犬よ兎を喰らうがいい

第三章 兎よ、騎士の誠実に感謝を【下】



「わたくしの父とウェルシュは仲が良かったの。紹介されて、そのまま丁度よくあなたに振られたので」
「体目当てでなびいたわけじゃないんだろうな」
「ウェルシュはわたくしに性的に興奮したことはなくてよ」
「ならなんで付き合うんだ」
「あなた、犬ね」
 ライカは心底呆れた声を出した。
「ウェルシュはゲイなの。わたくしはウェルシュが養ってくれるなら性癖はなんだって構わないわ。ウェルシュはウェルシュで、わたくしに遊んでいいと仰るし、そういうプラトニックも愛の形よ」
「僕は、好きになったら抱きたいけどなあ。ライカはスタイルもいいし」
「好きとか好きじゃないとかそういう話ではなく、ひとつの家庭の形の話。あなたからわたくしを振ったのだからわたくしにもそろそろ諦めさせて頂戴。振った理由も言わない男に何を言われてもわたくしは何も感じないわ」
「……この際、理由、話そうか」
「ぜひ聞きたいわね」
 クニヒトはだいぶましになった吐き気をやり過ごして寝返りを打ち、天井を見上げた。白い。
「ライカが、ライカのご先祖様にセックスを見られたくないって言った理由がわかったから」
「よくわからないわ」
「ライカを幸せにするのは僕じゃない。ライカはわかっていたんだろ?」
「わからないわ、何の話?」
 ライカにはほかにセックスの相手がいた。相手は性別を問わず、不特定だ。ライカはセックスを三日と断つことができない、依存症の一種を患っていた。クニヒトには、自分以外と関係を持つ相手と添い遂げるという選択肢が、どうしても選べなかった。けれどライカはライカでつらいのだから、いずれ誰かが受け入れてあげなければならない。その葛藤に耐えられず、泣きながら別れを切り出す決断に至ったのだ。ウェルシュが受け入れてくれるのならば、自分の罪も軽くなるような気がした。それでも自分はやはり勝手だったのだろうなと思うと、やり過ごしたはずの吐き気が、違った味で食道を満たした。でもどうしようもなかった。どう頑張っても、クニヒトが相手に求めるのは、ライカの持たないものであることに他ならなかった。
「ライカのセフレの話。僕は束縛が激しいから、もっと緩いお相手と、それこそゲイセクシャルで束縛しない年上の医療の専門家の男性にでも治療を任せたほうがいい気がしたから」
「そう」
 あっさりとライカは引き下がる。今の彼女の心中はクニヒトには慮れない。
「なら、もしレポリィド様がセックス依存症だったら、クニヒトは諦めるの?」
「なんでレポリィドが出てくるんだよ、僕はノーマルセクシャルだ」
「そう」
 またライカは会話を断ち切った。こういうとき、彼女は大抵何かを考えている。
「ねえライカ、ライカは何の話をしたいんだ」
「万事順調と思っていただけ。あなた、すっきりした顔をしているわ。わたくしと関係があったころよりも、ずっと」
 単に吐き気が治まって上質なベッドにのうのうと寝転がっているせいではなかろうか。
「レポリィド様はウェルシュが今晩は面倒を見るようだから、あなたはもうお帰りになって」
「ウェルシュ先生に襲うなって言っておいて」
「嫌よ。ウェルシュとレポリィド様にわたくしやあなたは口を挟める立場でないでしょう」
 それは言外に、今晩、レポリィドと行為があるという含みがあった。
 確かにクニヒトはノーマルセクシャルだった。それなのに、いざレポリィドが抱かれますよ、と言われると、自分の分のこんがりと焼けた兎肉がかじられたのを知ったときのような物狂おしさを感じる。
 ライカは案ずるように「知らないかもしれないけれど、昔からなの」と言ったが、クニヒトの兎肉は戻ってこない。
 それでも駄々をこねて何とかなる問題ではないように感じたので、クニヒトはベッドから起き上がった。深く呼吸をする。もう先程の体調不良はどこにもない。横で眠るレポリィドを見る。彼に自分が針を刺して、生かした。初代クニヒトもこんな感覚だったのだろうか。
「じゃあ、明日迎えに来るってだけ言っておいて。じゃあね」
 クニヒトはとろとろと個室を出た。
 視線で見送った後、ライカは口を開く。
「レポリィド様、過呼吸の兆候が見られるわね。日常は大変?」
「……おわかりだったんですね」
 レポリィドはとうに目が覚めていた。
「あなたはクニヒトに幸せをもらったことはあって?」
「優しいひとですよね」
「恋情は?」
「僕はきっと初代クニヒトに恋したまま、死ぬのでしょう。二代目への愛は難しいかと」
「あなたは、クニヒトと幸せになれる器だと思うのだけれど」
 クニヒトとレポリィド、両方を知っているライカの言葉だった。レポリィドとは、数年前から面識があった。医務開発課でたまに顔を合わせ、同い年の若者同士、軽い話を交わす程度の付き合いだったが、クニヒトよりは長く付き合っていると言えるだろう。
 けれど、幸せ云々といわれても、レポリィドはどうしたらいいかわからない。僕は初代クニヒトが好きだって、ライカさんもご存知でしょう? なぜかその問いは、口から出ようとしなかった。
「いったんクニヒトと寝てみればよろしいのに。クニヒトはへただけれど」
「初代クニヒトがいいと言ったら、考えます」
 ライカはレポリィドの伏せられた目を覗き込んだ。初代クニヒトの影を色濃く追い求めている。だからライカはそこでその話をやめた。今は何かの条件が、レポリィドの中で足りていないことだけわかった。そして、それはもうすぐ解決するのだろう。わたくしは手を出さないでいるべきなのでしょう。ライカは溜息でなく自然に二酸化炭素を酸素と入れ替え、彼女にだけ見えた景色を仕舞いこんだ。
「お加減はいかが?」
「ちょっと、体が火照ります」
「わたくしがあなたをいただいてしまうとクニヒトが本気で倒れそうなので、ウェルシュが来るまでお待ちになって。わたくしもあなたみたいな清純派の体を知りたいわ。おあずけって、嫌なものね」
 ライカはそう残して、個室から出た。十九時五十九分。あと一分で、ウェルシュの担当の時間が終わる。きっと今日も、抱いてくれるだろう。レポリィドは待つ。
 レポリィドがウェルシュを知ったのは、初代クニヒトが勧めたからだ。初代クニヒトは嫉妬深かったが、ウェルシュには頻繁にレポリィドを抱かせた。ウェルシュが要求したせいもあったが、初代クニヒトはウェルシュに抱かれるレポリィドを見るのを好んだ。
 そのようなことを思い返していると、体の火照りがひどくなる。初代クニヒトはレポリィドが初代クニヒトの監視下にない中で性欲を処理するのを嫌がった。「ひとりでするくらいならウェルシュか俺に抱かれなさい」と言い含められたことがあったので、レポリィドは未だに自慰が上手くない。
「お待たせしたかなー、レポリィド君?」
 ノックがあり、ドアが開く。ウェルシュだ。レポリィドの体が、期待にますます火照る。
「もしかして、二代目クニヒト君には抱かれたことがない?」
「……ええ」
「初代のほうも二代目なら許してくれると思うけどなー、初代、私にも何も言わずにいなくなるんだもの、そろそろレポリィド君もほかの男の人を決めないと、体きついでしょー」
 「旺盛なほうなんだからさー」と付け足され、レポリィドは恥じらいに頬を染めて、少し曲げた膝をすり合わせた。
「そうだねー、今日も処理してあげるよ? 初代も今頃レポルレポルって処理してる頃だと思うよー、あっちは私から見てもひん曲がった性癖だったから処理大変なんじゃないかなー」
 ウェルシュはドアを閉め、レポリィドの終わった点滴の針を抜いた。
「ん……」
「痛いの、好きなんだっけ?」
 答えるのが恥ずかしくて、顔を背けた。
「じゃあマスクしてね」
「ん、はい……」
 レポリィドの声を制御するマスクをウェルシュに渡され、自分で装着した。
「レポリィド君、一週間もいなくなるから心配してたんだよー、初代と仲良く駆け落ちしたのかなと思ったのに違うしさー」
 レポリィドの軍服のボタンが外されていく。レポリィドは奥歯を軽くかみしめた。嫌悪ではない。欲情の恥ずかしさと物狂おしさが入り混じったとき、どうしたらいいのかわからなくなる。そのときの癖だった。
「レポリィド君がいなくなる直前に、自分で『クニヒトへの愛を貫きたい』って言ったのはびっくりしたよ、大人になったんだなってねー」
 ウェルシュはレポリィドのベッドに体重を任せた。ばねが軋む。ウェルシュは少し笑う。
「二代目クニヒトをこしらえるから『クニヒト』への愛を貫け、って言われた時の傷は治った? 手を握りしめすぎて手のひらから血が出たんだったねー、あ、腱もやったんだっけ」
 ボタンを外し終えた軍服が肌蹴られ、少し触れるだけで痛い胸の果実が押し潰された。
「んんぅっ!」
「初代は画像が残っていないからねー、もう私は彼の顔すら忘れそうだよ」
「僕、は……覚えて、ます……!」
「そっか。私に抱かれるたびに『クニヒト』って喘ぐもんねー。初代も喜ぶと思うよ」
 答えながらも胸をいじる手は止まらない。かみしめた奥歯が声を漏らし始める。
「レポリィド君、実は結構二代目クニヒト君のこと、気にしてるでしょ」
「して、ません」
「いーや、してる」
 ベルトが外され、きついそこが楽になって少し涼しさを感じた。濡れたそこが外気に触れている。ウェルシュに抱かれるときは大抵、体と心の熱さが反比例する。
「ずいぶん元気だねー、今日はどういうのがいい?」
「ドライが、いいです」
 初体験がドライだったせいか、レポリィドはドライの絶頂を好んだ。
「うん、わかった。じゃあちょっと苦しいの我慢してねー」
 尿道に専用の棒がゆっくりと差し込まれる。いつもそうだが、痛い。ウェルシュは抜いた後は痛み止めをくれるのだが、入れられるときの痛みにはいつまで経っても慣れられなかった。薬はあるのだろうが、その痛みも含めて、行為の始まりの条件付けのようなものになってしまっていた。
「ん、んく、う、ん……」
 けれど萎えることはない。初代クニヒトが、レポリィドをそういう体にしたのだ。
 パブロフの犬を思い出した。突き詰めれば、ドレサージュとはそういうものなのだろう。
「じゃあ、慣らしていくからね。痛かったら右手あげてー」
 後ろまで滴っていたレポリィドの期待の滴のぬめりで、負担なく指を飲み込んだ。
「一本だけでもおいしそうに食べるねー」
 熱く痙攣する中は、指を待ち望んでいたように歓迎する。
「あ……あ、ん、もっと、ウェルシュせんせ、うんん……」
 軽く指を曲げた出し入れが始まる。敏感な性感が引っ掛かり、個室が甘い声で満ちていく。
「あっ、あっあ、そこ、そこもっと、あ」
 射精を食い止められながらも棒を飲み込んで震えるレポリィドのそこを、ウェルシュは手で包んだ。
「ああぁあぁあ、ああ、っあ、だ、め、もうっイ、く……!」
「ドライも本当、開発されてるよねー。私も開発に携わったわけだけど、やりがいを感じるよ。じゃあ一回イっていいよー」
「あっあっ、あぁああ、」
 そこをぐと指の腹で押され、尿道へせり上がる精液はけれど阻まれて、体がびくんと強張る。
「あっだめ、あ、ごめ、なさっ、ああ、あぁああああっ!」
 吐き出さないまま、レポリィドは上り詰めた。
 ウェルシュの手は止まらない。体を跳ねさせるレポリィドを愉しそうに見ている。
「あぅっは、あ、だめ、ウェルシュ先生、も、くるし……」
「ああ、ごめんねー。あんまり中の扇動が気持ちいいから、いつもついいじめすぎてしまう」
 ウェルシュが指を抜き、震える茎から手を離した。レポリィドは荒すぎる息を整える。
「はっあ、ふ、んん、ふう、はっ」
「ドライは一回イったら長いから大変だろうに、なんでまたレポリィド君はこれが好きかなー」
 面白そうにそう呟きながら、ウェルシュは血管の浮いた自分の欲求を取り出した。
「いれていい? まだ慣らす?」
「は、あ、くださっ、ください、せんせ、」
「うん、目を閉じて、クニヒト君だと思って抱かれてね。私は何も言わないから」
 昔からのウェルシュのこういう気遣いが、レポリィドを離れられなくしていた。
「クニヒト、クニヒト……いれて、くれる?」
 ウェルシュは無言でレポリィドの脚を割り開き、けれど優しく覆い被さった。
 熱い粘液と肉の感触が押し付けられる。目を閉じたレポリィドの入口がひくりと震えた。
「あ、ん、はや、く、クニヒト……」
 レポリィドの腰を大きな手が支え、ず、と体が開かれていく。
「んんっ、う、は、あっ、や、」
 ふと、個室の外で物音がする。レポリィドの体は反射的に冷めた。目を開ける。
「誰か、いる、の? ウェルシュ先生」
「ああ、今日の巡回のオーヴィス君だよー。大丈夫、あのひとは人の顔を覚えないし、もうあのひとも時間だ」
「でも、顔見知りくらいはわかるんじゃ」
「病気なんだ。人の顔を識別できないんだよ。あのひとは声とか体つきで判断する。レポリィド君が派手に喘いでるから、レポリィド君の相手は私だともわかるし、時間だしあのひとも帰る。大丈夫ー続きしよう」
 誰かの気配の中で体の熱が上がるのは、初代クニヒトの教えた反応だった。
「レポル」
 その呼び方に酔う。声は違ったものだが、レポリィドをそう呼ぶのは初代クニヒトだけだ。
「……クニヒト」
 中の熱が動き始める。慣れたころの、少し強引な出し入れ。紛れもなく、クニヒト。
「あっあ、ん、深……あ! あ、奥、いっぱい突いて、もっと」
 奥まで飲み込まされ、掻きまわされる。閉じられた目の眦が濡れていた。
「っく……う、ん、あ、うぁ、」
 少しの苦しさと満足感とが襲いかかり、『気持ちいい』という感覚にエンコードされる。
「クニヒト、クニヒ、ト……!」
 狭い出口から、射精を食い止めていた棒がずるりと引き抜かれる。そのじんわりと鳴る痛みに、レポリィドはきちんとした絶頂に達した。
「あっあ、あぁああ! あぅあ、あっ、ん……あ」
 手の甲で髪を撫でられる。僕をいま抱いているのは、クニヒトだ。紛れもなく、クニヒトだ。レポリィドはウェルシュに抱かれるたび、そう言い聞かせる癖があった。
 目をきつく閉じて体の痙攣がおさまるのを待つ。
「今日も、いっぱい出たねー、もう一回、イける?」
「ウェルシュ先生……」
「ああ、ごめんごめん、クニヒト君の代わりで致してたんだったねー。夢から覚めてみて、私だとやはり物足りないものはあるの?」
「別物、です、彼と、先生では」
「詳しく聞かせてー」
 ウェルシュの話のきき方が好きだ。カウンセラーのようにただ聞くだけではなくて、きちんと客観的な意見も言ってくれる。それでも、きちんと話を聞いてくれる。
 息を整え、言葉も整える。ウェルシュはレポリィドの柔らかな髪をいじりながら、待ってくれた。
「クニヒト以上に僕を愛してくれるひとは、いるわけがないんです。だから、いかにクニヒトを名乗ったり、ウェルシュ先生が手を尽くしてくださったりしても、僕の中の『好きなひと』はあのひとだけです。初代クニヒトだけです。ほかのひとは、誰であっても、どんなに偉くても、どんなに優しくても、何度抱いてくれても、ほかのひとでしかありません」
「うーん、レポリィド君は、少し言葉の選び方が不器用だよねー、自分で言葉に引っ張られてしまっている感じがするよ。特に二代目クニヒト君の話をここで持ち出すあたりは、結構二代目のほうも気になってるんじゃないかと思うんだけど」
「それは、先生の医療の診断と同じくらい、信じてもいいことですか?」
 その問いには、ウェルシュは答えなかった。
「そもそも、なんで二代目なんて作られたと思う?」
「僕を言いくるめるためじゃないんですか?」
「まあそれもあるんだけど、一番のねらいは、別なところにあるような気がするんだー。偉い人も頑張って考えたんだよー、レポリィド君のために!」
 ウェルシュがつながったままだった腰を突き上げ、急すぎる行動にひっくり返った悲鳴が出た。
「いぁっ!」
「ごめんごめん」
 ウェルシュは喉で笑った。けれど次の瞬間には真面目な顔をして、次の言葉を口に出した。
「愛されるっていうのはさ? 本当にたったひとりからしかされないものなのかな?」

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