犬よ兎を喰らうがいい

第二章 兎よ、しかと思い出すがいい【下】



「そんなしどけない格好を……」
「お帰りなさい、クニヒト君。早速なのだけれど、その子を戦力として使いたいとセンザウンドから連絡が来ているの。構わないかしら」
 クニヒトに有無を言わせず話が進む。クニヒトは『あーはいはい』と顔に書きながら、僕と目線を合わせるように僕のそばで膝を折った。
「レポル、俺のために戦ってくれる?」
 口の検査中だったので、んぐんぐと鼻で必死に受諾を訴えた。
「それでね、いちいちこんな怪我をされては困るの。だから一回データをとります。声があの現象の原因なら、アナライザーにかければすぐに済むはず。クニヒト君、レポリィド君にしどけない格好を長くさせていたくないなら、早急に詳細と改良および強化の成果を出しなさい。できるわね」
「ええ、最善を尽くします」
「じゃあクニヒト君、このあとはあなたに任せるわ。よろしく」
「承知致しました。レポル、検査が終わったら、ちょっと大人の世界の話をしよう」
 口内の裂傷も縫わずに済んだ。簡易な検査用の服を着て、クニヒトに連れられて狭い白い部屋に来た。ベッドとブランケット、そして親指と人差し指の輪くらいの大きさの楕円のピンク色の球が置かれている。
「じゃあ、レポル、この部屋で一回イってもらうよ。俺は部屋の外から見てるから、俺がいつもレポルにするように、体を触りなさい。ちゃんと気持ちよくなれたら、そこで検査はおしまいだから。できるね?」
「はい……クニヒト、どうして?」
「レポルの声がどんなものなのか、俺に教えて? 俺のために戦ってくれるのは嬉しいけど、戦うたびにレポルに治療が必要なほど怪我させたくないからね」
 クニヒトは優しげに微笑んだ。
「それから、こうやって普通に話せるってことは、興奮なりなんなり、声が武器になるスイッチがあるはずなんだ。あのときは俺を護ろうとしてくれたんだよね。必死だったわけだ。だからレポル、もう一回必死になって、俺のことを想像してイってみて。イくときは、体は最高に興奮するはずだから、似たようなデータがとれるはずなんだ。いい?」
「はい。がんばる」
「いい子。じゃあ外にいるからね。あんまり駄目そうだったら、呼んでくれたら、俺はレポルの声を聞いているから迎えに来るよ」
「クニヒトの声は、聞けないの?」
「聞きたいなら入れるよ。じゃあ、適宜声はかけてあげるから、さっき言ったこと、がんばってみて。ごめんね、早く終わらせて一緒に帰ろう」
「はい」
 少し心細かったけれど、僕はベッドに横になった。クニヒトが部屋から出る。
「じゃあ、始めてね、レポル」
 部屋にクニヒトの声が響いた。
 いつも、どうやって触れられていただろう。
 戸惑っていると、「恥ずかしい?」と、顔の見えないクニヒトに訊ねられる。
「ん……少し」
「恥ずかしいことをしている、っていう状況ででも、気持ちよくなれるようになるといいね」
 自慰の経験はないので、まったくクニヒトの真似をする。最初に、指を舐めて、もう片方の手で脚の間に触る。
「んっん、う、」
 なかなか触る手がぬめってくれず、舐めていた手と触る手を交換して、少しずつクニヒトの記憶を手繰る。
「上手だよ」
 クニヒトの声が聞こえる。いつも僕に話しかける、優しい穏やかな声。
「う、クニヒト、ん、うぁ……」
 声が上ずり、なんとなくこつを掴む。
「あっ、ぁあ、ん、は、クニヒト、」
「レポル、俺、いつももっと激しくするだろ?」
「ん、はい、ごめんなさい……」
 手の動きを速くする。
「あっあ、あ、ん、ぅ、っあ!」
 少し口の中に血の味が広がった。
「うん、上手。レポル、もう少し頑張ってみて」
「はい、クニヒト……んぁ、あ、あ、」
 蜜が溢れ始め、手に困らなくなる。
「あ、あ! ぁふ、あ、や、クニヒト、気持ちい、あ、クニヒト、」
 僕の声でベッドが軋む。
「うん、お疲れさま、レポル。もういいよ。データはとれた。超低音域がブーストされているんだ。そこを抑えるか、響かせるかで君を制御できる」
 なんのことなのか、熱に浮いた僕の頭はさっぱりわからなかった。扉が開き、クニヒトが僕に歩み寄り、そっと抱きしめた。クニヒトの白衣に僕の血液がにじんだ。
「クニヒト、イきたい」
「もうちょっと我慢して。今、君の声を制御するマスクを作っているから」
 クニヒトは僕の髪を撫でた。
「ひとが、聞いてたの?」
「俺のチームのひとだから大丈夫、言いふらしたりしないし、すぐ忘れるさ」
「恥ずかしい……」
 勃ちあがったままのそこを隠したくて脚をすり合わせる。
「俺はレポルが自慢なんだけどな」
「自慢?」
「こんなに可愛くて、こんなに俺のことを想ってくれて。俺が言えばなんでもしてくれて、それはいつも期待以上だ。見せびらかしたくて仕方ないよ」
 ぴぴ、とクニヒトの端末が鳴る。
「レポル、少し人が来るから、恥ずかしかったらこれを被っていなさい」
 ブランケットを指されて、僕は慌ててもぐりこんだ。ひとが部屋に入ってくる音がした。
「クニヒトさん、マスクの試作品です。低音域を主とした口内の反響を遮断します。ただ、アナライザーで振り切れた部分の音域はまだ手が打てないので、扱いにはご注意を」
「わかった、ありがとう」
 ブランケットの中で熱い体を持て余しながら会話を聞く。「レポル」と呼ばれて顔を出す。
「このマスクをつけたら、一回イってみよう。自分でイく?」
「ん、クニヒトにしてほしい」
「そうか。じゃあ、脚を開いてよく見せて」
 ぱたんと音を立てて誰かが部屋から出て行った。僕はブランケットから出て、クニヒトに向けて脚を開いた。その間に、クニヒトは僕にマスクを着けさせた。
「息は苦しくないか?」
「大丈夫」
「じゃあ、続きをしよう」
 クニヒトの、僕より大きな手が焦れた熱を包み込む。クニヒトが触れると僕のそこはどうしようもないほどの愛液を絶えず溢れさせる。
「あっあぁっ、はぁっ、あぁあん!」
 頬が切れたかもしれない、少し痛い。
「レポル、少し我慢してみようか」
「あ、あ……がまん……?」
「俺は続けるけど、レポルはイくのは我慢。いいって言うまでイっちゃだめ。いい?」
「ん、がんばる」
 いい子、と耳元で囁かれ、ぞくりと体が跳ねる。そのまま耳を噛まれて、びくんと全身が強張った。
「ん、ぁ……あ、あ、」
 クニヒトの指が先端の敏感な場所に爪を立てた。
「あぁあ……っく、ぅんんっ!」
 そのまま達するのは簡単だったが、クニヒトの言いつけを守ってなんとか耐える。クニヒトが満足そうに笑った。
「痛くしたんだけど、気持ちいいの?」
「痛い、けど、気持ちよくて、んっ」
 再びクニヒトが責めにかかる。今度は自分でわかるほど脈打っている茎を、指の腹でぬめりを塗りこむようになぞられた。
「ああ、ぁ、ん、ぅあ、」
 体の奥がずくずくと疼いていたが、人が見ている中では言い出し難かった。
「ちゃんと我慢もできるんだ、偉いね。じゃあ、いいよ、イってごらん。俺はもう手伝ったから、自分でしてみて」
 クニヒトが僕の手を、今の今までクニヒトが触っていたところに導く。
「恥ずかしくても俺の言うことを聞けて本当にいい子だ。さっきの我慢は、ご褒美だよ。イくときに意味がわかるはずだよ」
「ん、クニヒト、もっと、ご褒美、ほしい」
「何が欲しいんだ?」
「中、物足りない……」
 恥ずかしかったが、このまま終わるのはなんとなく嫌だった。わがままを言ってしまったと一瞬悔やんだけれど、すぐにクニヒトが許してくれて、どうしようもなく幸せな気分になった。
「ああ、じゃあこれを入れて」
 クニヒトは楕円の球をつまんだ。コードと電源のようなものがぶら下がる。
「それ、なに?」
「大人の使うおもちゃだよ。中に、こうやって入れて、」
「んっ……」
 クニヒトが手際よく僕の中に球を押し込んだ。
「あ……ん、クニヒト」
「うん。それで、スイッチを入れると、きちんと満足できるんじゃないかな。やってごらん、それでもだめなら残業だけど」
 クニヒトから電源を受け取り、かち、と出力のレベルを一にした。途端、体の中が震え出す。
「あぁあっ! やっぁ、これ、なに……あ、っああぁ、」
「まだ物足りないようなら、位置を調節するといい。もう少し奥に、レポルが好きな場所があるのも、自分でわかるだろう?」
「んっあ、ああぁ、あっ」
 僕は声を止められないまま、言われた通りにおもちゃの入った穴に指を入れ、奥に押し込む。まだ、もっと、もっと奥に、クニヒトがあのとき刺激してくれた場所がある。
 激しい快楽の中では、初めて指を後ろに入れる恥じらいなどなかった。ただただ、イきたい、それだけで頭がいっぱいになる。
「っあああぁあ!」
 そこにたどり着き、僕は身も世もなく悲鳴を張り上げた。体をよじり、けれど逃れたいわけではなく、機械的な一定の刺激に溺れる。
 クニヒトがしてくれるような緩急はないが、高まった体が絶頂を追い求めるには充分な悦楽だった。
 体がびくんびくんと痙攣し、白く濁った意識の一部が勢いよく流れ出た。
「ぅあ、は、んんぁ、あっ、」
 絶頂の最中にもその刺激は止むことはなく、数度に分かれて白濁が吐き出される。
 最後の最後まで吐き出させられた頃、クニヒトがスイッチを切る。
「あ……は、クニヒ、ト」
「ずいぶん気に入ってくれたみたいで」
「ん、でも、クニヒトがしたほうが、気持ちいい」
 濡れた睫を開くと、かすり傷だらけのクニヒトがウェットティッシュで僕が汚したおなかを拭いてくれていた。
「クニヒト、怪我」
「マスクは改良が必要だな、まだまだお互い怪我をする」
「僕の声で怪我したの?」
「気にしないでいいよ。レポルは俺を護ろうとしてこういう体質になったんだから、俺もレポルを護らないとね」
 クニヒトはにっこりと笑った。僕が好きな表情だった。
「帰ろうか」
「はい」
 クニヒトは僕が体を起こすのを手伝ってくれた。
「少し、待っていて」
 クニヒトは一旦ひとりで部屋を出た。ひとりぽつんとベッドに座ると、自然といろいろなことを考える。
 僕は、なぜ声がこんなにも特殊になってしまったのだろう。
 その答えは簡単に出た。クニヒトは、ことあるごとに僕の声を褒めてくれていた。話すときも、歌うときも、愛し合うときも。クニヒトに褒められた声は、僕の自慢なのだ。
 だけれど、僕はただ、クニヒトの役に立ちたかった。忙しいクニヒトを癒せるなら、と思って、彼と性的な関係を持った。今は、クニヒトを護れるなら、と、検査を受け、そしてこれからはクニヒトを少しでも、望んだとおり、護れるのだろう。胸を張っていい。
 ただ、なにか納得がいかない。なぜ、クニヒトを護ろうとする声がクニヒトを傷つけたのか。
「お待たせ」
 考えに耽っているとクニヒトが戻ってくる。新しい服を持ってきてくれたようだ。
 クニヒトにその不可思議をそのまま訊ねてみた。クニヒトはいつでも僕を護ってくれる。クニヒトはいつでも正しい。
「俺はレポルに傷つけられたと思ってないよ」
 ほら、正しい。
「護るだけが愛じゃないと俺は思う。確かに君を護ったのは俺の愛だ。でも、君を抱いたのも俺の愛だ。俺だってレポルを傷つけながら愛してる」
「僕はクニヒトに傷つけられたことはないよ? ……あ」
「そう、お互い様で、傷つけたと思っていることが本当に傷ついているとは限らない。逆に、傷つけた自覚がないまま傷つけることだってある」
「クニヒトは、僕に傷つけられたことはあるの?」
「俺はわがままだからね、あるよ。そしてこれをレポルに言うと、レポルは傷つくんだ。そうだろ?」
「一瞬、そう思った」
「難しいんだ。レポルは優しいから、俺が傷ついたのがわかったら自分でも傷つく。そうやってレポルが傷ついたのがわかったら俺も傷つく。でも、傷だらけで愛し合って、なにかいけないかな。傷つかないで愛さないのと、どっちがいけないかな」
 やっぱりクニヒトは大人だ。僕が困ったときには、すぐに教えてくれる。
 僕が検査用の服を脱ぐと、クニヒトは絆創膏を持って僕の体を点検した。先程の検査で怪我が増えていないか診てくれているようだ。
「どこも痛くないよ」
「人間、痛みを感じないで怪我をすることもあるんだ。念には念を入れるよ、大切なレポルのことをぞんざいにしたくはない」
 やはり何か所か傷があり、再び消毒された。クニヒトがしてくれるなら、消毒薬の沁みる感覚も嫌なものではなかった。
 そして服を着て、マスクを外す。
 白い部屋から出ると、四人ほどの白衣の研究員だと思われる人たちが、「お疲れ様です」とクニヒトに声をかけた。
「クニヒトさん、課長が、クニヒトさんとレポリィドさん二人でシャーベットを食べるように仰っていましたよ」
「シャーベット?」
「『買って渡すとクニヒト君が焼きもちをやいて食べないからあとでお代を請求しなさい』だそうです」
「そんな伝言を頼まれる君も手間だったね」
「いえ、私は大丈夫ですけれど、ちゃんと食べてください、あと報告もしてくださいね。課長が怒ると実験用ウサギが怖がって可哀想なんです」
「ああ、わかったよ。レポリィド、行こう。人工甘味料の塊しか置いていないだろうけど、冷やすと痛みが引くから、切れた口の中が楽になるはずだよ」
「はい、ありがとう」
 僕がクニヒトにそう話すと、場が静まりかえる。なんだろう。僕は何かいけないことを言っただろうか。それともまたチョウテイオンイキがブウストされたんだろうか。
「……クニヒトさん」
「うん? なんだい」
「また連れてきてください」
「嫌だよ」
「シャーベット奢りますから」
「嫌だ」
 僕は困ってクニヒトを見上げた。十三の僕と二十二のクニヒト。僕がクニヒトを見るときは、大抵電球か太陽がクニヒトの後ろにある。要するに僕はクニヒトよりずっと背が低い。
 クニヒトは僕の視線に気づいて、「大丈夫だよ」と微笑んだ。屈んで、ついでのようにキスをした。僕はそのとき初めて、クニヒトの唇と僕の唇を合わせる行為は『キス』というものなのだ、と判った。
「君たちに面白半分にいじらせるわけがないだろう」
「ほらーコリー君怒られたーやーい」
「やーい」
「やーい」
「なんだよ! 俺にはレポリィド君と同じくらいの娘がいるんだ! 恋しい! 癒されたい!」
 僕は、可愛がられているのだろうか。
「レポル、声を出していいよ。大丈夫、みんな君の声に興味があるんだ」
「そう、なの?」
 「おお」と場がざわめく。
 クニヒトが「帰るぞ」と僕の手を引いた。研究室から引っ張り出されながら「ありがとうございます」と僕は残して、クニヒトとつないだ手に引っ張られるまま、近くのおしゃれなバーに入った。
「クニヒト、ここって、僕が入っていいの?」
「マスターとは顔なじみだし、レポルはいい子にできるから大丈夫だよ」
「いらっしゃい、クニヒト君」
 ゆるいウェーヴの髪を左肩にまとめたマスターだった。そう言うなりシャーベットを二人分「どうぞ」と僕とクニヒトに渡す。
「いただきます」
 シャーベットにスプーンを突き刺す。持ち上げるより先に、クニヒトのスプーンが僕の口元に差し出された。
 迷わず口を開けると、舌にスプーンが触れ、酸味の少ない甘い桃のような味がした。
「おいしい」
「よかった」
 クニヒトは幸せそうに笑った。マスターもにこにこしていた。
 店内にはアップテンポのジャズが流れている。ちゃり、と小銭の音がしてそちらを見ると、なんと生演奏だった。バンドが隅で演奏している。
「クニヒト、あれすごい」
「あれ副業なんだぞ」
「いつもは何をしている人なの?」
「俺の同期だ」
 ひゃー、と思って思わず口を開け、バンドを二度見する。クニヒトは僕の開いた口に再度スプーンを突っ込んだ。おいしい。
 バンドを眺めながらシャーベットを口に運び続け、気づけば少し眠たい時間になっていた。
「レポル、帰ろうか」
「うん……ちょっと眠い」
 あ、と、クニヒトが珍しく困ったような声をあげた。「どうしたの」と訊くと、「そういえば救急車で来たから足がない」と呟いた。
「そうだな、テロの危険もあるししばらく二課に泊まろう。あと、レポル、しばらくしたら君の戸籍を消さないといけない。これからセンザウンドというひとのところで働いてもらうことになる。少し独特なひとだけどレポルならうまくやるだろう。でも、一生を俺のために棒に振らせることになる。ごめんね」
「ううん、クニヒトのためになにかできるなら僕はそれがいい。どういうことをするの?」
「人を殺すんだよ。怖い思いも嫌な思いもさせると思う。それでも俺のためってがんばれるかい? レポルが頑張れば、たくさんの人が幸せになるのは確かなことだけど、レポルは知らないひとの幸せのために、がんばれるかい」
「クニヒトがそれがいいなら僕もそれがいい」
「……俺はわがままだから、ね、」
 クニヒトはそう前置きして、言った。
「レポルが、俺と同じところに縛られていると、安心するんだ。ずっと俺と一緒にいてほしい。俺はきっとレポルにとって、いい存在じゃないんだと思う。それでも俺はレポルが鎖で繋がれているなら、その飼い主になりたい」
 僕にはそのとき、よく意味が分からなかった。
 翌日から、人を殺す訓練が始まった。
 仰々しい言い方をしてしまったが、ヘリから生きて飛び降りたり、簡単な護身術を身に着ける練習のことだ。
 初めて、飛んでいるヘリの乗降口に立った時は、怖くて仕方なくて、自分の足では飛び降りられなかった。最初の日はクニヒトもついてきてくれていて、「頑張ってみよう、俺がついてる」と声をかけて、僕の背中を押してくれた。
 飛び降りてしまえば悲鳴は勝手に出る。訓練場のまんなかにクレーターができた。いろいろなひとが、僕に興味を持ってくれたみたいだった。クニヒトが自慢げに僕の話をしてくれるのが、言い知れないくらい嬉しかった。
 そのあと休憩時間に、クニヒトはクレーターの見える屋上に僕を連れて行った。
「あれをレポルがやったんだよ。すごいことだ。次からは、自分で飛び降りなさい。悔しいことだけど、俺がいつもついていてあげられるわけじゃない。でも、任務が終わったときにはできるだけ俺も休みを取るから、こうやってシャーベットでも食べながら、一緒にクレーターを見よう」
 クニヒトと食べるシャーベットはいつも味が違って、クニヒトに訊いてみると、単に甘味料の混ぜ方がいい加減なんじゃないか、と言っていた。
 そういえば、クニヒトは猫が好きだった。
 敷地内の屋内運動場の裏には猫が集まる。餌をやるお偉いさんがいるらしい。
 僕も大概に嫉妬深いので、素直に「猫がうらやましい」とクニヒトに言ったことがある。
 クニヒトは「どうして?」なんて訊いてきた。クニヒトの大きな手に撫でてもらえるからに決まってる、と返すと、「食事の前には手を洗うね。でも外に出るときに手を洗うかい」と答えられた。
 「よくわからない」と猫に触ろうとすると、「触っちゃだめだよ」と言われた。少し寂しくなった。僕だってクニヒトが見るもの聞くもの感じるものを知りたいのに、と、口には出せなかったけれど、正直なところ、頭がその思いで埋め尽くされた。自分が少し嫌いになった。
 でもクニヒトは優しい。しょんぼりした僕に、「猫は汚いから」と付け足す。
 「僕が汚くなったら触ってくれるの?」と訊いてみると、「レポルは汚くないし、もし汚れたら……そうだね、じゃあ猫を触りなさい。教えてあげよう」と答えた。
 言われた通り猫を触る。柔らかくて温かい。でも思ったほど気持ちよくなかった。この時、クニヒトの言うとおりにしていればいいんだ、と、よくわかった。
 けれど、ひとしきり猫と戯れた後に「レポル、おいで」とクニヒトは立ち上がった。
 「一緒にシャワーを浴びよう。猫に触って汚くなった分、綺麗にしてあげる」と言う。
 僕はそういうクニヒトの冗談じみた性行為の誘い方が好きだった。
 シャワー室でするのは、少し怖い。声が響きそうだからだ。マスクもできない。クニヒトに怪我をさせてしまうかもしれない。
 でもクニヒトはいつでも僕を気遣ってくれる。シャワーを止めないまましよう、と言う。
「水が口に入るから、口を閉じていなさい。レポルの中の音が聞けないのは残念だけど、レポルが欲求に抗って俺を求めるのを見たい」
 クニヒトは後ろから僕を抱き締めるようにして、期待に震えるそこに触れた。
「ん、んう、ん、」
 僕は両手で口を押さえた。クニヒトは面白がってそこを何度も扱く。いつの間にか怖くなくなった感覚だった。
「んんっ……ん、うん、」
 首を振ると、シャワーを受け止めていた髪から滴がはたはたと落ちる。
「嫌?」
 クニヒトの指が後ろに触れる。僕は体を捻ってクニヒトの胸元に頬を当てた。指が中に入る。
「中の動き方、本当に厭らしくていいね」
「んっん、んぅんっ、」
「いれるよ」
 いつの間にかほぐされたそこに、後ろからクニヒトが宛がわれる。
「ん、いれて、クニヒト……く、ぅんっ」
 獣のようだな、と思った。
 この体勢も、僕の浅ましい欲求も、僕とクニヒトはあまりに動物的で、けれどその背徳感のようなものが、僕とクニヒトを結んでいた。
「レポルは、考え事をすると、目を閉じるよね」
 クニヒトが乱れた息で僕に囁いた。確かに僕は目を閉じていた。
「何を考えていたのか、あとで訊くことにしよう。レポルは頭がいいから、もしかしたら、俺にはわからないことを、考えていたのかもしれない」
 クニヒトは僕に、もっとつながる行為に集中してほしかったのかもしれない。けれど結局、その問いがクニヒトの口から発されることはなかった。
 終わった後に、シャワーを止めて「大丈夫?」と訊かれたのも嬉しかった。クニヒトはどんなに僕に無茶をさせても、僕のことを考えていてくれる。
 シャワーの滴をふき取って、ベッドでもう一回した。今度はきちんとマスクもつけて、僕から誘って、した。いつの間にか僕のほうから誘わなくなっていたことに気付いたからだ。
 僕が誘うと、いつもクニヒトはとても嬉しそうにする。
 そういうときに「レポルは本当は俺よりエッチが好きなんじゃないか」なんて言って、僕が恥ずかしがるのが楽しいらしい。
 ……これ以上話すとあなたの顔を見られなくなるので黙ります。
 それが、七年前の話です。

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