アリスを灼く雪の白

第五章 白刃前に交われば流矢を顧みず



 ―――アントワネット さんの発言
ちょっとwwwちょっとwww実直さんがwww明日www遅刻するってwww実直なのにwww遅刻wっうぇwww

 ―――名無し さんの発言
風邪でもひいたんじゃないんですかね

 ―――名無し さんの発言
夢ないな >風邪

 ―――アントワネット さんの発言
そうか考えもしなかったわ……初夜を迎えるから大事をとって遅刻の連絡入れたんだとばかり……

 ―――名無し さんの発言
アントワネット嬢の夢が壊れただろ! なんてことするんだよ!

 ―――アントワネット さんの発言
いいの 風邪は浪漫よ 林檎でも剥いてもらいながら、そして接吻もまぐわいもできないじれったさに焼かれながら、けれど寒い気温の中でそばにいる人の愛を感じながら、とっとと治してとっとと感謝エッチをして濃厚に楽しんだ後出勤してきなさい

 ―――名無し さんの発言
なんかアントワネット嬢キレないな

 ―――アントワネット さんの発言
ひとりで店やんの大変なんだよ! 隣のあんちゃんは彼女の話ばっかするし! 彼女の話するなら自分も性転換して百合ってろ! 清く正しいほうの濡れ濡れの秘密の花園でお互い楽しんでろ! 尻揉んで胸揉んでろ! そのあと服を脱がせて「おっきいね……」ってやってろ! そんで舐め始めろ! あっこれホモだ! 間違えた! あれっでも百合でもいい!? もうなんでもいい!?

 ―――名無し さんの発言
今来たけどアントワネット嬢べつに通常運転じゃね


 傍士が路地を迷うことなく曲がっていく。
 有栖は道を覚えながら、1歩前を歩く灼の髪の端からのぞくうなじを眺めていた。
(一回くらい、手を出しておくべきだったかな……いやいや、何考えてるんだ)
 いかにもな感じの倉庫に着くと、入口のところで眼鏡の男が有栖と灼にガンを飛ばしてきた。
「スイ、約束の『財布』と俺の弟」
「あー、らっしゃい。ボーシさん、ハナちゃんが中でって」
「わかった、お疲れ」
 水と呼ばれた眼鏡は目で会釈をし、3人を中に通した。
 中は電灯はついておらず、向かって左一面に並ぶ窓から差し込む月光だけが恨みがましいまでにさんさんと、歩く3人と待っている6人を照らしていた。
「ボーシさん!」
 ピアスはつけていないが、ピアスの穴だらけの少年が、月光の差す窓辺を走ってきた。
「カイ、これだろ、白い財布」
「そっス! あーまじイイ! 手ぇ出さなかった俺らがんばった! ね、名前なんてゆーんスか」
 灼が戸惑っていると、そして有栖が不安を抱いていると、なぜあなたのようなひとがつるんでいるのか、と問いたくなるような平凡な青年が、ノーブルな目の若い女性を連れてきた。少し間をおいて、数名、柄の悪い男たちが入ってくる。
「あーハナちゃん、ね、ちょっとお財布さんとお話でも……」
「カイくん、ちょっと落ち着こう。灼=スノーホワイトさん、今日はありがとうございます」
「シャクさんってゆーんスね!」
「カイくん、落ち着こう」
 女性の声色が一段冷える。
「ごめんなしゃ……ハナちゃん怒んないで」
 海くんと呼ばれていた男が月光のもとで顔を真っ青にして、後ろにいた男たちに隠れるように身を引いた。
「じゃあ、始めよっか」
 声の低い女性、花ちゃん、とやらがそう言うと、男たちはいっせいに無駄話をやめた。花は煙草を取り出す。平凡な青年がライターを差し出した。
 そのライターにキスするように煙草に火をつけた花は、手近な小さいコンテナを選び、腰掛けた。
 輪の中心に花、平凡な青年。少し離れて、灼、有栖、傍士。更に離れて、水や海、男たち、といった構図である。ボスはどうやら、花らしい。
「フウくん、今日何人?」
「10人です」
 平凡な青年は風と言うらしい。
「そっかぁ。じゃあひとり2万でどう? 警備代」
「いいですね」
 風はすぐに頷いたが、後ろのほうに居た男が一人、「やぁっすいっすよぉー」と不満げな声を上げた。
「ハナちゃんとフウくんはいっぱいもらってっかもしれねっすけどぉー、俺的にはちょっとー」
「んー、でもなぁ」
 花の反応に、男はあからさまな舌打ちの音を響かせて、「ハナちゃんさぁー」と、輪から一歩内側に歩み出し、花相手にすごみ始めた。
「ちょっとさぁー、ハナちゃんには俺らのことなんてわかんねーんじゃねーかなーってぇー最近ー」
「あーマジわかるぅー」
 もう一人、男が輪から抜けて内側に踏み入れる。
 傍士が小さくサインを出して、スキンヘッドの男が傍士のそばに来た。
「セキ、7人でよかったんじゃないか」
「いや、それが」
「ちょっとそこぉー、ひとが話してんのに? ふざけすぎじゃねっすかぁ?」
 便乗していた男が傍士に近づき、瞬間傍士は息を詰めた。
 腹を刺されたのだ。
「んんー、ふざけてるのはどっちかなぁ」
 パニックに陥る有栖と灼を置いてきぼりに、花は煙草を深く吸って口から離した。風が手を差し出し、花はためらいなくその風の手のひらで煙草をねじ消した。風は何事もなかったかのように火の消えた煙草を握り、受け取った。
 異常な世界だ。
 有栖は動けず、ただ花を見ていた。なんのきっかけもなかったが、数秒して、はっと現実に戻って兄を見ると、石と呼ばれたスキンヘッドが、錠剤を1つ傍士の口に押し込んでいた。
 傍士はそれを飲み下し、苦痛を訴える表情を見せながらも有栖の視線に気づいた。
「俺は大丈夫だ、シャクさんを」
 傍士が口の動きだけで有栖に伝える。灼を見ると、寄る辺もなく、ただ立ち尽くしている。驚いているのかとも思ったが、目が据わっている。冷たい冷たい目だった。有栖は、初めて灼を見たときを思い出し、そうだ、こういう目を想像していたのだ、と、回らない思考の背景で感じていた。
「シャク」
 有栖が慌てて灼に声をかける。灼は一瞬とても驚いた。びくんと体を震わせ、有栖のほうへ数歩歩いた。
 戸惑うような目になった灼の手が有栖に伸ばされたとき、花が深呼吸をした。
「灼=スノーホワイトさん、14万。わたしにください。そうすれば、ボーシさんも無事に、弟さんも無事に、カイもセイもセキもスイもフウも無事に、帰します。ほかはどうなってもいいでしょう? 14万置いて、いなくなってください」
「わかりました」
 灼の声は落ち着いていた。
 灼が催促するように有栖を見る。有栖ははっと気づき、金を出す。封筒3つ、15万円。
「花さん、15万円だとだめですか」
 有栖の手が震えてしまっており、封筒を数えるのもやっとだったのを見て、灼は花に話しかけた。
「んんー、要らないお金はケンカを生むからなぁ。その1万円でおいしいものでも食べてくださいよ。あっほら今、たこ焼き屋走ってる音しますし、ボーシさんの弟さんと仲良くお食事でもしてください。あと、早めに出ないと怖いものを見ますよ。あ、もう遅いや」
 花が立ち上がる。何だろうかと有栖が周りに気を配ると、後ろで野太い盛大な悲鳴が聞こえる。
 傍士が自分を刺したナイフを抜き、刺した男に斬りかかっていた。辺りがどちらのものともつかない血液で濡れている。
「ちょ、うあ、ハナちゃん、とめ……」
 男は情けなく花に懇願する。花は一瞥した。
「うーん、んんー、もうちょっと後悔しようか。ボーシさん、GO」
 傍士はクスリが効いてきて痛みを忘れたようだ。狂戦士のようにナイフを振り回している。
 男がひとり逃げ出した。
「もう来なくていいよぉ」
 花が見送りながら言った。
 有栖は14万なんとか数え終え、けれど喉が渇ききってしまっており何も言えず、花に差し出した。
「わぁありがとうございます、フウくん、受け取っといて」
「承知しました」
 風の手を、金を渡す際に見ると、根性焼きは繰り返されたことを物語る痕になっており、これではもう痛くもなんともないだろう。
「お邪魔しました」
 灼が平気な顔で挨拶をする。
(僕、情けない)
 有栖も慣れてきて、自分がどう見えるかを考えられる程度の余裕ができ始めていた。
 けれどその一瞬の余裕もすぐに失せた。後ろで傍士が喚き始めたのだ。有栖は思わず振り向いた。
「弟さん、早く行ってください、効いてきてるだけなので、大丈夫ですよ」
 花が傍士に歩み寄る。傍士は斬りつける対象を失って、ただ喚いていた。反抗的だった2人の男たちは既に床に転がっており、あとは花のそばに集まり、花に忠誠を誓うように煙草に火をつけ始める6人の男たちがいた。
「アリス、行こう」
 灼が有栖の腕を引く。
「ボーシさんはハナさんがいれば大丈夫だよ。僕たちが居ても迷惑だよ」
 言葉を裏付けるように、灼に引っ張られるように倉庫を後にした有栖がその日最後に見た傍士の姿は、花に力ずくでナイフを取り上げられ、けたけた笑いながら風に腹の止血をされている姿だった。
 倉庫を出て3ブロックほど移動すると、花の言っていたたこ焼き屋の車を見かけた。
「シャク、たこ焼きは食べるか?」
 灼をつれて車に近寄ると、いい香りと「らっしゃーい」というまだ30代ほどの店主の声が漂ってきた。
「ここがお店なの?」
 灼が顔を輝かせてオレンジの保温ボックスに近寄る。先程の世界を見ておきながら、したたかだ。
「よう、あからさまな未成年! こんな時間まで遊んでちゃだめだぞ! お兄さんもちゃんと連れて帰ってあげて! たこ焼きで若い子を釣るのは感心しないなーおっちゃんは!」
 有栖と灼は同じ16歳だったが、有栖はどうも年上にみられる。灼は16と言われれば16に見えるのだが、有栖ばかりは昔、マリエにも「うっそだぁお兄さん!」とからかわれたものだ。本当なんです、と言い募ったときのマリエの狐につままれたような顔は思い出すたびに面白くて申し訳がない。それ以来は有栖の年齢はギャグの領域に達しているので、結果はオーライだ。
「じゃあ、4個入りの、ください」
「はーい毎度! おーずいぶんおっきい金持ってんねー、悪いことはしないほうがいいぞ? まあいいや、またどうぞー」
 札を出すとそんなことを言われ、灼と生垣に座る。灼は爪楊枝を差し出されても意味が分からないようだったので、有栖はからりと揚がったたこ焼きをひとつ爪楊枝に刺して、灼の口元に差し出した。
「熱いから覚悟してかみつけよ」
「え、食べていいのか?」
「いいの」
 灼がこわごわとたこ焼きを頬張る。灼が咀嚼するたびにはふはふと口から湯気が溢れ、灼は「はひふ」と有栖を呼んだ。
 ようやっと飲み下すと、灼は満足そうに笑って、「おいしい」と言った。
「アリスも食べてよ」
 灼の爪楊枝がたこ焼きを突き刺し、有栖の口元に差し出される。
 有栖は男見せたるでーと言わんばかりにたこ焼きを頬張り、それを灼が楽しそうに笑いながら見ていた。
 しかしそんな時間はそれを2回繰り返しただけで終わってしまった。通りに設置されているゴミ箱に、たこ焼きの乗っていた紙の船と爪楊枝を捨て、帰途につく。道はなんとか覚えていた。
 灼が口を開いた。
「足、治るまでって約束だったから、明日、帰ろうと思う」
「そうか」
 今度こそ有栖は、「今までありがとうな」と笑った。
 この表情を見たら、ひとは笑みというものがすべて幸せだとは言い切れないだろう。


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