシュを持っているんだ。僕はまだまだ子供だからね、大人といけない関係にあるっていうのが嬉しいのかもしれないね。あと、同じ高さの目線の件は、僕を信じてほしい、綺麗なものがあったら教える、だからギブもギブの目線で、綺麗なものがあったら教えてほしい」
 リユウはUVカットのガラスから外を見ながらそう言った。私からはルームミラーで見えている。
「屁理屈はこねたけれど、まあ、ギブの言っていることも、実はわかるんだけれどね、僕はおいしそうだなって思うのが趣味だからさ、でも食べようとは思わないんだ」
 その身長でここまで生きてきたギブのことが大好きだから、さっきの屁理屈を一生懸命こねたわけだよ、それ全部ひっくるめて言うと、嫉妬しているギブのことも僕は大好きなんだって結論で落ち着いてしまうんだ、ギブには悪いけれど、そのまま生きてみてくれないかな。


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