アリスを灼く雪の白

第十四章 白刃踏むべし




 ―――アントワネット さんの発言
もうこの際身バレしていい! この前の服屋がアントワネットさんの店の制服を作ってくれるんだって! 明日届くんだって! もうなんかね、企画書を見たのね、ぜんぶ可愛くって、こんな可愛いのを実直さんが着るんだと思うとドキドキで壊れそう

 ―――名無し さんの発言
……うん? アントワネットさんがスイーツ()になった話じゃないの? 違うの?

 ―――アントワネット さんの発言
違うよお 今ね、実直さんと林檎さんがアントワネットさんのお店で働くことになって、もうイチャイチャイチャイチャしててくれるならアントワネットさん人件費くらい出すよって話! そんで、林檎さんのご実家がぐうかわな制服作ってくれるから林檎さんに惚れるお客さんも多いだろうって話! そんで、ローターかなんか仕込んでプレイしながらお店やってくれても全然問題ないよって話! はい今北ひと向け産業!

 ―――名無し さんの発言
ずっと前からいるけど若干意味わかんないですね

 ―――アントワネット さんの発言
ホモっぷるが制服で働いてくれるから鼻血出そうって話! 一行で済んだ!

 ―――名無し さんの発言
どんな制服なんwwwww

 ―――アントワネット さんの発言
パッと見は普通の制服なんだけど、ちょっとひらひらしてたり、ボタンがカッコ良かったり、やっぱりいいとこの服は違うなって感じ! アントワネットさんも若干意味わかんないですねかわいすぎて 林檎さんが接客してると実直さんが割って入って嫉妬するんでしょう? そのあとお仕置きタイムが来るんでしょう? エロ同人みたいに!

 ―――名無し さんの発言
アントワネットさんが服に感動してるのかホモに感動してるのかわからんwwww

 ―――アントワネット さんの発言
ばっきゃろーホモに決まってんでしょう ホモが! ひらひらの! 制服を着る! それが素晴らしいの!

 ―――名無し さんの発言
……あれ? 誰もいない?

 ―――名無し さんの発言
いるよー(・ω・)ノ

 ―――名無し さんの発言
アントワネットさん黙っちゃったね

 ―――名無し さんの発言
落ちようかな

 ―――アントワネット さんの発言
待って!! いる!! いるよ!! アントワネットさん居る!! あのね!! うちの果物でこの前のフランスの料理屋が料理作りたいんだって!! 今電話食らってる!! 日本語うまい!! たまーに外人になるけど!! なんなのストーカーなの?! 林檎さんが好きなの?!

 ―――アントワネット さんの発言
あっ電話で言っちゃった! 林檎さんが好きなんですかって訊いちゃった! 話しながらチャットするとこれだから!!

 ―――名無し さんの発言
ちょwww

 ―――名無し さんの発言
敢えて言おう GJ

 ―――アントワネット さんの発言
好きなんだって!!!!!!!!!!

 ―――名無し さんの発言
え?

 ―――アントワネット さんの発言
林檎さんのこと好きなんだって!!!

 ―――名無し さんの発言
こマ?

 ―――アントワネット さんの発言
マ!!!! ちょっと落ちる、お仕事する どんな果物がいいか真面目にやんないと こんなおいしい仕事ポシャれない

 ―――名無し さんの発言
いてらー

 ―――名無し さんの発言
てら! あーホモっていいなー


 灼が制服に袖を通すと、とても品がよくなった。
 マリエがそうすると、妖精のようになった。
 そして有栖がそうすると、頼りがいがありそうになった。
 そうして、初めて『働く』ということをする灼に、有栖とマリエで少しずつ仕事を教える。店が繁盛しているため、ときどきしか灼には構えないが、30分もすると灼は要領を掴んで、計量や袋詰めなどはできるようになった。
「おにーさん、新人さん?」
「ちょっとおじさん知らないの? スノーホワイトよ! スノーホワイト!」
 おじさんとおばさんがそんなことを大声で話すのにも、灼は笑って「ありがとうございます、重いのでお気をつけてお持ちくださいませ」と、みかんや白菜を売っていた。
 店いっぱいまで仕入れた野菜や果物たちは、それでも16時には売り切れ、灼は忙しさに少し汗をかいていた。
「じゃあ、お疲れ様です、あがっていいですよ、アリスさん、シャクさん」
「お疲れ様です」
「お疲れ様です」
 有栖にならって頭を下げた灼は、目の端に兄を捉えた。黒いセーターにジーンズというラフな格好のため目立たないが、上品さは確かにスノーホワイトのそれであった。
「シャク、終わったら少し来い」
 声は聞こえなかったが、涼は口の動きでそう伝えた。
 帰ろうとする有栖にその旨を伝え、灼は兄の消えた雑踏をかき分けて大通りに出た。涼がリュークのホテルの前で野良猫と話をしていた。
「兄さん」
 灼が声をかけると猫は逃げて行った。涼が立ち上がる。
「シャク、うまくやれてるか」
「楽しくやってる。みんな優しい」
「そうか。それだけか?」
「え?」
 涼は意地悪を言うときの顔ではなかった。灼を心配する顔をしていた。
「もっと裕福な暮らしをしたいとか、出世したい、名を残したいとか、そういうのはないのか?」
「ない。僕はアリスといられればそれでいい」
「それもいいけれどな、欲を持てよ。別に悪いことじゃない、むしろそんなに欲がないのだとしたら病を疑う。生きるには、欲が必要なんだよ」
「……考える」
「ああ」
「アリスと一緒にいたいっていう、それだけじゃだめなの?」
「だめじゃ、ないけれど、なあ」
 涼は静かに息を吐いた。灼の言葉は、生き物の本能からかけ離れすぎていた。恋をした人間だけが持つ独特の利己的な考えだった。
「おまえは、人間なんだなあ」
「兄さんよりは」
 涼の呟きに、てらいなくそう答えた灼は、涼の優しい笑みを見た。
「じゃあ、アリス様ともっとどうにかなりたくなったら、助けよう。携帯電話くらい持て。これやる。使え」
「あ、ありがとう」
 涼に投げ渡された携帯電話を、灼はポケットに仕舞った。
「あと、アリス様の口座に、謝礼を振り込んでおいた。……と、おまえに言ってもわからないな。あとでアリス様に電話か何かをする」
「わかった」
「それから、リューク様が会いたがっていらしたよ。アリス様と忙しいかもしれないけれど、時間を作ってくれ。いま行くなら、帰りは送ってやる」
「じゃあ、行ってくる」
「ああ」
 リュークがシェフをしているホテルに、灼は足を踏み入れた。
「シャクさん!」
 ディナーの支度の最中であろうに、灼が扉の鐘を鳴らすとすぐに嬉しそうに笑ってリュークは出てきた。
「わざわざ来てくださったんですか?」
「はい、兄が、リューク様にお待ちいただいていると」
「ありがとうございます」
 リュークは笑った。いつも通りのチャーミングな笑みだった。
「アリスさんと、一緒に八百屋にいらっしゃるんですね」
「ええ、今日から」
「先程、お嬢さんのほうからフルーツをいただいてきました。これからも頻繁に伺いますので、その際はどうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 少しの沈黙があった。
「結婚式のモデルのお写真、拝見しましたよ。シャクさん、幸せそうでした」
「……ええ」
「アリスさんが、お好きなんです、ね?」
 リュークは涙をこらえるように顔を歪ませた。
「はい。好きです」
「そうですか」
 リュークはためらって、それでも伝えておこう、というように「シャクさん」と呼びかけた。
「せめて、接吻をください。それで、諦めるので」
 以前の灼であれば、のんでいた要求だろう。
「……リューク様は、僕がお好きなんですか?」
「え?」
 リュークはぽかんとした。リュークの脳内に、この前の灼との夜がよみがえり、そんなことを今更、と思ったのだった。
「アリスが、好きなひととしかしないようにと。僕はアリスが好きなので、お応えできません、申し訳ありません」
「そう、ですか」
 リュークが寂しそうに目線を落とした。
「でも、御恩を忘れるわけではありません。何か、ほかにできることがあれば……」
「僕を、嫌わないでください」
 灼が言い終わるまえにリュークははっきりと言った。
 思慕という懐かしい感触は、肉欲よりも甘美にリュークに灼の思い出を刻みこんだ。
「……もちろんです」
 灼はにっこりと笑った。リュークも、つられるように笑った。
「では、失敬致します」
「ええ。ご足労いただきありがとうございました。今度は、アリス様といらしてください。おいしいディナーをご馳走しましょう」
「ありがとうございます」
 灼は深く礼をして、入口の鐘を鳴らしてホテルを出た。
 涼が迎えに来る。
「早かったな」
「挨拶だけだもの」
「アリス様は?」
「まだ八百屋だと思う」
「じゃあ、行こう」
 涼は特に何を話すわけでもなく、八百屋へ向かって歩く。
 そんな沈黙も、灼を安心させた。涼は、いつまでも灼の中で、兄なのだ。母の冷はあまり灼に構わなかった。涼と輝夜、熱音が灼を育てたようなものだった。冷は涼につきっきりだった。思えば、そういう寂しさから逃れようとして、心を離してしまう癖がついてしまったようにも思える。
「リョウさん」
 有栖の声で灼は現実に戻ってきた。
「アリス様、シャクをお借りしました、ありがとうございました。そして、謝礼ですが、口座に振り込みましたので、後程ご確認くださいませ」
「ありがとうございます」
 涼と話すとき、有栖が緊張するのが灼には面白かった。
「じゃあ、アリス、帰ろう」
「ああ。失礼します」
「お疲れ様ですー」
「お疲れー」
 涼は肉屋を覗き、肉屋とカモがどうのという話をしていた。楽しそうだった。
「シャク、銀行に寄っていきたい」
「うん。ついていっていい?」
「ああ」
 銀行で、有栖は仰天した。口座の金額が見たことのない桁になっていた。


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