死なせない

摂食障害でも死なせない



 摂食障害への理解は浅いと言わざるを得ない。過食症のひとは食べるのが好きで自分にだらしないとか、拒食症のひとはダイエットしたい欲求が強くて自分に厳し過ぎるとか、そういうひとは一部だ。
「う……ふ、ぅぐ……っは」
 俺は食べることに喜びを感じることはあまりない。ここで、本当にそういう状態なら過食という症状が出ない、と解釈するひとが多いようなので俺はここに記さなくてはならない。どんなに食事が嫌いでも、過食をするケースはある。それを、本当は食べることが好きなのに世間体が悪いから嫌いだと言っている、と受け取るひとに、これから起こることを伝えたい。
「ぅあ……くっ……ふう」
 たとえば大して太っていない普通の外見の20代男性が、コンビニエンスストアに行って、ありったけの中華まんとフライドチキンを買い込む。そんな少し珍しい客が、摂食障害である可能性もある。俺の体型と性別と上っ面の正気のせいで、あなたがたがコンビニエンスストアの店員なら、俺が全部ひとりで食べるとは思わないだろう。
「は……はぁ……は」
 すべて食らいつくした俺が満足していると考えるひとがいるかもしれない。もっと食べたがっていると解釈するひともいるかもしれない。しかしながら実際は、急激に上昇した血糖値に意識が眩み、はっきりと覚えるのは吐き気で、その奥にあるのは死を望むほどの虚しさと自己嫌悪だ。
「ぐ……ふ、うぅ、はぁ、は、あ……」
 それをましにしようとして、吐き気と身体のだるさに耐えながら中華まんの袋を分別する。汚れのない紙包みは再生紙回収へ、下の薄紙は重ねて普通ゴミへ、同様にフライドチキンの油のついた紙も畳んで普通ゴミである。
「は……は……」
 捨て終わってやることがなくなると、いよいよクライマックスだ。俺は食べている途中にエクスタシーが訪れるタイプではない。食べ終わり、浅くしかできない呼吸で、吐き気に耐える自分を褒めることで命を護るのだ。大嫌いな自分でも、大嫌いな食事をしたことを褒めてやるのだ。
「……」
 ときどき、このように意識を失うことすらある。それを見たあなたがたは、先程と同じように、食べるのが好きだから過食をするのだと笑えるだろうか。このレイプじみた食事を繰り返すのは病気だというのは甘えだと思うのなら、あなたがたも心行くまで存分に甘えてみればいい。中華まんを8個から10個食べたころにはあなたがたにも気付いていただけるのではないか。これが自傷行為なのだということ、それはやってみないとわからないかもしれないが、やってみれば涙が出るくらいわかっていただけるはずだ。
「……ん……健斗……?」
 恋人からの携帯電話のバイブレーションで目が覚めて、どんな精神状態にあるのか、考えてみていただきたい。食って寝て幸せだとか、別に普通のことだとか、食事に誘いたがっているとか、そう思われるかたには、まだ俺の話は伝わっていない。俺は食事が大嫌いだ。大嫌いなことを成し遂げるという罰を受けた自分を褒めた。それを理解者である大好きなひとに知られたら、大好きなひとは俺の矛盾を叱るかもしれない。一線を引いてしまうかもしれない。縁を切られるかもしれない。その恐怖に直結する思考は、俺の別の持病に大きく関わるため、恐らく理解が難いと思われるので、そういうひともいるのだ、程度に覚えておいていただきたい。しかしながら、こういった思考に、時間が経ち最終的に行きつくケースは少なくないようである。
「……健斗」
 『帰ったほうがいい? どっちでも大丈夫だよ』というメッセージだった。昨夜俺の親から電話があったのを気にしてくれているのだろう。ああいうことのあとにはひとりになりたいときもあるし、寂しくなることもある。それを直球で訊いてくれるととても助かる。
「帰ってきて」
 帰ってきて。そのひとことを言える相手がいなければ、俺はとっくに死んでいるだろう。たかが食事では済まないのだ。繰り返すが、あれは自傷行為である。風呂場で静脈を切って水につけておく、というドラマの演出が一時期流行ったことがあった。実際それで死に至るかどうかは別問題だと考えるのが今や一般的であるが、自傷行為が自殺及び自殺未遂につながるということを言いたいのだ、と、汲み取ることは難しくない。
「ただいま、ミチ?」
 食べることが好きで自分にだらしない『過食症』の人間が、息ばかりの声で「おかえり、健斗」と最愛に応え、先述の恐怖と肉体的な苦しさと自責の念などが入り混じった涙を流せるのだと解釈するかたがいらしたら、俺はこの約2000文字を謝罪で締めくくろう。

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