死なせない

カウンセリングでも死なせない



 ミチのカウンセリングの時間が終わった。
 大学のカウンセリングセンターに、ミチは通っている。ミチは丁寧なお辞儀をしてカウンセリングルームから出てきた。僕は廊下にいた。
 ミチは僕のほうへふらふらと歩いてくる。
「ミチ」
 やっぱりだ。ミチは僕が呼ぶと顔を歪めて泣き出した。声を堪えるように、あるいは感情の激流を食い止めるように、歯を食いしばっている。立ち止まってしまったミチに、ゆっくり近づく。
「健斗」
「少し休んでいこうか」
 ミチが首を横に振る。小さい声で、帰る、と言った。僕たちはゆっくりと歩く。ミチは泣きながら、僕の少し前を歩く。
「健斗」
「なあに」
「切る前にエスオーエスを出せって言われた」
「うん」
「言うくせに、俺が泣いてても、それはエスオーエスとしてとらえてくれない」
「そっか」
 僕はミチの腕に腕を絡めた。
「どうしろって言うんだ」
「ミチは、どうもしなくていいよ。そのまま生きててくれればそれでいいよ。エスオーエスは、僕に出して。ミチが泣いてるとき、僕は放っておかないでしょ」
「うん」
 エレベーターを呼ぶ。
「健斗は、切っても怒らない」
「そうだね」
「でも、泣いてると気付いてくれる」
「うん」
 ミチは口をつぐんでしまった。僕は心配になって、ミチ、と呼んで顔を窺った。ミチの表情は読めなかった。
「健斗は、俺が死んだら、怒ってくれる」
「それは絶対にね」
「カウンセラーは、怒ってくれる?」
「どうだろうね。なにをなんて言われたの」
「覚えてない……自己犠牲がどうとか、言われた気がする」
「そっか。無理に思い出さないでいいよ、つらいことで忘れていたことを思い出す必要は、今はない」
「うん。カウンセラーに話すの、つらかった」
「つらかったかあ」
「でも、治したいから、話した」
「がんばったね」
「うん。がんばった」
 エレベーターに乗る。1のボタンを押すとドアが閉まり、静かに降りていく。
「健斗、眠い」
「保健室行こうか」
「図書室でいい」
 あーあー、ミチが大学のメンタルのケアを信じられなくなってしまったじゃないか。僕は内心毒づいた。ミチの涙は止まっている。ひとは、絶望すると涙が止まる。ミチを見ていて、学んだことだ。
「健斗、吐きそう」
「吐いたほうが楽?」
「ん、たぶん吐けない」
「やっぱ保健室行こう。薬もらって、嫌だったら図書室行けばいい」
「うん」
 僕はふっとミチの脚の異変に気付いた。
「ミチ、脚の止血できてないよ」
「え?」
「ジーンズ、血がにじんでる」
「あ……ごめん」
「うん」
 ミチには、切ってもいいけれど処置をすること、と言い含めている。
「保健室行って、処置してもらう」
「そうしよう」
 エレベーターが一階に着いた。ミチは、自分から保健室への道を歩き始めた。僕は半身ほど遅れて歩く。
 ミチは僕の大切な恋人だ。
 恋人が生きていられるように。それは恋人がいるならほとんどのひとが思うことだろう。僕は少しだけ多くその願望のためのエネルギーが必要なだけだ。
「ミチ」
「うん?」
「つらいこといっぱいあるのに、生きてくれてありがとう」
「健斗が居るから、死ねないんだよ」
「死なせないよ。早く治るといいね」
 ミチは、保健室の扉を開ける前に、僕にキスをした。
「健斗が言うなら、早く治す」
 僕がいる限り、ミチだけは死なせない。僕はもう何年も前からし続けているその決意で、こちらからもミチにキスを仕掛けた。


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