イガカシ

能天気で不健全なお仕置き



 ソウ様のご機嫌が最近すこぶる悪い。
 副業の作曲がうまくいっていないらしい。
 そんなマスターの横でシノブがギターをいじるわけにもいかず、椅子で足をぶらぶらさせながら退屈そうにソウ様の隣に座っている。
「どんな曲頼まれてるの」
 シノブがソウ様に訊ねた。オレも気になっていたので、ハーブティを淹れながら耳をそばだてた。
「能天気」
 シノブが一瞬固まった。そして変な顔をし始めた。ソウ様はシンセサイザーを前にして気付かないかもしれないが、シノブはいま、必死に笑いをこらえている。
 シノブから内々の通信が来た。承認すると、電気の脳にシノブが爆笑する声が響く。
(だって! だってソウが能天気って! ちょっと! おかしいよお!)
(シノブ、仕事なのだからあまり言ってはいけない)
(言わないよ! 言わないけど! でも! 能天気! ひゃはははは)
 ソウ様がシンセサイザーのエフ・サスフォーを押さえた。悩みに悩みぬいて、結局エフ・マイナーに落ち着く。
 シノブが息を整えて、「なんでソウの対極にあるような仕事受けちゃったの」と訊ねている。
「マナブが、ボクはなんでもできてすごいと言っていたんだ」
 いきなり出てきた自分の名前にオレはとても驚いた。確かに言った。覚えていてくれたのは嬉しかったが、オレは無理をしてほしいわけではなかったのに。申し訳なくなった。
 ハーブティを注ぎ、ソウ様とシノブの前に置いた。猫舌のシノブには氷を浮かべたものを、ソウ様は頭をすっきりさせたいだろうから、熱めのものを用意した。
「ありがとう、マナブ」
「ありがとー」
「シノブ、飲み終わったら遊んでおいで。ボクは少し集中したい」
「わかったー」
 シノブは大急ぎもいいところでハーブティを飲み下した。氷をかみ砕いている。
「じゃあ、オレも退席します、ソウ様」
「いや、マナブは残って」
「え?」
「マナブに励まされてないとボクは心が折れる」
「いってきまーす」
 シノブがとっとと部屋を出てしまった。シンセサイザーとコンピュータを構えているソウ様の横で、オレは所在無く立っている。
 ソウ様がなにかPCを操作する。突然、頭がじんと痺れた。
「マナブ」
 ソウ様の声が耳を通るのに、体が震えるほどの快楽が伴う。
「ボクは集中するから、おまえも集中して。そこのソファに座りなさい」
「はい……」
 服が肌に擦れる。それだけのことが、つらいほど鋭敏に感じ取られる。
「服を脱いで」
 オレは何のためらいもなく、着ているカットソーをまくり上げ、脱いだ。裏返った生地越しにプリントされたアルファベットも裏返っている。それをぼんやりと見つめていると、ソウ様が「下も」と指示をした。
 細身のジーンズのベルトを外す。いつの間にこんなになったのか、オレはとても興奮してしまっていた。
 ソウ様がシンセサイザーで軽くソロを弾いた。音が高くなるほど頭の痺れはずくずくと疼く。
「ソウ様……?」
「マナブが応援してくれると、ボクは頑張れるんだよ」
 ソウ様の指が最高音のドのすぐ隣のシを乱暴なほど強く打鍵した。オレは性感帯に真綿の針が刺さったような不思議な感覚に襲われ、変な声を出してしまった。
 ソウ様は繰り返し、シを打鍵する。スタッカート、ノンレガート、フォルテシシモ、様々なやり方で、ソウ様はシンセサイザーに触れる。
「マナブ、静かにして」
「んっ……ごめんなさ……はあぅ……」
 注意されても、オレは声を抑えきれなかった。音が聞こえるたび、体中が気持ちよくなってしまって仕方がない。
 ピアニシモのスタッカートがいちばん気持ちがいい。
 そんなことを考えてしまい、オレは自分がおかしくなってしまったのだとようやく理解した。音で感じるなんて、ライブでもないのだし、おかしい。
「ソウ様、あの」
「うん。いちばん上のドを押したらイけるから。曲の終わりはあの音って決めてるんだ。だからそれまで、ボクを楽しませて」
 ソウ様は今度は低いファを押した。脚の間がずきんとするような刺激だった。
「ん、あ、ぁあ、」
 高めのドとレのトリル。
「ふあああぁ……」
 オレはソファの上でのたうつ。体への直接の刺激がないのに、体の奥のほうだけ勝手に反応する。気持ちいいけれど、苦しい。
「触りたかったら触っていいよ。イけないけど」
 そうだ、刺激がないのが苦しいなら、ソウ様も仰っているし、刺激してしまえばいいんだ。
 服を全部放り投げて、オレは自慰行為を始めた。ソファはソウ様の斜め前にあるため、全部ソウ様に見られている。
 オレが自分に触れると、ソウ様は褒めるように和音を響かせた。3度の和音が体を貫く。気持ちがいい。もっと、もっとたくさん刺激が欲しい。
「ソウ様……」
「そんな物欲しげにしても、ボクも考えながら作ってるから。ボクもがんばるね、マナブ」
「はい……ぅ、はぁっ」
「応援して?」
「ん、ソウ様の曲は、いつも、素敵です、新しい感じのものでも、きちんと、あっ、ソウ様がお作りになった主張があって」
「うん」
「あ……ソウ様、ソウ様ならすぐできるでしょう……オレも、完成するの、楽しみに、ぁ……してるので……あの、ソウ様なら……あ、ああああっ!」
「はい、完成かな」
 突然押し寄せた快楽の波に、オレは呆気なく絶頂を得た。喋っている途中もソウ様が鍵盤を触っているのはわかったが、同じ長い音が続いていたため、そんな急にイかされてしまうとは思わなかった。
「最後にワンコードはよくある手法だけれど、まあいいだろう。マナブ、どう?」
「気持ち、よかった、です」
「ふふ、そうじゃなくて、曲。ああ、ずっと喘いでたからわからないか」
「あ……その、ごめんなさい」
「いいよ、シノブも呼んで聞かせよう」
 ソウ様がメールを打ち始めてしまったため、オレは慌ててティッシュで体を拭い、服を着た。
「マナブ、おいで。マナブはドラムをやるから、この辺を見ていると面白いよ」
 ソウ様は服をなあなあに着たオレに手招きする。隣の椅子に座ろうとすると、手を引かれてソウ様の膝の上に体が落ち着いてしまう。その上ソウ様はオレの体を抱き締めてきた。
「アイカはこうやると喜ぶよ」
 胸がずきんと痛んだ。オレはアイカが好きだ。アイカの兄のソウ様が言うのだから、きっと本当だ。でも、きっとオレはアイカにこんなことはできない。アイカを抱き締めることのできるソウ様に妬みを覚えてしまい、オレはますます自分が嫌いになった。
「ただいまー」
 シノブが戻ってくる。ソウ様の膝の上にいるオレと目が合い、シノブはぱちくりとまばたきをした。
「シノブ、おいで。ちゃんと完成したんだ」
「能天気が?」
「そう、能天気が。30秒の曲だけれど、きっととても能天気だよ」
 シノブとソウ様がそんな話をしているけれど、オレは恥ずかしくて仕方がない。早く降ろしてほしい。
 けれど、ソウ様はシノブが席につくなり再生ボタンを押してしまわれた。オレは膝の上だ。タイミングを逃した。
 ソウ様が、見ていろ、というように画面を指す。ドラムの譜面だ。オレは興味を惹かれて、つい見入ってしまった。
 そして曲が終わると、なんだか明るい気分になった。
「ずーっとよくなったね」
 シノブが口を開いた。
「てんてんげんき」
「うん?」
 シノブのつぶやきにソウ様が疑問符を浮かべている。
「……原点回帰?」
「そうそれ」
 シノブに和まされて、オレは自分の体勢を忘れ去った。
「オレも、ソウ様はすごいと思うんです。その、やっぱり曲は完成しましたし、あの、オレの相手なんてしながら、お仕事ができて……本当に、ソウ様は、すごいです」
「そう、よかった」
 ソウ様はとても嬉しそうだった。
「マナブ、さっきのハーブティおいしかった。淹れて」
 シノブがねだるので、立ち上がろうとしたオレはソウ様の膝の上にいたことを思い出した。
 恥ずかしくて仕方なくなった。
 けれど、立ち上がると、ソウ様の温もりが抜けたぶん、背面がすーすーした。

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