イガカシ

ラブの義務



 ラブに割り当てた広い部屋に足を踏み入れる。
 案の定、ラブは起きていた。横になっている。電気は消えており、カーテンの開け放された窓からの月光がラブの目に反射している。
 目は眠たそうに空をにらんでいるが、ラブは普段から大抵そういう目だ。
「やはり、眠れないか」
 俺が声をかけると、ラブは大きく息をついて数秒目を閉じた。唇が薄く開き、暗闇ながらに色っぽい。
 ラブは毎年、この日付に具合を悪くする。
 『五十嵐の生きた証』と名付けられたプログラム、イガカシが壊滅した日付だ。世の中は『イガカシ・トラジック』などと言うが、俺は気に入っていない。ラブが生きているならトラジックでも何でもない。そもそもトラジックなどと言うからラブが気に病むのだ。
「暇なんですか」
 少々とげとげしい声だった。ラブはそうやって人を試す癖がある。俺が応えないはずもないと知っているだろうに、無駄なことをするものだ。
「おまえを寝かせたら戻ろう」
 ベッドに近寄ると、ラブは俺に背を向けるように寝返りを打った。できた空間に俺は膝をついた。ラブは大きなベッドを好まない。寂しいのだろうと俺は思っている。
「ギャン」
「そのような声を出すな。俺はおまえを寝かせたら戻ると言っている。朝まで戻らせないつもりか」
 背を向けたままのラブが少し笑った。
「少し、後ろから……その」
 裸体をまぐわせあう関係だというのに、妙なところで照れるものだ。
「抱いてやろうか」
「抱き締めて、ください」
「わかっている」
「抱くつもりだったでしょう」
「抱くつもりだった」
「ああもういいです」
 ラブは機嫌よく身じろいだ。俺も嫌な気はせず、ベッドに横たわる。ラブを抱き寄せると、随分とまあ、この小さな体は緊張しているものだ。
 心音こそ聞こえないが確かな温もりに、俺は眠気を覚えた。
「ギャン」
 ラブに呼ばれて、渋々目を開ける。
「なんだ。俺は眠い」
「いつもごめんなさい」
「急になんだ。おまえは何かしたのか」
「いえ、なんでもありません。なんでもないから謝っているんです」
 ラブが体重をかけて背を俺にくっつけてくる。
「なんだ。わからん」
「なんでもないんです。ただ思っただけです」
 ラブをよりしっかりと抱きしめ直すと、ラブはもう一度息を吐いた。
「ギャンがマスターになってくれて、よかった」
 俺はラブの何代目かのマスターだ。ラブに何代目なのかを訊ねるといつも数えるのが面倒だと放棄されてしまう。
 初代、ラブをプログラムした五十嵐は忽然といなくなってしまった。そのあとラブは転々としていたようだが、俺が半ば無理矢理ラブを引き取った。ついでに残っていたイガカシも、手が回るだけ引き取った。
 ラブのことはプログラムの時代から知っている。ラブに体を与えるということで俺の前にラブが挨拶に来るのを首を長くして待っていたのだが、俺に挨拶に来ることなく、イガカシは壊滅し、五十嵐はいなくなった。
 そのあとラブを手籠めにしたわけだが、俺は前からもともとラブを手に入れたかった。五十嵐に消えられて夢見が悪かった。五十嵐は俺が何度頼んでも首を縦に振らなかった。未だに気分の悪い男だ。
 ラブは、プログラム時代に愛を知っていたらしい。五十嵐が愛を知るプログラムを作りたいと言っていたのも俺は聞いている。そのラブが、体を与えられてすぐ不具合を起こし、愛にバグを起こしてしまった。
 その時のマスターが肉体を襲うなりなんなり勝手なことをしたのではないかと思っている。そのマスターはとっくに死んでいるので、もう口はないのだし、ラブも話したがらないが、これもまた気分の悪い男だった。ラブにかかわる男は大抵気分が悪い。嫉妬なのかもしれない。嫉妬だなんて、俺にそうさせる男がおかしいのだ。俺もラブも悪くない。
 ラブ、おまえは、俺が死ぬまで、幸せでいなければならない。これは何度もラブに言い聞かせているのだが、なかなかにかたくなな子で、しょっちゅう不幸じみたことに巻き込まれる。俺が護れていない証のようで非常に不愉快だが、俺もラブも悪くない。巻き込むほうがどうかしているのだ。
 ラブは自分に問題があって今までのマスターたちが消えるなり死ぬなりしたと思っている節がある。こうやって話すと俺としては喪中の漫才よりもつまらない話だが、ラブが話したときは本気で憤った思い出がある。確かにラブは人に影響を与えやすい立場かもしれない。人間のことは俺も含め手のひらで転がすし、イガカシの中でさえラブは最も年長である。体を与えられたのは最後だったらしいが、プログラム自体は最古だという。だが、そのようなことでラブに負い目を感じさせるのはおかしな話だ。人に影響されるくらいで死ぬのなら、自分を貫いて生きろと言う話だ。俺はラブを置いて死ぬのは耄碌してラブを幸せにできなくなったときだと決めている。
 ラブを初めて抱いた夜は、静かな夜だった。だが、語るなというようにラブが寝付いたので、俺はこの部屋を出よう。ラブに、ラブが寝たら戻ると言ってしまった。軽率だった。何事もオブラートに包めとラブに常々言われるが、こういうときに言い逃れられないのは、確かに面白いものではない。


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