アリスを灼く雪の白

第十一章 隣の白飯より内の粟飯




 ―――アントワネット さんの発言
いま退勤したんだけど、ちょっと実直さんそっくりのひとが、林檎さんそっくりのひとをバイクの後ろに乗っけて走ってた気がしたんだよね。顔見えないけど体格差がね。明日、出勤してくるの? 1日お外でお楽しみ? もしかしてだけど? もしかしてだけど? バイクじゃなくて実直さんにまたがってきたんじゃないの?

 ―――名無し さんの発言
もしかしてだけど? もしかしてだけど? 運転してる実直さんの腰に回された林檎さんの手が実直さんのエンジンをいじってるんじゃないの?
 もしかしてだけど? もしかしてだけど? バイクの振動で中に入れたローターが震えるたびに実直さんにだけ聞こえる喘ぎ声のクラクションが漏れちゃってるんじゃないの?
 もしかしてだけど? もしかしてだけど? それってそういうプレイなんじゃないの?
 そういうことだろー♪

 ―――アントワネット さんの発言
韻もうちょっとがんばれば名無しさん最高だった

 ―――アントワネット さんの発言
アントワネットさんが言えたことじゃなかったごめん、名無しさん最高 もしかしてだけどこれって俺たちを煽ってるんじゃないの?

 ―――名無し さんの発言
ホモを見に来たはずが漫才を見ていた

 ―――アントワネット さんの発言
待って、連絡来た、明日も休むんだってwwwwwwお盛んですことwwwwwwもっとやれwwwwどんどんやれwwww実直さんまじ実直、風邪とか事故とか言わずに素直に休みくださいって言うあたり、男だったら惚れてた

 ―――アントワネット さんの発言
えっえっなんでみんな黙るの アントワネットさん女だよ 男じゃないよ もし男だったら惚れてるって話だよ

 ―――名無し さんの発言
人数2ケタいるのに5分経っても敢えて誰も突っ込まないこの空気が好き


 その夜は、灼と有栖は同じベッドで寝た。灼のほうから一緒に寝たいと言った。灼をベッドの壁側で、有栖がベッドの隅で寝た。夜に有栖は一度目を覚ました。背中にひんやりとした感覚があって、灼がくっついているのだとわかった。けれど有栖に興奮はなかった。灼は泣いていた。
 黙っていようか、声をかけようか悩んだ。結局、声をかけた。
「シャク」
 灼はびっくりしたように「ごめんなさい」と呟いた。
「なにも謝らなくていい。なにかつらいのか」
 灼は辞書をめくるように言葉を探した。
「……痛くて」
 体のことか心のことか、探ることはできなかった。
「痛いか」
 有栖はただ繰り返した。
「アリスは痛くないか?」
「痛いよ」
 痛い。灼が泣くと、有栖は気管支が痛かった。
「そう。痛いのか」
 灼は少し笑った。
「なんだか、ずきずきする。アリス、今日のリューク様がしたこと、アリスがしてくれたら、痛くなくなる気がする。ねえ、アリス、どうしてこんなに痛いんだろう」
 有栖は少し考えた。
「痛いな。僕も痛い。僕もシャクにそういうことをしたら、少しは痛くなくなる気がする。だけど、そうするときっとシャクはもっと痛くなる。シャク、もう少し落ち着いた時に、そういうことをしよう。今日は眠ろう」
「眠れない」
 駄々をこねるのを恥じるように、小さな声だ。
「じゃあ、起きていよう。どこかへ行こうか」
「行きたい」
「どこがいい?」
「この前の倉庫に行ったら、ボーシさんとか、ハナさんとかはいるのかな」
「そうだな、いま訊いてみる」
 有栖は電気はつけず手探りで携帯電話を取り、傍士にメールを打つ。
 打っていると、有栖の家の鍵が静かに開いた。
 灼が緊張して有栖の寝間着の背を握りしめた。
「シャク、大丈夫、兄さんだよ」
 有栖が声を出すと、傍士が「起きてたのか」と笑った。
「アリス、シャクさん、バイクを取りに来たんだ。すぐに帰るから、二人はよく眠って」
「ボーシさん、僕が今からついていったらご迷惑ですか?」
 灼が体を起こして傍士に訊ねた。
「うん? いいけど。アリス、お前も来るか?」
「行く」
「というか、アリス、ここにみんなで来てもいいならここに来る。なにか料理してくれないか」
「来てもいいけど、食材がないよ」
「何か買ってくる。ハナちゃんが費用は出すだろう。今日は儲かった」
「じゃあ、何か適当に。鍋か何かにしよう」
「わかった、じゃあ買って来る。邪魔して悪いな」
「いや、シャクも僕も眠れなくて困っていたんだ」
「助かるよ。じゃあまた」
 傍士は靴も脱がないままだったので、ただ外に出て鍵を閉めた。
 有栖はふと気づき、灼に訊ねる。
「スノーホワイトの家に帰らなくて、いいのか? いつ帰るんだ?」
「アリスのおうちに泊めてもらう話をしたから、大丈夫だと思う。週に2回連絡を入れれば自由にしていいらしい。アリスの邪魔にならない限り、居たい」
「……わかった」
 有栖は満たされるような思いがした。きちんと手順を踏めば、灼は自分をその対象として認めてくれるかもしれない。かつてあれほど願ったことが叶おうとしている。気を引き締めるように1秒きつく目を閉じた。そして灼にならって体を起こす。
「じゃあ着替えようか。また僕の服でいいのか」
「うん。アリスの服は新鮮で面白い」
 有栖は電気をつけてベッドから立ち上がった。有栖の貸したサイズの合わない寝間着をまとう灼の乱れた襟元に自分のつけたものでないうっ血が覗いていて、目をそらしながら自分の服を箪笥から探す。
 そしてふと思い立って、灼を呼んだ。
「どう組み合わせたらいいと思う?」
「コーディネート?」
「そうそれ」
 灼もベッドから立ち上がった。涙はすっかり引いているが、目元が蛍光灯の下で薄く赤く染まっている。けれど、楽しむような笑みを浮かべている。
「アリスはいろいろな服を持っているから、とても楽しい」
 箪笥を覗き込んで、灼はそう言って笑った。
「単に安いのを買うから」
「服は値段じゃないよ。うーん、そうだなあ」
 二人で笑いを溢れさせながら服を選んだ。もうお互いに痛くはなくなっていた。
 普通の服がなんとなく格好よく感じられるコーディネートに着替え終わると、太陽が昇り始めたので電気を消してカーテンを開けた。
 灼と有栖はベッドに隣同士に腰掛け、朝焼けを眺めた。
「……アリス、お仕事は?」
「今日は休み」
「そうなんだ」
 沈黙があった。居心地のいい静けさだった。
 しばらく待っていると、静かなバイクが6台、駐輪場に向かっていくのが見えた。
「よし、じゃあ、シャク、鍋だ」
「なにをする鍋?」
 灼がきょとんとしている。
「……煮込み料理?」
「ああ」
 『鍋』がわかりにくかったらしい。
 ドアがノックされる。
「ちゃー……」
 ピアスの穴だらけの少年、海が至極控えめな声で、身をかがめながらドアを開けた。鍵は傍士が開けたようだ。
「弟さん、これ、食材ス。どーも、お財布さん」
「おはようございます」
 灼が微笑むと、海は顔を真っ赤にしてぶんぶんと左手を振り、右手で有栖に食材を手渡した。
「あの、少人数ずつお世話になろう、って話なんスよ。あんまり騒いで弟さんが居にくくなってもアレなんで。みんなは外で煙草吸ってるんで、俺からでいいスか」
「わかりました、すぐ作ります。……カイさん、よかったら灼と話していてください」
「えっ」
 海は一瞬大きな声を出しかけたが、両手で口を押さえて堪えた。朝早いアパートへの配慮だろう。
「話しましょう」
 灼がテーブルに座ると、海はしどろもどろになりながら向かいに座った。
 有栖はそれを見ると、食材を台所に広げた。茄子、チーズ、鶏肉、ウインナー、ジャガイモ、トマト、ピーマン。脈絡がないが、有栖はその食材を鍋にする技術があった。技術と言っても、単に平たく切って鍋の中でミルフィーユにするだけだ。
 その間、海は灼の前でもじもじしていた。
「僕のこと、よかったらシャクと呼んでください。『お財布さん』は寂しいです」
「えっえっ、あの、いーんスか……? なんか、こう、馴れ馴れしいかなとか、えっと。あの、その、じゃあ、シャク、さん……」
 海は下を向いて耳まで真っ赤にした。
「僕も、カイさんと呼んでもいいでしょうか」
「あっ、どうぞどうぞ! あっいけね大声、ごめんなしゃ……はい、カイです。覚えててくれたんスね」
「もちろんです。たくさんお世話になりました」
「そんな、そんな……」
 有栖はもう少しこの和やかなやりとりを見ていたかったが、できてしまったものは仕方がない。ミルフィーユをひとりぶん皿によそって、海の前にことりと置いた。
「わっ、なにこれ美味そう! あっまた声……」
「召し上がってください」
「あっじゃあお言葉に甘えさせっさささせていただいて……」
 言葉につっかえた海はスプーンをグーのこぶしで握り、ふう、と息を吐きかけて口に入れた。
 そしてすぐ泣き出した。
「うめえ、美味いっス、俺ジャンクフード至上でしたけど……人間らしい味がする……」
 灼はその言葉に温かいものを感じ、目を伏せて幸せそうに笑んだ。
「料理は、人間しか、しませんしね」
「うん、マジで、うめえ。また、また、弟さん、また作ってください! 早死にしないようにするんで。これのために生きるんで。オナシャス」
「僕もお金をためておくので、また食べましょう」
 有栖の返しに、海は涙に濡れた目を大きく見開いて、小さな声で、満足そうに「はい」と微笑んだ。
「じゃあ、代わりますね。シャクさん、弟さん、ありがとうございました。また来させてください。じゃあまた」
「ええ、また」
 灼の優雅なお辞儀に、海は気恥ずかしそうにぺこんと頭を下げてドアから出た。
「カイさん、シャクのことが好きなんだろうな」
「好きだとああなるのか?」
 そこでドアがノックされ、花と風が見えた。
「シャク、食べ終わったら、『好き』の話をしよう」
「うん」
 花がにっこりと笑って、「二人でも大丈夫ですか?」と有栖に訊ねた。
「はい。もうできているので、テーブルで待っていてください」
 花と風が灼の向かいに身を寄せて二人で座る。
「フウくん、みんな何を買ってたの?」
「ハナちゃんは茄子、僕はピーマン、スイくんはトマト、セキくんはジャガイモ、ボーシさんがウインナー、セイくんが鶏、カイくんがチーズです」
「ふうん。脈絡ないなあ、弟さん困ってないかしら。フウくんはわたしに合わせてくれたんだね」
「いえ、単に食べたかっただけです」
「まあわたしも茄子なんて本当に久しぶりだなあ。あ、灼=スノーホワイトさん、お邪魔してますー。弟さんとはどうですか?」
 唐突に話を振られ、灼は少し戸惑ったが、「仲良くしていただいています」と返した。
「ふうん。よかったです。フウくんもさあ、もっとわたしと仲良くしよう? ゆくゆくは一緒のベッドで寝たりしよう? ちゃんと病気とか気を付けるからフウくんも気を付けて? まあいいんだよ、フウくんはわたしが言わなくてもそうだしね」
「そうですね」
 短い返事だったが、決してそっけなくはない。癖なのだろう、と、すぐにわかる。
 有栖は海の皿を洗い終え、もう1枚皿を出して花と風の前に差し出した。
「わあおいしそう! いただきます」
「いただきます。弟さん、ありがとうございます」
 スプーンを綺麗な鉛筆持ちにした花が、湯気を立てるピーマンをすくい、有栖に礼を言っていた風の口の前に差し出した。
「フウくん、あーん」
 風は無抵抗に口を開け、「おいしいです」と平凡な感想を言った。
「じゃあわたしも。フウくん、頂戴」
 風は茄子をすくって花の口に入れた。「おいしいね」と花が笑うと、風は平凡な顔にこの上なく幸せを描いて「おいしいです」と繰り返した。
 そうやって食べ終えた食器は風が丁寧に台所の有栖に持って行った。その間に、テーブルで花は灼に話しかけた。
「『好き』の話、するんですか?」
「ああ、はい。僕には、よくわからないので」
「ふうん。んんー、わたしはフウくんが好きだし、フウくんもわたしを好きだけど、わたしたちのはちょっと変だからなあ。いっぱい弟さんと『好き』の話をしたら、わかると思いますよー。じゃあ、失礼しますね」
 花は言い残し、すっと席を立った。入れ替わりに、水が入ってくる。眼鏡の少年だ。
「弟さん、あの八百屋を手伝ってるって本当ですか?」
 ガンを飛ばす癖があるようだ。「そうです」と有栖が返すと、一気に目が柔らかくなる。
「俺、八百屋の女の子に惚れちゃったんです。今度あの子の連絡先教えてください。お願いします。トマト、こんなにいっぱい、笑顔で詰めてくれて。朝早いのに。ほんと。ほんと」
「ああ、じゃあ、今度教えていいか訊いてみます。僕ととりあえず連絡先を交換しましょう」
「はい! はい!」
 小さな声で、しかし力強く水は頷いた。
(いろんな『好き』があるんだなあ)
 テーブルからそれを見ていた灼は、面白いなあ、と思いながらずっと正座をしていた。
 水がテーブルにつき、ミルフィーユを頬張るのを見ながら、灼はそっと問いかけた。
「スイさん、ひとを好きになると、ひとはどうなるんですか」
 水はむせ返った。
「え、え、俺に訊いてますか?」
「ええ、スイさんに」
「えっ、そうですねえ……うーん」
 水は考えながら3口スプーンを動かして、不意に灼をまっすぐ見た。
「自分勝手になります。勝手に、あなたのために生きたいとか、一緒に居たいとか、セックスがしたいとか、本当に勝手になります。でも、いけないことじゃないと思います」
 真面目な目線は長く持たず、食べ終わってしまった器に、もっと食べたいというようにガンを飛ばし、「ごちそうさまです」と残して皿を返して玄関を出た。
 次に入ってきたのは石だった。「ども」と短く挨拶をして、のしのしとスキンヘッドを揺らしながらテーブルについた。
「美味いと聞いてる。お世話になります」
 正面の灼に軽く頭を下げた。
「お財布さんを拾って金はまだしも美味い飯までいただけるなら何回でも拾おう、って外で盛り上がってんです。この件はありがとうございます」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
 石は運ばれたミルフィーユに小さく口笛を鳴らした。
「俺の芋が……オシャンティなことに……」
 両手を合わせて拝み、スプーンを動かして、目を閉じて頷いた。
「美味い」
 灼はタイミングを見て、再度訊いてみた。
「セキさん、ひとを好きになると、どうなりますか?」
「発情しますね」
 スプーンを動かす手を一切止めずに、石は一言で返した。
「発情、ですか」
「食いたくて仕方なくなっちまうんですよ。年中腹減ってるようなもんです。でも、悪いもんじゃあねーですよ」
 一気に食べ終わった石はふうと息を吐き、灼に目線を投げた。
「お財布さんは? 誰か好きになっちまったんですか?」
「それが、わからないのです」
 石は少し考えた。
「変にかぶれてるより、いいと思います。好きって言うのは日本語っス、世界では、好きだけじゃなく、ラブとか、エメとか、いろんな言葉があるみてーです。言葉がいろいろあるなら、いろんな『好き』があるんじゃねーですかね」
 灼の返事を待たずに、石は「ごっそさんです」と低い声で言って、席を立った。スキンヘッドが紅潮していた。
 最後に、傍士と星が入ってきた。
「やあやあ、ごめんねアリス。みんなおいしいって言ってる。急なのに、おまえはすごいな」
「お邪魔しまーす」
 星は歳が他よりも上な感じがする。しかしながら髪にはメッシュが入っており、それほど老けた感じはしない。
「兄さん、ずいぶん上品なチョイスだな」
「みんなあれからいっぱい食べたから、今度はちゃんとした料理を食べたいんだよ、手料理」
 傍士と有栖が台所で世間話を始めると、星が灼の向かいに腰掛けた。
「恋愛相談所になってるみたいスね」
 ぼそりとそう言われ、今度は灼が赤くなった。これではまるで、自分が有栖を好きだと公言しているようなものではないか。
 しかしながらそこでよくわからなくなった。なぜ、それだけのことがそんなに問題に思えるのだろう。好きなものくらい自由に好きだと言いたいというのに、恋愛と言われてしまうとむずむずする。
「幸せになってください。俺とか、ボーシさんとかは、もう誰も幸せにしてやれねえので。アリスさん、カタギですし、シャクさん、由緒正しいですし、いいと思いますよ」
 灼は小さく目礼して、言う。
「好きだと、幸せになるんですか?」
「そうですねえ、好きじゃないよりはずーっと幸せだと思いますよ。俺ね、昔、男の子好きになったんスよ。その子はノンケで、俺だってホモじゃなかった。でも、好きだったんスよね。死んじゃったんスけど、まだ好きなんスね、驚いたことに」
 灼には暗号に近い言葉だったが、星の目線がとても穏やかなものだったので、だいたいの話を掴んで「そうだったんですね」と返した。
「セイくん、食べよう。俺達が最後だ」
 傍士がテーブルまで来て、星を催促した。二人分の皿を持っている。
 傍士も席についた。
「あの、ボーシさんピーマン食べません? 俺、得意じゃなくて」
「食ってみろ、ひとくち」
 星は渋々ピーマンを口に入れた。直後、とても驚いた。
「甘い……苦くない! ピーマンが苦くない!」
「セイくん、声小さく」
「あ、すんませ」
 傍士と星は黙々とミルフィーユを食べ、ほぼ同時にスプーンを置いて幸せなため息を吐いた。
「マジ美味かった。ボーシさんいい弟さんお持ちで」
「だろ? 自慢の弟だよ。ほら、帰るぞ、カイくんが無駄にスクワット始めたから目立ってる」
「なんだってまあ目立つ奴だな……悪い子じゃねえんだけどな。じゃあ、お邪魔しましたー」
 そうやって不良たちは帰っていった。有栖と灼は鍋から直接ミルフィーユをつつく。
 『好き』の話を切り出そうとしたら、有栖の携帯電話が鳴った。警察だった。


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