アリスを灼く雪の白

第八章 青天白日



 灼が珍しく早起きをして支度をしており、起こしに行った輝夜を驚かせた。
「おはようございます、シャク様」
「ああ、おはよう、カグヤ。今日はネネがリンゴを選びに連れて行ってくれるんだ」
「それでおめかしをなさっているのですね」
「うん。ねえ、カグヤ、アリスの件はどう?」
「昨日はアリス様の身辺をお調べしておりました。本日、アリス様にご連絡をする予定でございます。お約束をできるだけ早くお取りいたしますので、そのあとに存分に楽しまれてください」
「ありがとう」
「いいえ。3日も連絡すら取らせず申し訳ありませんでした。今日で都合をなんとしてでもお付けします。大変お待たせいたしました」
「んーん、いつもカグヤは僕に悪いようにはしないじゃないか。助かっているよ」
「ありがたいお言葉でございます。お食事の用意ができましたので、お呼びに参りました。お召し物選びが一段落しましたら、おいでくださいませ」
「うん、いま行く」
 灼は終始嬉しそうに食事をとり、服を着替えて、あっという間に支度を整えて熱音の車に乗り込んだ。朝焼けがまぶしい。
「ネネ、ネネの選ぶリンゴはいつもおいしいけれど、どこで手に入れているの」
「今日はその店にしましょうか」
「うん」
 灼はにこにこしながら外を眺めている。
「車を置けない店ですので、少々歩きますが」
「いいよ。僕も少し運動をしないと」
 熱音がスムーズに車を駐車場に停めた。
 灼は車から降りると、冬の空気を肺いっぱいに吸い込む。すっきりとした。
「参りましょうか」
「うん」
 熱音の少し後ろを灼がついていく。
 静かだった景色は、時間のせいか土地柄のせいか、だんだんと活気づいてくる。商店街に入ったようだ。
「そちら、右手の八百屋でございます。リンゴは奥のほうに」
「行ってもいいのかな」
「ええ」
 灼は待ちきれないと言わんばかりに八百屋の屋根の下に駆け込んだ。
「いらっしゃいませー!」
 若い娘が元気よく灼に声をかけた。灼は優雅に会釈してみせる。そして満面の笑みを浮かべた。
「ネネ、覚えているよ。ここのリンゴはおいしかったね」
「ええ」
 娘がこれ以上ないほど嬉しそうに、声を押し殺した歓声を上げた。
「ありがとうございます! お久しぶりです」
「そうですね、久しぶりなので、お名前が。マリエさん、でしたか」
 灼が記憶を手繰ると、娘は両手で口を押さえて喜んだ。
「覚えていてくださったんですね! どうしましょう、なにかサービスできることがあればいいのですけど」
「では、おいしいリンゴをいただきたいです」
「わかりました! 食べごろに熟れているものをお選びしま……」
 そこで大きな音がして、マリエは驚いて息を詰めた。灼と熱音も、音のしたほうを見る。
 誰かが魚屋の氷の入ったバケツを思い切り蹴飛ばしたようだ。飛び散る氷に足をとられそうになりながら、魚屋に「ごめんなさい!」と大声で謝って、大慌てもいいところの慌てっぷりで商店街の人波をかき分け、走っている男がいる。
(あれ……?)
 灼はその男に声をかけようとした。けれど、耳になじむ声が「お待ちください」と響いたので、驚いてしまった。
「カグヤ……?」
 灼が呟くと、熱音が一歩早く動いた。八百屋から飛び出し、男に立ちふさがる。
 輝夜と熱音に板挟みになった男が物騒な顔をする頃に、ようやっと灼は声を出せた。
「ボーシさん!」
 ハイヒールで躓かないくらいの速さで灼も走り、灼を見とめた男が目を丸くした。
「シャクさん! シャクさん、どうしよう、俺ももう捕まるのかな、どうしよう」
「ボーシさん、僕の身内です。捕まえたりしません」
「だって追いかけてきた」
「少し待ってください」
 灼は傍士が逃げ出さないように傍士の両手を握ったまま、輝夜に声をかけた。
「カグヤ、どうしたの」
「シャク様、そのかたはアリス様のお兄様と伺ったので、少々お話をと思い、声をおかけしたのです」
 傍士は怖々というふうに輝夜を見た。そして灼を見た。
「捕まえないの……? アリスの話? どうして俺に?」
 輝夜が上がりかけていた息を整えながら、口を開いた。
「アリス様のお兄様が、アリス様がシャク様とお話をなさることがお嫌でしたら、できるだけお嫌でない方法でお約束を取り付けなければならないと思いましたもので」
 傍士は警戒をとかないものの、逃げ出そうと曲げていた膝を伸ばしてまっすぐに立った。
「嫌じゃありませんよ。シャクさん、よかった、俺が追い返したようなものだから、心配してた。アリスもきっと、また会えたら喜ぶと思う」
「アリスさんのお知り合いですか……?」
 マリエが小さな声で呟いた。
「アリスをご存知ですか?」
 灼がぱっと顔を輝かせてマリエを見る。
「ええと、あと20分ほどで、出勤してくるはずです。あれ、そうですよね、うちに勤めているアリスさんのことですよね」
「然様でございます」
 輝夜がマリエに深くお辞儀をした。
「お騒がせいたしました。もう少し丁寧なごあいさつに伺いたかったのですが、お許しください。アリス様と、少々お話をさせていただけませんか」
「わたしは、なにも、いいんですけど。じゃあ、アリスさんが来たら、連絡しましょうか」
「いえ、ご迷惑でなければ、わたくしに待たせてください」
 灼が輝夜を見る。
「シャク様、申し訳ありませんが、もう少々お待ちください。わたくしから、きちんとアリス様にご挨拶をいたしますので、ネネと一緒に、少し離れてお待ちいただけますと」
「うん、わかった」
 灼が傍士の手を離すと、傍士は魚屋に入っていった。奥の店主に謝っている。店主も状況が分からず、別にいい、と手を横に振った。
 熱音が八百屋に入り直し、リンゴを2つマリエに注文する。マリエは一瞬とても慌てたが、熱音がゆっくりと微笑みながら話すので次第に落ち着きを取り戻し、結局にっこり笑って、「ありがとうございます!」と元気に言って赤々としたリンゴを選んでくれた。
「では、参りましょう、シャク様」
 熱音がリンゴを受け取って言う。
「うん。カグヤ、お願いね。じゃあネネ、行こう。マリエさん、ありがとうございます」
「いいえ! どうぞまたお越しください! ありがとうございます!」


 ―――アントワネット さんの発言
どうしようwwwどうしようwww林檎ホモっぷるがwww林檎がwwwファーwww売れたwww

 ―――名無し さんの発言
商売繁盛よかったじゃんアントワネット嬢

 ―――名無し さんの発言
名無しさん貴女そんなことを聞きたくてこのチャットにいるの?

 ―――アントワネット さんの発言
いいの いいの 売れたの いいの あのね 前に言ってた林檎ホモっぷるがね うちの実直さんと話したいんだって どうやら受けの子がうちの実直さんに会いたいらしい 修羅場ね 修羅場よ

 ―――名無し さんの発言
えっと、どこから妄想?

 ―――アントワネット さんの発言
修羅場だけ妄想 会いたいまで本当

 ―――名無し さんの発言
会いたいって言ったの?

 ―――アントワネット さんの発言
確か言ってた なんかね 立派っぽいお付きの人が、実直さんにお話を通して、林檎受けと会う手筈を整えたいみたいなのね あー働いててよかったなあwwwww

 ―――名無し さんの発言
つるっと言われたけど林檎受けで通じる辺りが面白い

 ―――アントワネット さんの発言
もうね ネタとか何も仕込めない ほんと 読んでてつまんないと思うけどアントワネットさんはいっぱいいっぱいでね 幸せになれ! アントワネットさんは生林檎派だけど! この際!

 ―――名無し さんの発言
この際?

 ―――アントワネット さんの発言
ヨーグルトぶっかけても許す!

 ―――名無し さんの発言
最低wwwwwwwww

 ―――名無し さんの発言
ヨーグルトぶっかけたら苦いの? 甘いの?

 ―――アントワネット さんの発言
恋なんて苦くて甘いものよ だめだ今日のアントワネットさんつまんないから退席する もうちょっと面白いこと言いたいのに、感慨深くて言えない 言えない アントワネットじゃ言えない ぽいぽいぽいぽぽいぽいぽ

 ―――名無し さんの発言
ピー(自主規制)

 ―――名無し さんの発言
待って待って、実直さん何かやらかしたんじゃない? 立派っぽいひとって言うのが私の中で黒スーツにサングラスのマッチョなんだけど 林檎ホモっぷるの受けに手を出して、とっちめようっていうのじゃないの? 違うといいんだけど 違うといいんだけど!(期待)

 ―――アントワネット さんの発言
ハッ その手が…… 黒スーツでもサングラスでもマッチョでもないけどちょっと実直さんが心配になってきた そうよねそう都合よく三角関係が生まれたりしないわよね どうなんだろう もしアントワネットさんが無事に生きてたら事の顛末を書きに来ます とりあえず退席するね

 ―――名無し さんの発言
いてら! どうか幸せに!


 灼と熱音はリュークがシェフをしているレストランで輝夜を待っている。ホテルの中のレストランなので、リュークは朝食を作るのに忙しい時間だ。熱音がナイフと皿だけを借りて、隅のほうの目立たない席で灼にリンゴを剥いてやった。
 灼がリンゴを5切れ頬張ったところで、輝夜がレストランに入ってくる。灼は思わずフォークを置いて、立ち上がった。
「どうか落ち着かれてください」
 熱音が灼に静かな声をかけると、灼はひとこと謝って、席につき直した。
 輝夜が一礼して灼の前まで来る。
「シャク様、アリス様のところへ行かれてください。ただし、お手数をおかけしますが、リョウ様には外泊だと申し上げておきますので、週に2回程度、熱音かわたくしまで連絡をいただけますか。ほかは、ご自由になさってください。楽しまれてくださいね。そして」
 輝夜は走り寄ってくる足音に話をやめた。
 エプロンのままのリュークが息を切らしていた。
「シャクさん、お許しください、少々お話が耳に入ってしまいました、いなくなってしまわれるのかと思うと居ても立ってもいられずに……」
 リュークは灼に早口で訴えかけ、言葉が切れると輝夜に目を向けた。
「カグヤさん、でしたよね。少しだけ、本当に少しだけ、お時間をいただけませんか? シャクさんはどなたかと恋をなさってしまったのですか? その方と一緒で構いませんので、どうか」
 輝夜は何も言わずに灼を見ることで、リュークの目線を灼に誘導した。自分に決定権がないことを雄弁な沈黙で語る。
「わかりました、ただ、リューク様、僕は恋は存じ上げません。一緒にいたい人がいるだけなんです」
 灼は迷い迷いに、けれどしっかりとそう伝えた。
「構いません、どのような方なのですか」
 灼は少し考えた。
「ひとのことを考えてばかりの、一般市民のシェフです」
 リュークはよくわからない顔をした。灼も自分で言っていてよくわからなかった。
「はあ、では、お待ちしておりますので。約束をしましょう、僕の別荘に、今晩、いらしてください。場所は、ご存知ですよね」
「ええ」
「では。約束ですよ」
 リュークの長話にしびれを切らしたボーイがリュークを引っ張っていく。ホテルの朝食もピークの時間だ、シェフがいないのでは困るのだろう。


 ―――アントワネット さんの発言
>実直さんが林檎受けとお泊り<

 ―――名無し さんの発言
お泊り! お泊り! よかったアントワネット嬢も実直さんも生きてた

 ―――アントワネット さんの発言
よかった! サングラス黒スーツマッチョじゃないだけあった! そしてアントワネットさんまじイケメンだったからちょっと聞いてよ

 ―――アントワネット さんの発言
 林檎が突然実直の職場に駆け込み、実直のところまで走り寄った。実直は仕事中だったが、林檎の姿を見るなり手が止まり、それは彼の思慕の深さを物語っていた。
「実直、急にごめん、一緒に来てほしい」
「え? でも、僕は仕事が」
 言葉に反してそのとき実直の心は沸きに沸いていた。ずっと心待ちにしていた言葉だった。一緒に逃げよう、と、いつか交わした約束が今更になって襲ってくるとは。仕事などどうだってよかった。ただ、林檎の気を引きたかった。
「行ってらっしゃい、実直さん」
 店主の女がそう言った。
「わたし、こう見えて、お二人を応援しているんです。実直さんのことはお客様にはうまくお伝えしておきます。わたしにできることがありましたら、何でも教えてくださいね」
 実直の目に映る女は、物静かに、けれど頼りがいのある笑みで実直を後押しする。
「今日入荷した林檎、お持ちください。大特価でご提供しますので」
「買わせるんですね」
 女のユーモアに実直は苦笑を漏らす。
「では、少し留守にします」
 実直のその目は既にその世界を見ていなかった。ただただ、林檎とのめくるめく愛のストーリーを追いかけていた。

 ―――アントワネット さんの発言
みたいな!

 ―――名無し さんの発言
女って? 新キャラ?

 ―――名無し さんの発言
女か、既出キャラにはいないんだから新キャラだろ。どんな女なのか見当もつかないな、でもどうせモブ

 ―――アントワネット さんの発言
えっえっ


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