イガカシ

借りてきた猫



 柔らかな綿に包まれて、体は楽だった。
 ここ数日は夜の客が多くて、ろくに眠っていなかった。
 その2つの眠たい条件を覆すくらい、僕はいま、精神的に緊張している。
 僕はギャン様の部屋に呼ばれて、ギャン様のベッドに寝かされ、ギャン様に綿の上から肩のあたりを撫でられていた。
「ラブ」
 急に呼ばれて体が跳ねてしまった。けれど急でなく呼ばれるのはどういった状況だろう。つまり急だったからびっくりしたわけではなく、ギャン様に呼ばれたからびっくりしたのだ。
「そう構えるな。別に無理に手籠めにしたりはせん。俺の前でおまえが完全に気を許すのを見たい」
 そうは言われても、ギャン様だ。失礼なことをするわけにはいかない。五十嵐でさえギャン様と話すときには緊張していた。
 ギャン様はしばらく僕の肩の綿を撫でていたが、飽きさせてしまったようで、「俺も寝る」と立ち上がられた。
 僕は体を起こしてベッドを代わろうとしたが、「構わん」とギャン様はソファに横になられた。ゆったりしたソファだが、僕がベッドを使って、ギャン様がソファだなんて、そんなことはあってはならない。
「起きたら起こせ。いきなり人前で寝ろと言われても無理なのだろう」
「ギャン様、僕がそちらへ行きますので、ギャン様はきちんとベッドで休まれてください」
「呼びつけておいてソファで寝かせるほど俺はおまえをぞんざいにしない」
 もう寝ろ、と続けられて、僕は起こしかけた体で綿を握りしめた。
「這いたくなったら這う。気にせず眠れ」
 僕は返事をして目を閉じた。ない心臓が音を立てるのを聞いていて、そのまま、じっとしていたら眠ったようだった。
 僕が目を覚ましても這った形跡はなく、なのにギャン様は毎晩僕を部屋に呼ばれるようになった。
 毎晩僕はひとりで綿にくるまれ、ギャン様はソファで眠られた。
 習慣になってしまい、だんだんと言い出しにくくなってしまった。
「もし失礼でなければ、隣で寝させていただけませんか」、それだけのことが、言い出しにくくなってしまった。

 ……そういうふうに書いてあった。あやつは小恥ずかしいとかむず痒いという感覚はないのだろうか。
 あやつ、即ち、息子のリユウが人間の言語に書き直したラブの心理と記憶の履歴に目を通しながら、俺は息を吐いた。
 直接体に触れることなどに、こんなにも手こずるとは。
 最近はラブも慣れてきているようだ。一緒に寝ても抵抗なく寝付いてくれるのかもしれない。
 しかしながら、なぜ俺はこんなにも思い悩むのだろう。
 願って願って、手に入れたラブ。
 なぜ、綿をかぶせた上からしか触れられないのだろう。あの肌を欲してやまないというのに。
 ラブの寝ているベッドを見やる。そのあとラブの動作状況を見る。ラブは夢を見ているようだ。俺は機械言語に詳しくないので、あとでリユウに見せてみるが、寝顔を見る限り悪夢ではないようだ。

 ぞっとした。僕は夢を見ていた。
 ギャン様に抱かれる夢を見た。
 畏れ多さと罪悪感、よくわからない興奮のようなものの中で目覚めた。
 ギャン様の優しい表情と温かさだけ焼き付いている。実際にほかの人間とするときのような痛みや苦しさは全くなかった。夢だからだろうか。
 いや、ギャン様は、痛くも苦しくもなく、抱いてくださるのかもしれない。
 僕は、そういうことをしたいのだろうか。
 既に出てしまわれたギャン様が寝ていらしたソファに、転がってみる。
 とても寝心地が悪かった。
 そこでリユウ様とギブがいらした。僕は慌てて起き上がり、挨拶をしようとしたら、「寝ていていいよ」と言われた。
 もう一度転がる気にもなれなかったので、ソファに腰掛けた。すると、リユウ様の後ろからギャン様がいらした。
「ラブ、起きたのか。おまえの考えていることを知りたい。しばらく安静にしていろ」
 ギブが僕に端子をつないで、僕の考えていることは、すぐそこのコンピュータに表示される。
 リユウ様が席につかれて、ウインドウを開き、僕の機械言語を日本語に翻訳していく。ギャン様は日本語圏のかたではないはずだが、僕が日本語圏だったため、リユウ様に直訳に近くしろと仰っていたのを聞いたことがある。
 ギブに何を見られようと今更あまり構わないが、ギャン様に心理を読まれるのはいつも恥ずかしいし、怖い。
 ギャン様とリユウ様はいくつか言葉を交わし、リユウ様とギブが退席した。ドアはギブが礼をして閉めていった。
「ラブ、起きたばかりか」
「い、いえ」
「俺は眠い。隣で寝ろ」
 そう言って、ギャン様はひとりでベッドに向かわれた。僕は慌ててソファから立ち上がり、ベッドに向かった。
「ギャン様」
「その、様、というのを取れ。ギャン、でいい。もっとおまえに懐かれたい」
「ギャン……」
 僕の声はかすれた。
「夢に見た俺はどうだった」
 先程の、あの夢だろうか。あんな夢を、僕が見たばかりに。
「とても、お優しいお顔でした」
「そうか」
 ギャン様、いや、ギャンは、仰向けにベッドに横になり、片腕を折って頭の下に敷いている。もう片手で、ここに来い、というように、ぼすぼすとベッドを叩く。僕は従った。体が震えている。
「現実の俺は優しいか?」
「僕には。ほかのところでは適当すぎる」
 あれ? 僕の言葉ではない。僕の口はそう発音したが、そう言わされた感覚だ。
「……今のは、リユウにプログラムされたか?」
「……はい」
 そうか、リユウ様のお戯れか。とても聡明なかたなのに、ギブがよくリユウ様をたしなめているのは、こういう部分なのかもしれない。でも、ギャンが悪戯だと気付いてくれなかったら、と思うと、少し怖い。そんなことは起こりえないのだろうけれど、やめてほしいとギブにリユウ様に言ってもらおう。
「別におまえに言われても捨てたりせんぞ。言いたいことは率直であるほうが俺は楽だ」
 僕はしばらく迷って迷って、結局言った。
「僕も、ギャンの率直なことを伺いたいです」
 ギャンは面白がって目を見開いた。
「俺はおまえに懐かれたい。そのためにまずおまえに触れたい。おまえに仕事を回さないようにしてずっと俺の膝の上に居させたい。俺の気が向いたらおまえに自由な時間をやって、おまえが楽しいと思うものに打ち込ませたい。充分楽しんだら、戻ってきて俺に言うのならなお良い。そしていずれ、おまえが俺を求めるようになればいい。今は、このようなところか」
 そう、すればいいのに。思って、しかしギャンはいま僕の心理を知る術はないのに、付け加えた。
「そうできたら世話はない。俺は自分の煮え切らなさに驚いているところなのだから」
 ギャンは目を伏せて笑った。そして少し僕の様子を見た。なんだろう。
「……おまえがこういう餌を見逃しているうちは、手は出さん」
 ギャンは笑っている。ああ、今「そうしてほしい」と言わなければならなかったんだ。僕は少し後悔した。
「あまり」
 僕は言い訳をする。
「あまり、切なく笑われるものですから」
 ギャンは「ほう」と楽しそうに笑った。先程とはずいぶん違う、ギャンらしい笑い方だった。
「言い訳できるくらいには懐かれたか。ならば今日は俺の前で寝てくれるのか」
「ギャンが直接触ってくださるなら。いつももどかしかったんです」
「言うようになった」
 ギャンが僕のほうに手を伸ばした。僕の首をギャンの大きな手が包む。
「ギャン」
「なんだ」
「それは殺める触り方です」
「ほかに知らん」
 僕は息を吐いた。ギャンの前で初めて笑ったかもしれない。そしてギャンの服を掴み、ギャンの心臓に手と耳をあてた。


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