死なせない

痛くても死なせない



 一昨日、脚を切った。きっかけは誰かに何か言われたことのような気がするけれど、なんだったかはわからなくなってしまった。
 今は健斗のアパートにいる。歩くだけでひりひりと痛む脚を庇う癖で、健斗には俺がやらかしたことがわかってしまったようだった。
 実家の救急箱にろくなものがないことを忘れていたけれど、まあいいかと直接ガーゼを貼っていた。そこだけは、健斗は嫌だったのかもしれない。痛そうだね、と言っていた。傷口も見ないくせに、鋭い、優しい。充実した救急箱を用意してくれている健斗に、申し訳なく感じるのと、感謝するばかりだ。
 今は健斗はすやすやと眠っている。朝の6時だ。昨日は夜遅くまで、愚痴に付き合わせてしまった。もう少し寝ていてもらおう。
 朝なので、ガーゼを貼り換えないといけない。いつもの刃物でないものを使ったので、思ったような傷跡にならなかった。ガーゼを剥がすと、皮膚の断面が白っぽい。防水の絆創膏がなければ、風呂などは痛みでもんどりうつだろう。正直なところ、その傷は自分でもあまり見ていたいものではない。痛みを思い出しそうなのだ。痕になってしまえば大切にできる傷なのに、不思議なものだ。
 健斗は、どう思っているのだろう。俺にこの生臭い行為をやめてほしいのだろうか。それはまあ、してほしいとは思わないだろうけれど、俺がこれをやめて、少し頑張って生きていったほうがいいと言うだろうか。
 これ以上頑張れないのだからこそ、やめることができないのだし、健斗もそこは判ってくれているはずだけれど、俺がちゃんとしたら、もしかしたら、今以上に幸せになれるのかもしれない。
 ふう、と、息をついた。大抵、切った後は気分が沈む。健斗云々ではなく、何かほかのところに、この重たい気持ちは引っ張られていくようだ。
 さてガーゼを代えよう。立ち上がりかけたところで、くい、と、引力に気付いた。健斗がベッドから身を乗り出して俺の寝間着の背中を鷲掴みにしていた。俺も、よくもまあ気付かなかったものだ。
「おはよう、ミチ」
「ああ、おはよう」
「寒いから考え事は僕の隣でして」
「ガーゼを代えたら戻るよ」
「うん、戻ってきて」
「寝ていていいよ」
「ミチが戻ったら寝る」
「いや、寝ていて、寒いんだろ」
「じゃあいかないで」
 こういうやりとりのとき、馬鹿なことをしてしまったと、いつも後悔する。
 手早く傷口を洗い、ガーゼを代えて戻ると、健斗はうつらうつらとしながらも、おかえり、と言った。


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