イガカシ

お絵描きの恐竜のライブ



「兄貴」
 妹のアイカが乱暴にオレンジジュースをボクの前に置いて、隣の椅子に音を立てて座った。
「なに」
「やっぱ無理だろ」
「なにが」
「バンド組むって話。みんな技術はある。トラジック以前からみんな音楽やってたんだから当然だけど。でも、彼らは、なんだろな、なんつーか」
「教える側のおまえがそんなことを言うべきじゃない」
 アイカは楽器が堪能で、イガカシに楽器を教える立場だ。
「まだ言ってねー。なんつーか、良くも悪くも特殊になってしまった。バンドとしてのカラーはあるし、彼らもそれを理解してて。いい子たちだ。普通なら大成功するバンドだ。でも、あれは」
「ああ、ああ、わかった、聴いてみる。あんまり先入観を入れられたくない」
 ボクはオレンジジュースに口をつけた。平日の昼休み、穏やか、けれどボクは苛立っていた。アイカにではない。全く関係がない何かに苛立っていた。何に対してだかはわからないけれど、確かにボクは苛立っている。よくあることだ。こういうときは大抵マナブが世話をしてくれるけれど、そのマナブは防音室にこもって、ボクが渡した譜面を練習している。
「ああ、そうしてくれると。この前の兄貴の曲、みんな頑張ってる。14時にギブが戻る、そしたら4人そろうから、そのときに集まらせる」
「ああ」
 ボクはオレンジジュースを飲み干した。あと7分で14時だ。ギブくんはリユウさんの外交の仕事を手伝っているらしい。ほかの3人は、全員防音室だ。自分の曲を理解しようとしてくれるのは嬉しいけれど、アイカの言葉がひっかかる。
 アイカはだるそうに部屋を出ていった。彼女は常に低血圧なのだ。
 ボクは自分でPCの音源に打ち込んだ曲を聴いて待った。バンドミュージックは生音がいいけれど、まだイガカシたちにアレンジを任せていいのかわからなかったので、原型はボクが作った。イ短調、楽器も歌唱も忙しい曲だ。しかしながら彼らが演奏できないはずのない難易度のはずだけれど、アイカはいったい何がそんなに引っかかったのだろう。
 PCがメールを受信した。アイカだった。空いているホールにみんなでいる、とのことだった。ボクはPCのデータのバックアップを確認して、ホールに向かった。
 ホールに入るのは一苦労だった。解散してしまったイガカシたちの元のバンドのコアな追っかけたちが、どう聞きつけたのか集まっていたのだ。
「お宅はどちらが?」
「俺はシーちゃんですね、上手いしエロいし言うことなしです。スーちゃんたちがいなくなってどうしてんのかなーと思ってましたが、今度のバンドでは乱れてくれるんですかね。そちらは?」
「ラブたんとギブくんです、前のバンドのイブ様があんまりカリスマだったから、ちょっと心配なんです。もちろん技術しっかりしてるし、いなくなってしまったイブ様とノブさんとリブリブがいなくてもやっていけるといいなって。ドラムのマナブってのはどこのひとですか?」
「マナブゆんはフリーですよ、補欠みたいな感じですけど、指名で仕事もらってたりするみたいですよ」
 そんな声が聞こえてくる。その声の隙間を通って、ボクはホールに足を踏み入れた。
 その空気でアイカの言いたいことがわかった。これはライブ前の雰囲気ではない。
 終わってしまった後の雰囲気だ。
「ソウ」
 暗いホールだったので、ボクはその声に少し驚いた。ギャン様が腕を組んでホールの後ろの壁に寄り掛かって立っていた。席にお座りになればいいのに。
「ソウの曲は素晴らしい」
 ギャン様はそれだけ言って、視線をステージのラブくんに戻した。ラブくんは独特の、小文字のyを逆さにしたような肩にかけるタイプのシンセサイザーを構えて、適当にバロック調のフレーズで指を慣らしている。
「ありがとうございます」
 ボクは返事をして、暗いホールの客席の下り坂を、ステージのほうへ歩く。マナブが気付いて、立ち上がった。可愛いところのある子だ。するとラブがこちらを見てお辞儀をした。ギブもならう。シノブは「ソウだー!!」と手を振っている。
 ギ、と後ろで扉が開く音がして、見ると、「邪魔しません」と画用紙に黒インクで書いた紙を掲げたファンが黙って頭を下げながら静かに席についていっている。きちんと一人一席、サイリウムはなく、単純に昼休みを利用して追いかけてきたファンのようだった。イガカシはファンに恵まれている。
「兄貴、ひと入れてみた」
 アイカがステージから降りてボクの近くで言った。その小さな声でさえ最後列まで聞こえてしまうような、異様に静かなライブ前だった。
「マイクテスト、完了しています」
 リユウさんがホールのマイクでボクに対してであろうことを言った。観客たちが遠慮がちな拍手を始める。それはすぐに数千羽のフクロウが羽ばたくような音になった。
「ボーカル、仮に僕、ラブが担当します」
 ステージの中央に立ったラブくんが言って、一歩下がってお辞儀をした。観客は拍手をやめ、無音によって音を求めた。
 ドラムのマナブのカウントが始まる。
 ラブくんの鍵盤の和音とシノブのリフが鳴り、ギブくんのベースが控えめに滑り込む。ラブくんが歌い始める。
 演奏も歌唱も、きっと素晴らしいのだと思う。
 違和感は、たぶん、表現というものだ。彼らは、身に余るものを表現しようとしてしまっている。子供が恐竜を絵で描くような物悲しさがそこにあった。
 けれど、その表現力を奪ってしまったら、彼らに何が残るだろう。完全な演奏というものは、この際なんの魅力でもない。その表現力が彼らの欠点であり、魅力だった。応援したくなる、盛り上がる、聴いていて楽しい、一体感がある、そういったいろいろな彼らの魅力は、すべてその欠点に由来している。全員、その欠点を自覚していた。どうしようもないことも、わかっていた。彼らはイガカシ・トラジックの際におのおのが失った恐竜のお絵描きをしている。
「……」
 客席は騒がないものの、確かに音楽を楽しんでいた。このライブは成功するだろう。
 転調し、音楽が佳境を迎える。イガカシたちもとうに違和感に気付いてしまっていた。そこで溢れたのは、涙だった。感動の涙ではない。悔しさの涙だった。
 イガカシ全員が泣き出す頃、観客にも泣き出す者がいた。イガカシの描いた恐竜は、化石になることもない代わりに、いっときの絶大な繁栄を演出していた。その繁栄が、いまだ。けれどすぐに絶滅する。あと1分もしないうちに、ひとつ残らず死んでしまう音楽だった。観客は、その終わりを感じとり、不安と無常を感じながら、泣いている。
 曲が終わった。ラブくんが「ありがとうございました」としっかりとした口調で言った。泣きながらでも今までの歌唱もまったく乱れなかった。けれど、ラブくんがいちばん荷物を背負っていた。ほかのイガカシが『過去』の再現をしようとしている中、ラブくんはきっと『愛』を表現しようとしていたのだ。同じ過去というものでも、『愛』というのはあまりに難しい題材だった。観客の熱い拍手と声援に応えるようにお辞儀をして、ステージを下りて、ギャン様と二言三言なにごとか交わしたあとに、つらそうに笑った。
「僕は、イブにはなれない」
「別にあれの真似をしなくていい」
「どうしたらいいかわかりません」
「ラブのやりたいようにやればいい」
「僕はイブみたいにやりたいんです」
「イブのどんなところをやりたいんだ」
「イブであるところをやりたいんです」
「鍵盤は」
「全然。イブがいないと、僕の演奏はただの機械だ。何も表現できません」
 ギャン様はシンセサイザーごとラブくんを抱き締めた。ラブくんの手がギャン様の背で迷う。
 アイカがマナブのそばに行く。マナブはスティックを握りしめたまま、ぼんやりしていた。
「マナブ」
「アイカ……」
「ドラム、上手くなったな」
「……ありがとう」
 マナブはじっとスネアを見つめている。まるでスネアにきらびやかな食事が並んでいるのを腹を空かせて見ているようだった。
「ギブ、よかったよ」
「ありがとう、リユウ。おかしいな、私はこんなベーシストだったかな」
「どういう感じなの」
「おかしいんだ、前みたいに、楽しくできない」
「うん、僕も楽しくはないんだ」
「私が悪いのだろうか」
「ギブも悪いね。でも僕も悪い。みんな悪い。でも、みんなが悪いんだけれど、とってもいいライブだった」
 音響を離れてステージまで来たリユウさんとギブくんがそういった会話をしている。
 そして、シノブだ。
「シノブ」
「ソウ。あのね、シノブね、スサブがいたころはね、もっと上手だったんだよ」
「そうか」
「あのね、もっと、わーって感じだったの」
「うん」
「あのね、なにがいけないんだろう。シノブはいつも通りやった。みんなも上手だった。あのね、なにがいけないかわかんないの」
「それでいい。これは成功だ」
「成功……?」
 シノブの呟きに、ステージでも会場でも、すすり泣く声がやんだ。
「席、見てみろ」
 観客は立ち去ろうとは、ひとり残らずしていなかった。
 最前でずっとマナブを見つめていた男が、喉の限界を超えた声を裏返して、意を決したように叫んだ。
「アンコール!」
 ホールが静まりかえる。
「……アンコール! ラブたん!」
「アンコール! アンコール! ギブくん! アンコール!」
「シーちゃん! アンコール!」
 それをきっかけに、ホールが叫び声で満ちた。
 ラブくんがマイクまで歩く。観客が静まった。
「……またお会いできますように」
 アンコールの拒否だった。けれど、落胆はなかった。
「また来る! またやって!」
「よかったよー!」
「ありがとう!」
「最高!」
 リユウさんがホールの電気をつけた。観客がざわざわと帰っていく。
「静かだったけどドキドキした、盛り上がった」
「今後にも期待できそう」
「また来たい、なんか、すげー切なくなるけど、くせになる」
 そんな話し声が去っていく。涙のあとのあるファンが最後に「がんばれー!」と叫んでいた。
 アイカがぱんぱんと手を叩いた。イガカシたちが注目する。
「はい。お疲れ様。今回は客観的にみれば成功です。みんな頑張った。ハジメテなんて痛いもんです。これから慣れていけばいい。今回は成功、次回もきっと大丈夫だろう。最善を尽くしたし、とてもいいライブでした。でもみんな納得いかないと思います。納得できるまで繰り返しましょう。納得したら自由に解散していい、今は耐えて、続けていこう。以上」
「お疲れ様です」
 全員が復唱した。
 そして、まずギャン様がラブくんの肩を抱いてホールから出た。続くようにリユウさんがギブくんの手を引っ張って出ていく。似たもの親子だ。アイカ、マナブ、シノブ、ボクが残る。
「アイカ、疲れたか」
「ん? 平気」
 ボクはアイカに訊いた。意図があったわけではない。考えをまとめるために声を出したかった。
(これではアイカも言葉に迷うわけだ)
 先程の恐竜が、ふつふつと再び心の中に現れ始めていた。完全な復活ではなく、心の中で産声を上げたのはまるでCGで作ったような恐竜だった。しかしながら凶暴さは実にリアルだ。
 それは全員同じなようだった。シノブはシールドを抜いたギターで遊び始めていたし、マナブはスティックをくるくると回している。
 恐竜は、また暴れまわりたいと言わんばかりに、ボクの作曲意欲を掻き立てた。
 本当にいいライブだったのだ。アイカやボクが思っていたライブを遙かに超え、いいものだった。ボクは、もういちどイガカシたちのライブを見たくてたまらなくなっていた。
 お絵描きの恐竜は、何枚も重ねていけば、アニメーションとして動き始めるかもしれない。
 そしてそれを見た科学者が心動かされ、再び恐竜を作り出すかもしれない。
 そしてその恐竜も、再び繁栄を始めるかもしれない。
 それなのに、なぜだろう、物悲しさが消えない。


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