イガカシ

マナブの恋人



「ソウ様も、マナブを連れていきたいと何度も仰っていたんですけれど」
「……オレがいると、不都合が?」
「仕事先にとって非常に広い意味で不都合だったんでしょうね、たとえばホテルの壁が薄いとか」
 ソウがマナブを置いて出張へ行った。行先は、ラブは知っているようだったが、教えないよう言われているらしい。
 マナブはラブと、もぬけの殻のソウの部屋で、テーブルを挟んで茶を楽しんでいる。
「お戻りに、なるだろうか」
「帰ってきますよ」
「危険な場所でないかどうかだけでも、その、教えてくれないか、ラブ」
「お答えできません。マナブ、心配しているあなた、とても魅惑的です」
「あの、茶化さないでほしい、ラブ、どこまでオレは知っていいんだ? オレはソウ様に嫌われてしまったのだろうか?」
 マナブの視線が迷う。それをじっと見ていたラブは、目が合わないことに気付いていた。
 僕はこの件でマナブに信頼を置かれていない、敵だと思われている、早急に関係を修復するべきだ。ラブは目を眇める。
「マナブ、ラパン・ギャルソンの新作のサンドイッチがあるんです。試しに、いかがですか?」
「ああ、いや、オレは腹は減っていなくて。申し訳ないが、一緒はできそうにない」
「あまり心配していると回路が焼き切れますよ」
「……いや、その」
 たじろぐマナブに、ラブが笑いかける。マナブの目が周辺視野で笑みを捉え、不安によって定まらなかった視線を穏やかにさせ、テーブルの上のラブの茶器に固定した。
「いえ、いいんです。マナブ、あなたの心配をしましょう」
「え? オレは、なんともない」
「なんともないはずがないんです。あなた、お菓子が苦手なのにラパン・ギャルソンのものだけは受け付けると噂に聞きました」
「それは、まあ……ソウ様が、おいしいパイをくれて。とてもおいしかったので」
「ラパン・ギャルソンのパイがお好きなんですね」
「あ、ああ、だがあまり気を遣わないでくれ、ラブ、ソウ様は、いつお戻りになるんだろうか」
「ああ、それなら教えられます」
「そ、それなら、教えてくれないか、ラブ、頼む」
 マナブは椅子から身を乗り出して、ラブの目を見た。ラブは赤子も泣き止むような笑顔をした。
「資料をお持ちしますね」
「ありがとう、ラブ、本当に」
「いいえ、教えられることは何だって教えますよ。マナブのことが嫌いなわけではないんですから」
 ラブは「少し待っていてください」とマナブの横を通ってソウのコンピュータからログインする。マナブは、ラブが淹れて時間が経ち、ややぬるいほうじ茶を口に運んだ。
 カタカタとラブがコンピュータを4秒操作し、戻ってくる足音をマナブは聞いた。
「お待たせしました。マナブ、これです」
 ラブはマイク付きヘッドフォンを持っていた。
「ラブ、これは?」
「ソウ様が残されたものです」
「ソウ様が?」
 マナブはヘッドフォンを怖々と被った。
 すると、ピン、と高い音がして、目の前が暗くなる。意識はあるのだが、何も見えない。しかしこの感覚には覚えがある。ソウ様がお作りになったアプリケーションだ。マナブはそのアプリケーションの試用に携わっていたので、すぐにそうわかった。以前はこのようなヘッドフォンではなかったが、同じものだろう。
「あ……あ、う」
 ヘッドフォンが音を遮断しているため、マナブはうまく話せない。ラブ、ラブ、これはどういうことなんだ、だってこのアプリケーションは。
「今日のお相手、認識しました。アイカ。モード・セクシャル。コスチューム・デフォルト」
 ヘッドフォンからそう聞こえてくる。だめだ、ラブ、やめてくれ、外してくれ。
 ふっとマナブの視界が明るくなる。向かいの椅子に腰かけているアイカが見えた。ダメージ加工、薄いブルーのスキニージーンズと、リアルな銀のウサギの柄の、ぴったりとした白いカットソーを着ていた。
「マナブ、久しぶり」
 再現されたアイカの声に、マナブはたまらなく泣きたくなった。好きだ、アイカ、好きだ、それだけが頭の中に飽和する。だが、このアプリケーションでアイカの相手をするたびに、よどむような罪悪感が胸に満ちる。
「どこまでする?」
「い、嫌、嫌だ……」
「そんな怖がるなよ。大丈夫、脳が興奮するだけでイっても汚れないし、何よりわたしは本物じゃない。おまえが好きなように扱っていい幻なんだから」
 アイカは席を立ち、マナブの後ろに立つ。そのまま、マナブを後ろから抱き締めた。
「緊張してたらイけるものもイけないだろ。楽にして」
「やめてくれ、アイカ、今は、そういう気分じゃなくて」
「おまえの脳は一生懸命刺激を探してるよ」
「アイカ……」
 決して手に入らない、けれど唯一無二なほどの思慕を抱いている相手とずっと話していると、いくら幻とはいえ劣情が沸き起こる。相手が誘って来るものだからなおさらだ。
 アイカの手がマナブの脚の間に触れる。
「あ、アイカ、だめだ、とてもそんなことはできない」
「アプリ初めてのときもそう言いながら善がってたじゃんか」
 マナブの黒いジーンズの上から、そこを押すように撫でる。
「んっ……! は……アイカ、本当に、やめてほしい、今は」
「兄貴がいないから?」
「それもあるし、アイカにそんなことをさせたくない」
「わたしは幻だよ、好きにしていい」
「でも、アイカはアイカだ。オレが、慕って止まないアイカだ」
「ずいぶんピュアに育ったもんだ」
 アイカの手がマナブの下腹部から離れる。しかしすぐにマナブは危機感を取り戻した。アイカが座っているマナブの前に膝立ちになり、両手で腿を割ったのだ。
「アイカ……?」
「楽にしなって」
 案の定、アイカはマナブのボトムを勝手に緩め、手を差し込んで、まだ興奮の色の薄いそれを引っ張り出した。そして先端にキスをひとつ落とした。マナブの身体が電気椅子のスイッチを入れられたように跳ねる。
 そして、アイカは唇に力を入れて、首の部分を口に含み、締め付けて、引き抜く。
「っう……ふっ……はぁ……ぅ、んん」
 マナブは声を抑えようと、口を手で覆った。アイカを引き剥がすのがいちばんいいとわかっていたが、もしアイカの手に触れたとき握り返されてしまったら、それだけで絶頂を迎えてしまいそうだった。
「ぁああ」
 突然根元近くまで口に含まれたため、情けない声が漏れた。飲み込まれるだけ飲み込まれ、残りは手で扱かれている。
「んん、う……だ、め、アイカ、だ、だめだ、アイカ、よくない、こんなことは、よくない、あ、アイカ、ああ」
 口を手で覆いながら、マナブは必死に訴える。アイカは面白そうに上目を遣って笑う。口が一瞬離れれど、またすぐに再開される戯れだ。
「アイカ、アイカ……離して、くれないか……ひっぁあ」
 アイカがマナブを口に含んだまま首を振って拒絶を表したため、予期せぬ刺激にマナブは身体と声を震わせる。
「アイカ、嫌、嫌なんだ、アイカに、こんな、ことを、させたくない、お願いだから……」
 アイカは構わず、頭を動かしてピストン運動を模した刺激を与え始める。こんなに硬くして、こんなに濡らして、抵抗もしないで、それでも嫌ならとっととイってしまえ。アイカがそう言いたがっている気がして、マナブは自分の潤んでいた目から一滴の涙が溢れるのがわかった。
「アイカ、苦しい、イきたくっ、な、いんだ、ぁあっ、アイカっ……」
 アイカ、アイカ、と何度も呼びかけ、責め苦から逃れようとするマナブを、アイカは喉にくっつきそうなほど奥まで招き入れた。アイカの喉が大きすぎる異物に痙攣する。
「ぁああっ! う、うぁ、はっ、はあ、ああ、あ」
 マナブが途切れ途切れの嬌声を響かせる。アイカの口の中でびくびくと脈打つそれは、しかし、吐き出すことを良しとしなかった。
 アイカが息苦しさの限界に達し、口からマナブを引き抜いた。マナブもアイカも息を整える。
「マナブ、おまえ、つらくねえの」
「はぁ、は、つ、らい……」
「イっていいのに、無理しねえで。わたし、下手かな?」
「違う……とても、上手で、つらい……」
「なんつー理性してんだ、おまえは……」
 アイカは呆れ返った風に言った。
「わたしの前で、イきたくないのか?」
「そうだ」
「兄貴だと思ったら、イけるのか?」
「ソウ様には……何回も、もう、見られているから」
「わたしの前でも何回も見せればいい。兄貴とのハジメテ、どうだった?」
「あまり、話したくない」
「……まあ普通はそうだろうなあ」
 アイカは、うーん、と考えた。
「じゃあ、兄貴の手だと思って、イってみせてよ。ほら、目、閉じて」
「アイカ……? うっ」
 アイカの手が熱を持ったままのマナブに絡みつき、乱暴なほど激しい動きでマナブを追い詰める。
 マナブはとっくのとうに限界だった。
「あ、あっあ、ああぁ」
 しかし、アイカの前で達することだけは、どうしても嫌だった。
「あ、あぁ、んっく……そ、ソウ、様……ソウ様、助けて……苦し、です、ソウ様……」
 最後の一縷を残してほとんど理性を失ったマナブが嗚咽のようにソウを呼ぶ。
 マナブは目を閉じていたためわからなかったが、アプリケーションはバグを起こしていた。
 目を開ければ今、アイカとソウが重なって見えているはずなのだ。
 このアプリケーションは、いちばん関係を持ちたい相手とのバーチャルのセックスで遊ぶものだ。これはいったい、どうしたことだろう。様子を見ていたラブは首をかしげていた。
 再度ピン、と高い音がして、マナブは息を切らしながら目を開けた。ソウの部屋で、机があって、茶器があって、後ろにラブがいる。
「おはようございます」
 マナブは状況が一瞬わからず、返事ができなかった。
「バグが出てしまったみたいだったので、強制終了しました。マナブ、身体でおかしいところはありますか?」
 アプリケーションは脳に感覚だけを伝えるため、アプリケーション内で射精しようが潮を噴こうが何をしようが、現実の身体はなんともないという利点があるものである。
 なかなか返事できないマナブを心配するように、ラブがマナブの顔を見るために正面に回って覗き込んだ。
「……どこか、痛みますか?」
「え? あ、いや……」
「問題が出たら僕かギャンに言ってくださいね。ソウ様がご不在ですので応急処置しかできませんけれど」
「いや、問題ないんだ。ありがとう」
「いいえ。マナブ、あなた、なぜ泣いているんですか?」
「泣いて……?」
 マナブは慌てて手の甲で目を拭いた。右目に涙の痕跡があった。
「……そうだ、ラブ、ソウ様はいつお戻りになるのだろうか」
「ああ、その話をしていたのでしたね。来週の水曜日です」
「……」
 遠いな。そう思って、マナブは無意識に少し眉を寄せた。
「マナブ、もう少し訊いてもいいんですよ。理由とか」
「理由も教えてくれるのか」
「ええ、ソウ様だってマナブに心配をかけたくて出張したわけではありませんよ。……マナブから離れないと、締切に間に合わないのだそうです」
「締切……?」
「マナブがそうやって知らないほど、ソウ様はその案件を放置していたみたいです。したがってマナブが邪魔だとか、不都合だとか、そういうことではないんですよ。ソウ様がマナブを可愛がり過ぎて、そうなってしまうだけで」
「そんな……」
 俯いたマナブに、ラブは純粋な疑問を抱いた。
「マナブ」
「……なんだろうか」
「もっと楽なほうへ行ってもいいのではありませんか」
「楽なほう?」
「ソウ様をあなたのいちばんにしてしまえば」
「オレのいちばんは、アイカなんだ」
 マナブが珍しく強い語調で言った。
「既にそうお決めならいいのですけれど。出過ぎましたね、失敬しました」
 でも、マナブ、ソウ様は、あなたをいちばんにしているんですよ。
 ラブは、自分が忘れてしまった愛というものを理解するため、またマナブと話そうと決めた。マナブはなぜ、楽なほうへいかないのだろう。ソウ様のマナブへの想いは固いもので信頼に足りるし、マナブもソウ様との関係を断固として嫌だと思っているわけではなさそうなのに。


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