犬よ兎を喰らうがいい

明けを祝える年へ



「ウェルシュ」
 俺はあのとき、相当酒がまわっていた。医務開発課の年始の集まりを終え、ウェルシュと俺で飲んでいた。
「なんだい、クニヒト君」
 ウェルシュも酔っていた。もともとウェルシュは酔っている最中のような顔つきだったが、あの時は安いアルコールに溶け切った顔をしていた。
「俺たちは毎年毎年喪中なわけだよ、ウェルシュ」
「まあ、そうなるね」
「でも、喪中を知らない子と付き合い始めたんだよ、俺」
「そう言っていたね」
「でも、あの子も喪中なんだよ、喪中ということを知らないくらい喪中じゃないのに喪中なんだ」
「ふうん。ねえクニヒト君、うどん食べたい」
「年越しのときに俺はその子とそばを食べるから」
「そばは茶がいい」
「酔ってる?」
「君がね」
「君こそ」
「うどん頼んでいい?」
 酔っ払いの相手をするのは大変なのだろう、バーのマスターが苦笑しながらパスタを勧めてくる。
「じゃあカルボナーラ風のなんか赤いやつくださーい」
「俺、緑みたいなやつください」
 パスタが来るまでの沈黙で俺たちは寝ていたのかも知れなかった。アラビアータとジェノヴェーゼが、どうぞ、という声と一緒に届いた。具はなかった。
「眠たい、クニヒト君」
「俺も」
「でも私は君には燃えない」
「それを知っている前提がなければ俺はウェルシュと飲もうとは思わなかっただろう」
「これおいしい」
「こっちもおいしいよ」
「帰ってあげたらー」
「食べたらな」
 ジェノヴェーゼの味のキスを、あの子は理解できるだろうか。
「帰りたくないの、クニヒト君?」
「喪中を教えるのが嫌なんだよ」
「そのうち当たり前のことになるよ」
「それが嫌なんだ」
「じゃあちゃんとその子に喪中を教えてあげられたら、ご褒美にエロ動画教えてあげる」
「俺あんまりウェルシュの見るような動画は興味がない」
 いつの間にか皿には緑のソースが這っているだけになっていた。
「クニヒト君、端末、光ってるよ」
「誰」
「君のその喪中の子なんじゃないの」
 俺ははっと端末に飛びつき、差出人を確認する。
「ウェルシュ」
「うん?」
「いつあの子がエロ動画に出た?」
「君が抱いたときじゃないの」
「わかった。帰る」
「たぶんただの迷惑メッセ」
「ウェルシュが送ったのか」
「私は寝てる」
「わかった。おやすみ」
 酔った頭が、愛しい存在の操を考えると精一杯回り出す。急いで帰るときに、間違えてウェルシュの分も一緒に会計したことをよくよく覚えている。
 それから、飲み過ぎたせいで、隣で朝に寝息を立てていた幼い顔にうまく興奮できなかったことも、とてもよく覚えている。
 そして何年も経った今日、それを思い出しながら、酒を飲んでいる。
 あの子が幸せであることを願うばかりだ。
 一緒にそう願ってくれるはずの存在ができた年が、終わったところだ。


Copyright(C)2017 Maga Sashita All rights reserved. designed by flower&clover
inserted by FC2 system