死なせない

就活うつでは死なせない



 どうにせよ、彼らにとっては、俺が甘えているだけに見えるんだ。実際、甘えているのだろうし、仕方がない。だって、健斗はきちんと就活をしている。縁のない企業もあるかもしれないが、ほかの企業に順当に就職するのだろう。
 就職活動は、あと一年、待たせてほしい。それだけのことを、親に言えずにいる。言わないでいるせいで、字が汚いからペン字の講座を受けろだとか、社会人になるにあたって俺の振る舞いは不適切だとか、幼いだとか、いろいろ言われる。当然なのだろう。俺に幸せになってほしいからこそ言っていることだと、よくよくわかっている。
 ただ、それを言われるたびに、ますます就職活動をしたくなくなっていくのだ。死んでしまいたい。就職していろいろな責任を負ってだめになってしまうまえに、きちんと理性的に死にたい。責任を負うのが怖いのだ。こんな考えをしているうちは、社会に出てはならないと思うし、歳不相応に幼すぎることもわかっている。だから、死ぬしかないのだ。
 脚の脈まで、何センチメートルあるだろうか。見える位置は切らないよう、健斗に言われている。死なないでほしいとも、言われている。
 どうしたらいいのかは、わかっている。就職活動をすればいいのだ。ただそれだけだ。それなのに、どうして俺はやらないのだろう。
「飯……」
 空腹感はない。でも健斗が作ってくれた食事のほかに、胃が壊れる程まで食べないと居られない。それでも食べた後は一瞬安定する。その一瞬に縋って、言われた通りにペン字をやろうかな、と、俺は食べすぎで朦朧とした頭で考えた。
 その朦朧が一瞬にして醒める。ペンケースの中に、カッターナイフを見つけてしまった。
 これを首に刺すだけで死ねる。就職活動から解放される。親から解放される。病気から解放される。自分からすらも解放される。
「ただいまー」
 俺は飛び上がった。玄関は開いていない。そうだというのに健斗の声がした。幻聴かとも思ったが、意識がはっきりすると、留守番電話の声だとわかった。
「ミチー? 起きてない? 鍵開けてー」
 閉め出されてしまったのだろう。机の上には、濃いグリーンのキーケースがあった。
 携帯電話を持って玄関に行き、ミラーを覗く。健斗がいた。
「健斗、開けたら、慰めてくれないかな」
 ミラーの中の健斗がきょとんとする。しかしすぐに、いいよ、と答えた。鍵を開ける。
「お疲れさま、ミチ」
「健斗こそ」
 健斗が施錠する。そして背を向けたまま健斗が言った。最近、泣かなくなったね。
「親が、感情をコントロールしろって言ったから。面接で、大変だからって」
「その記憶ははっきりしているかい、ミチ」
「とてもよく覚えてる」
「そっか。じゃあ、親御さんは面接でミチが泣き出すとでも思ったのかな」
「たぶんそう」
「だとしたらお門違いもいいところだよ、そんな会社に勤めたいって思うのは、お金に困って食べて行けないときの最終手段だ。今は泣いていいんだよ。それにミチは、実際面接中に泣き出すタイプではないじゃないか」
「そうかもしれない」
 健斗は少し困った顔をした。
「僕の言葉だけじゃ、泣けない、ね」
「そうかもしれない……」
 健斗が困り切って、うーん、と、うなった。俺はなんとか言葉を集め、口を開く。
「就活、したくない」
「そっか」
 健斗は笑顔だった。もっと聞かせて、と言われる。
「全部、嫌だ」
「うん」
「楽しいことが、楽しくない」
「うん」
「俺は害だ」
「うん」
「死にたい。死なないといけない」
「うん」
 ただ、相槌だけを健斗が繰り返す。それでも、真剣に聞いてくれているのはわかった。
「ミチ、就活うつって知ってる?」
「聞いたことなら」
「健康なひともね、就活すると、うつを患うことがあるんだってことだよ。病気のひとが、簡単に耐えられる世界ではない。でも耐えないといけないとミチはきっと思ってる。おまけにつらい状態がこれ以上続いていくと思うだけで、大部分のひとはひいひい言いだすのに、ミチはそれもプラスして感じてる。だったらどうすればいいか。投げ出してしまえばいいんだよ。投げ出して、生きているほうが、抱え込んで死なれるよりもずっといいことだ」
 健斗はゆっくりと話した。俺は、だんだんと健斗の顔を見られるようになっていった。そして言うことにした。
「わかった。就活する」
「え?」
 俺の言葉に、健斗は目を丸くした。
「少し元気になったから、就活する」
「うん。やっておくのは悪くはないと思うよ。何かあったらまた話して」
 健斗はにっこりと笑って、自分のパソコンをつけた。
「健斗、業界研究?」
「まさか。就活うつの治し方を調べるんだよ」


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