イガカシ

LIKE A VIRGIN



 昨日からリユウが素っ気ない。もともと甘えたがりのリユウがこんなふうになったことはかつてなかった。私を買い取って間もない頃でさえ、もっと積極的に私と話をしていた。
 おまけに、私に隠れて何かをしている。朝にそれほど強くないはずのリユウが、昨日から、私が迎えに行く前に起きて、着替えも済ませ、私が部屋をノックすると間髪開けずに出てきて後ろ手にドアを閉める。そして「おはよう」と言う。昨日はそれからニラ玉子のミソスープと白米を食べた。食後のコーヒーは断った。今朝はチーズとハムとレタスのホットサンド1枚をゆっくりと食べて、ストロベリーミルクを飲んだ。食事中、会話はなかった。
 昨日も今日も仕事中は頻繁に温かな緑茶を飲み、私と目を合わせない。会話もほとんどない。淡々とリユウがコンピュータのキーボードを叩く音の中で、昨日はいちにちが終わった。今日ももう終わってしまうところだ。
「ギブ、先に寝ていて」
 リユウ、何かあったのか、私が嫌いになったのか。そう訊いてしまえば、きっとリユウはにっこりと笑んで、違うよ、なんにもないよ、ギブのことは好きだよ、少しひとりで居たいだけだよ、ギブも疲れているだろう、明日の朝までゆっくり休むといい、そう答えるだろう。そういう答えが欲しいのではない。もっと核心に迫った疑問を考えつかないと、リユウの相手はできない。
「……わかった。リユウも早めに休むといい」
「ありがとう。おやすみなさい、ギブ」
「おやすみ」
 私は敗北を認め、ひどい気持ちでリユウの仕事部屋を出た。明日の朝なんて来ないのではないか、そんなことを考えた。
 リユウと交わした『おやすみ』だけでは眠る気にもなれなかった。もっと気持ちを安定させるものが必要だ。私は自分の部屋のドアを開け、入って閉める。そのままドアに額を当てて、何度か深呼吸した。
 寂しい。
 でもきっと、これがイガカシのあるべき姿なのだ。今までが近すぎただけだ。たとえばアイカ様とマナブのように、きちんと線を引いておくことが必要なのだ。
 でも、寂しい。
 いや、寂しかった。
 なんとか過去形に直した。明日からは、きちんと線を引いて、リユウの所有物だという自覚を持って暮らしていこう。そうすればきっとそばに居られる。幸せでいられる。生きていられる。
 私はソファに座って目を閉じた。いい一生だった。



 腿に重さを感じて、目を覚ました。目を開けると外は白み始めていたが、まだ起きるべき時間ではない。
 リユウが私の腿の上に横向きに座り、白い首筋を晒して私の胸に顔を押し付けていた。
「リユウ……?」
「おはよう、ギブ」
「ああ、おはよう。どうした、眠れなかっ……」
 リユウの背に無意識に回そうとされた私の腕に、そっとリユウが触れる。
 そうだ。私は、リユウの所有物だ。機械だ。変な気を回さず、言われたこと、求められていることだけをすればいい。
 けれど、どうしてもこのままではつらかった。どうせリユウが私を嫌いなら、もう少し嫌われたって一緒だ。私は触れているリユウの手ごとリユウを抱き締めた。リユウは小柄なので、あまり強く抱き締めると安定感がない。今がまさにそれだ。私の上に座っているにもかかわらずリユウの頭は私の胸のあたりにある。
「リユウ、最後にいっかい、キスを」
 腕の中のリユウが体を強張らせた。
「これからはきちんと線を引く。だから最後にいっかいでいい、私のわがままを聞いてほしい」
「ギブは僕と別れるの?」
「別れたくない。ただ、リユウが私を嫌なら、リユウの言うとおりにする」
「僕の言うとおりにする?」
「ああ」
「じゃあキスはだめ」
 私は血液に酸が混じった感覚を覚えた。
「ギブが」
 リユウは言葉を切った。
「……私が、何だ」
 リユウは息を止めている。一緒の空気を吸うのも嫌だということだろうか。
「リユウ」
 私は耐えかねて更にきつくリユウを抱き締めた。
 すると、リユウの胸から喘鳴の音が聴こえた。すぐにリユウは呼吸器のやられた音で咳をし始めた。
 体を壊すほど強くは抱き締めていないはずだった。
「……風邪か?」
「うん」
「言ってくれれば……」
 リユウの息が絡まって、その喉に咳を引き起こした。
「ギブ、手を離して。伝染る」
「私は風邪はひかない」
「ギブが汚れる」
「望まない初めてを終えた少女でもあるまいに」
 リユウの背をとんとんと叩いてやる。するとうまく痰がとれたらしく、リユウは深い呼吸をした。
「……それが理由で、ずっと私を避けて?」
「うん」
「私のモノローグには目を通してくれていたか?」
「うん」
 リユウは久しぶりに私と目を合わせてくれた。
 可哀想だとは思ったんだけれどね、汚れてしまったらもっと可哀想だと思ったんだよ。言ったリユウは熱があるようだった、頬が赤い。夜が明けたら、病院へ連れて行こう。
 無論、所有物としてではなく、彼とのキスを望む身としてである。


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