イガカシ

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 先程からずっと煮え切らない気分が続いている。
「リユウ、日本語を話したい」
 私がそう訴えると、リユウは驚いた顔をした。
「あれ? ギブ、話せないっけ?」
「読めるが、話せない」
「そうだっけか。じゃあ、すぐ入れてあげる。そこに座って」
「いや、自力で覚えたい」
 PLD、と名付けられたフォルダを開いたリユウが、不思議そうな顔をした。
「僕が嫌いになった?」
「いや、好きだ。誰よりも好きだ。リユウの名を呼びたいんだ」
「呼んでるじゃない」
「いや、リユウ、ではないのだろう? 先程、サインでアール・ワイ・ユーと」
 リユウは合点が行ったようで、いったんPCのキーボードから手を離した。
 15歳にして外交の要であるリユウが、先程の書類に署名をしたときのことだ。
「ああ、本当はリュウだよ。ギャンが名づけたらしい。あの人はラブが好きすぎるがゆえに日本かぶれだから。僕が生まれる前から、本当にラブが好きだったんだね。微笑ましいことだよ」
 実の親を微笑ましい呼ばわりするこのマスターは、私からすればどこの誰よりも微笑ましい。
「今のギブが僕を呼ぶとどうなるの?」
 私は覚悟を決めた。口を必死に動かす。
「りう、りうゆ、りうー……」
「そっか、ギブは英語話者だもんね、りゃ、りゅ、りょ、が言えないのか。……ん? ちょっと言ってみて、『司馬遼太郎の竜馬がゆく』」
「『司馬遼太郎の竜馬がゆく』」
「あれー、言えるよね。なんでかな。うーん、調べてみよう」
「いや、リユウ、」
「……自力でする?」
「したい」
 正直なところ、リユウのことでなければ言える。『遼太郎』だけでなく、『龍之介』だろうと、『前略』だろうと、言える。
 リユウをリュウと呼ぶときだけ、緊張してしまって、言えない。
 リユウをリュウと呼ぶ者は、誰もいない。名づけのギャン様でさえ、リユウと呼ぶ。
 リユウをリュウと呼べてしまえば、自分はリュウの特別になる。

 ものすごい速さで増えていく画面の0と1をリユウが見ている。こちらの百面相の考えは筒抜けだというのに、リユウの表情は変わらない。
 ずっと嬉しそうに笑っている。


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